香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

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再会編

事情

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「さてさて。久しぶりに先生と食事ができると意気込んできた俺に、これほどの面倒事を押し付けたからには。今日の夕食は先生のおごりと言って間違いないですよね?」

 朗々と二人並んで警察署に片隅に座っていたヴィオとセラフィンを見下ろして同じく今は非番である警察官のジルはお得意の調子でそういって二人をなんとなく元気づけようとした。

「実際お前と待ち合わせしていて助かった。勿論奢る」

 日頃口をつく皮肉もなく真面目に受け答えしてきたセラフィンに、ジルは寧ろ面食らって眉を下げた。それほど今のこの事態は、セラフィンにとっても理解不能で御しがたい状態なのだろう。

 というのもセラフィンの隣に縮こまったように恐縮しきって座る可愛らしい顔の少年は、今ここにいるべき相手では決してなかったはずなのだから。

 ジルが待ち合わせの駅になかなか現れないセラフィンに業を濁して病院まで迎えに行ったら、なじみの守衛の男性が慌てた様子でジルを迎えに来て、男を閉じ込めた部屋とその前にいるセラフィンたちの前に通された。

 手早く説明された内容はこうだ。
 セラフィンが通用口から出てきたところ鞄をひったくられそうになり、それを通りがかった少年と二人で取り押さえたという内容だった。
 素人が武器を携帯しているかもしれない相手に無茶するなよ、といいたいところだが、一人は格闘技の経験があり何度も組み合ったことのあるジルにはその実力がよくわかるセラフィン、そしてもう一人は……。

「大きくなったなあ。お前ヴィオだろ?」

 こくんと頷く素直な仕草と大きな紫色の瞳が印象的な顔立ちには見覚えがあった。5年前セラフィンと彼の研究テーマを調査するため訪れた里で出会った少年だった。あの頃は華奢で小さくて、顔立ちは女の子にしか見えない愛らしさだった。しかし子どもの成長は著しい。

 背丈はすっかり伸びて見違えるほど大きくなった。勿論かなり長身の二人にはかなわないが、少年らしい小さな顔に伸びやかな張りのある手足をしている。その身体は程よく引き締まり、こちらでいうとスポーツや武術に通じている若者のそれに似た体格だ。野性の動物のような張りつめた筋肉の美しさが胸元がのぞく服や、座ると踝よりずり上がってしまったズボンの上からも分かる。

 そして顔立ちは相変わらずの愛らしさを残しながらも大人び、幾分褐色に近い肌が野性味を帯びつつも、ぽってりと赤い唇が蠱惑的な、セラフィンとはまた違った意味で驚異の美貌を持ち得ていた。

「お久しぶりです。ジルさん」

「またえらいところに出くわしたらしいな。あの小さかったお前が、一撃で暴漢を仕留めるとは末恐ろしい。流石フェル族の男」

 ヴィオは恥じらうように頬を染めて目線を下に泳がせた。このヴィオの格好。ジルが警官らしい洞察力で確認しなくとも、どうみてもお上りさんの旅行者かもしくは……。

(家出少年にしか見えないぞ? ヴィオ。親父さんたちはどうしたんだ? 
まあ後でゆっくり話を聞いてやるか)

「俺たちはやっと解放されたってことか?」
「事情もうかがったし、犯人も確保できたし、勿論大丈夫。俺も非番だからもうお役御免。あとは部下に任せておけば大丈夫だ。明日又俺が確認するから」

 ジルの勤める警察署は実は病院のあるこの駅にはないが、北部地域として大きな管轄は同じなのだ。病院に警官が到着した後、共に取り調べに同行してくれていた。

「さあて、店が閉まる前にどっかで腹ごしらえしよう。お洒落な店ではないけど、いいよな? 俺の行きつけで」

 その言葉に呼応するようにヴィオの腹が周りにもわかる様にぐーっと鳴ったので年長二人は顔を見合わせて微笑んでしまった。

(お、先生が久々に笑ったとこみた)

 ジルは内心独り言ちながら、今度はヴィオに向かってまた微笑んだ。

「腹減ったのか。ヴィオ。沢山食べさせてやるからな? 酒も飲めるのか?」

 はにかんだヴィオは目じりを少し下げながらにっこりと愛嬌のある愛らしい笑顔を見せて、こくこくとうなづきながら大きな輝く瞳でジルを見上げてきた。その様があまりにも可愛くていくらでも奢ってしまいそうだ。

 セラフィンからは再び笑顔が消え、なにか思案気な顔をしている。実はここのところ、セラフィンはずっとこの調子。そう、明らかに様子がおかしいのだ。

 今まではいくら忙しくとも月に何度もジルと食事をしに行ったり、たまには自宅に泊まりに行ったりして互いに独身の自由を謳歌し、気ままに暮らしてきた。

 互いに忙しさにかまけているのもあったがここ最近はその機会もぐっと減り、今日は二人で出かける久しぶりの食事だった。先生から誘われたことに、何かしらの相談事があるのではないかとジルは勘づいていた。そして今日のこの事件……。

(なんの厄介ごとに巻き込まれてるのか、やっと話をしてくれる気になったのか? 俺にどんどん頼ればいいのに。でもまあ原因は大体、想像がつくけどな)

 セラフィンは半年前に書き貯めていたフェル族に関する著作をついに出版した。学術書としての部分と伝承など読み物としての楽しさもミックスされた文章は各方面から脚光を浴び、ちょうどフェル族の戦士に関する演劇のリバイバル上映が流行っていたことや、先生の経歴や筆者近影の美貌も相まって雑誌にも取り上げられた。

 久しぶりに隣国に住む従兄弟や兄からも連絡が来たと先生にしては素直に照れながらも喜んでいた。ちゃんとジルへの感謝の言葉も後書きに記してくれたから、ジルとしても母や姉夫婦にまでその記述と共にセラフィンのサインのある本を見せて、本当に鼻高々だったのだ。

 しかしその本の出版が、先生が思ってもみなかった人物のことも再び彼の元に呼び寄せてしまったのだ。

(あの、女)

 豊かな烏の濡れ羽のような光沢ある黒髪、長身のジルにも軽視できぬほどの肉感的な堂々たる体躯。一見性別さえも超越した圧倒的な年齢不詳の美貌は女神に背く魔性の如き昏い影を宿していた。

 その人間離れした風貌は、ある意味セラフィンとよくに通った存在と言える。ジルが先生との約束通りセラフィンの自宅に訪ねていったときに、中から出てきた全身黒いレースの身体にぴったりとしたドレス姿のその女。
 すれ違ったジルは、慣れ親しんだ香りを感じた。
 その女は全身から『紫の小瓶』の香りが漂っていたのだ。女はジルと目が合うと、虹彩までもがぽっかりと黒い恐ろし気な眼差しを細めて赤い唇で挑発的ににっこりと微笑んだ。

 入れ代わりに入った部屋の中、淫らでしどけない格好を晒し寝台に横たわっていた蒼白のセラフィンの目は虚ろで、ジルは我を忘れて彼の身体を力いっぱい抱きしめた。激しい情事の後であることは明らかで、ジルがあれほど好きだった部屋いっぱいに漂う紫の小瓶の甘く漂う残り香を嫌悪する原因となったのだ。

 何も知らない無垢なヴィオは、うっとりと傍らのセラフィンを見上げている。

(子猫ちゃん、今ここに君が来たのは女神様の啓示か何かか? あの魔女の呪いから、先生を解き放てるのは君だってことなのか? )
















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