フリージアを嫌わないで

天埜鳩愛

文字の大きさ
31 / 47
リナリアを胸に抱いて

しおりを挟む
 春の終わり、薔薇が最も鮮やかで美しい季節だった。雷はその日も学校をさぼり、初夏に向かう風の爽やかな庭を何となく歩いていた。
 明治時代以後、震災や戦火を逃れた建物は、本館以外にもいくつか点在する。何となく敷地の端に向かうのは、雷のお気に入りの場所があるからだった。
 本館を過ぎ、木立に囲まれてひっそりと佇む館。
 先々代の当主が、妾であったオメガの女性のために作った別館、そこには小さな西洋風の庭がある。本館は人が住みやすいように手を加えられ続けてきたが、そこだけはいかにも時代の浪漫を感じる建物で、今は都の重要文化財の一つに数えられている。通常中には入れない。だが庭は住人である雷には出入り自由だ。
 当時の当主はアルファの夫人との間に跡取りを設けた後は、愛する番を囲ってその館に入り浸っていたらしい。

「あははっ」

 ふいに軽やかな笑い声が聞こえてきた。雷は思わず木立の隣で足を止めた。今日は別館の特別公開日ではないし、普段は管理担当の者しか足を踏み入れぬ場所だ。
 白い薔薇が零れて咲くアーチ。その下に設えられたベンチに兄が誰かと腰掛けていた。
 向こうはまだ木立の中にいる雷の姿に気づけていない。

(珍しいな……)

 兄は常にエネルギッシュで、王者の如く立ちまわっていたが、それは内面の繊細さを隠すためのポーズだと雷は鋭く見抜いていた。だから彼は人の視線にひどく敏感でとても神経質だ。そんな兄だが、少しも周りを気にしていない。さらに驚くべきは彼の表情だった。
 兄は父親似の端整な顔立ちをしていて、父同様いつも眉間に皺を寄せているような顰め面をしていることが多かった。
 だが今、制服姿の少年の肩を抱き寄せ、見たこともないような蕩ける笑顔でその相手を見つめていた。

(兄さんの恋人。どんな顔をしているんだろう)

 この角度では顔立ちを伺い知れない。ただ大柄な兄と比べたらほっそりと頼りなげな体つきだと分かる。兄に薄い肩を抱かれ、寄り添いながら時折アーチに手を伸ばし、ホロホロと零れる白薔薇の花びらを触り、悪戯しているようだった。
 制服の白シャツから覗く腕はほっそりとたおやかに白い。色素の薄い髪と相まって身体から光が零れているような透明感があった。兄は悪戯なその手を掴んで薔薇の花びらごと指を絡めて握っている。
 兄が彼に顔を寄せていく。とくんっと雷の胸が強く撃たれた。

(キスしてる……)

 長い長い、執拗な口づけ。兄の彼への執愛が痛いほど伝わる。少年が苦しげにふるっと小さく身震いして、掌をついて兄の胸を押し返そうとする。だが兄はお構い無しに少年の背に腕を回し、より強く彼を胸に押し付けるように抱き寄せた。

「朔、さく……」

 抱かれた少年が涼やかな声を上げる。感極まったように恋人を呼ぶ声のたとえようのない甘さに、雷は目が眩む思いがした。

(なんて声なんだ)

 かつて自分の周りで、このように優美な声で名前を呼んでくれる人はいただろうか。
 ちりちりと胸が痛む。それがどうしてなのか、雷には分からない。兄は満たされた笑顔を浮かべて、再び彼に唇を寄せて行った。

「透、愛してる」
「っ!」

 臆面なく愛を囁く兄。幸せそうな二人の姿に、雷の胸に言い知れぬざわざわとした感情が過っていく。
 薔薇の花びらが二人を祝福するように、はらはらと舞い落ちる。
 けして許されぬはずの二人なのに、その光景はあまりにも美しかった。
 雷の目頭が熱くなる。これほど心を揺さぶられる光景を見たのは生まれて初めてだった。胸に手をやる。そこに炎の矢を受けたように、雷は苦し気に眉を寄せ木立の後ろに背をやり隠れた。そして一呼吸おいてからその場から文字通り逃げ出したのだ。
 息を弾ませ、走る。

(なんだ、あれは……。昔の当主みたいに、本妻とは別に恋人を囲いたいって、そういうことなのか? 時代錯誤だ。相手は納得しているのか……。あんな、あんな風に……、名前を……) 

 色々なことを次々と思い浮かべてその光景を忘れようとした。しかし忘れようとしたけれど、そのことばかり考えてしまう。
 雷の人生で初めて、心に浮かんでしまったある強い願いを、どうしても消し去ることが出来なくなってしまった。

(僕も、あんな風に、想いの丈をこめて名前を呼びたい。呼ばれたい。あんな風に、愛されたい。愛してみたい) 

 
                      
                        
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

【完結】end roll.〜あなたの最期に、俺はいましたか〜

みやの
BL
ーー……俺は、本能に殺されたかった。 自分で選び、番になった恋人を事故で亡くしたオメガ・要。 残されたのは、抜け殻みたいな体と、二度と戻らない日々への悔いだけだった。 この世界には、生涯に一度だけ「本当の番」がいる―― そう信じられていても、要はもう「運命」なんて言葉を信じることができない。 亡くした番の記憶と、本能が求める現在のあいだで引き裂かれながら、 それでも生きてしまうΩの物語。 痛くて、残酷なラブストーリー。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。 更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。

【完結】エデンの住処

社菘
BL
親の再婚で義兄弟になった弟と、ある日二人で過ちを犯した。 それ以来逃げるように実家を出た椿由利は実家や弟との接触を避けて8年が経ち、モデルとして自立した道を進んでいた。 ある雑誌の専属モデルに抜擢された由利は今をときめく若手の売れっ子カメラマン・YURIと出会い、最悪な過去が蘇る。 『彼』と出会ったことで由利の楽園は脅かされ、地獄へと変わると思ったのだが……。 「兄さん、僕のオメガになって」 由利とYURI、義兄と義弟。 重すぎる義弟の愛に振り回される由利の運命の行く末は―― 執着系義弟α×不憫系義兄α 義弟の愛は、楽園にも似た俺の住処になるのだろうか? ◎表紙は装丁cafe様より︎︎𓂃⟡.·

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

平凡な僕が優しい彼氏と別れる方法

あと
BL
「よし!別れよう!」 元遊び人の現爽やか風受けには激重執着男×ちょっとネガティブな鈍感天然アホの子 昔チャラかった癖に手を出してくれない攻めに憤った受けが、もしかしたら他に好きな人がいる!?と思い込み、別れようとする……?みたいな話です。 攻めの女性関係匂わせや攻めフェラがあり、苦手な人はブラウザバックで。    ……これはメンヘラなのではないか?という説もあります。 pixivでも投稿しています。 攻め:九條隼人 受け:田辺光希 友人:石川優希 ひよったら消します。 誤字脱字はサイレント修正します。 また、内容もサイレント修正する時もあります。 定期的にタグ整理します。ご了承ください。 批判・中傷コメントはお控えください。 見つけ次第削除いたします。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

処理中です...