香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

文字の大きさ
106 / 222
略奪編

首輪1

しおりを挟む
 昼にはまだ少し早い時間のため、レストラン内の客はまばらだったが、給仕係の先輩を含めて色々な人たちが二人の様子をちらちらと、というよりは穴が開くほどに眺めて興奮したように何やら話し合っている。
特にヴィオの傍らで美男同士の熱い抱擁を目撃した先輩は弾けるような声を立てた。

「聞いたわよ、ヴィオ。こんな素敵な婚約者の方がいらしたなんてね。ヴィオってオメガだったのね?」
「え……」

激しく抱きしめられて、カイの逞しく厚い胸板からようやく顔を起こしたが、勝手に『婚約者』などと周りに触れ回られては黙っていられない。

(婚約者ってなに? 父さんとカイ兄さんが勝手に決めたの? リア姉さんとの話はどうなったの?)

「カイ兄さん!」
「ヴィオが大変お世話になりました」

色々な事が頭の中に渦巻き混乱しながらも、ヴィオは私服姿のカイの腕の中で咎める声を上げて睨みつける。しかしカイは先輩の方を向いたまま一見穏やかな微笑を浮かべていた。先輩はそんなカイをうっとりと見上げてくる。バックヤードからも二人を祝福するように黄色い声援が上がっていたが、ヴィオは戸惑いから泣きそうな顔になった。
ヴィオにとってカイは強靭な肉体も男らしくも整った面差しも憧れでしかないずっと自慢の従兄弟だった。ヴィオもかつてはそんな風に羨望の眼差しでカイを見つめていたかもしれないが、今は全くそんな気持ちを彼に対して呑気に抱けなかった。

ここでは誰にも第二の性については話していなかったのに、皆に知られてしまったということにもヴィオはショックを受け、カイの腕からもがくようにして身を離そうとした。
カイは終始表情を崩さないが、ヴィオが握られた手首を振り払おうとしたがそれを許さず執拗に離さない。むしろ骨が砕けるかと思うほど力を込め直してきたのでヴィオは恐ろしくなって身じろぎを止めた。カイはまるで別人かと思うほど強引で、いつでも見守ってくれた優しい兄の突然の豹変にヴィオは心が付いていけない。しかし彼をこんな風に駆り立てたのが自分の嘘なのかもしれないと思うと恐ろしくたまらなかった。

(カイ兄さん、僕がオメガだって気が付いてる? リア姉さんが話をしたのかな。……すごく怒ってる。こんなカイ兄さんを見たの、初めてで怖いよ)

バックヤードを振り返ると支配人とその横にはヴィオを面接してくれたマネージャーが少し悲しげな顔でヴィオを見ていて、先輩の女性たちは興奮気味にニコニコしながら手を振ってきた。

「里を飛び出したきり、帰ってこなかったので心配をしていたところです。皆さんにもご迷惑をおかけしました。またお詫びは後日伺います」

自分が座っていた席のカップ皿の下に代金を置くと、そう言い残してヴィオを半ば引きずるようにしてレストランの入り口をくぐり、二階にあるレストランから一気にロビーまで美しい緋色の絨毯の引かれた大階段を駆け下りる。

「兄さん、手を放して。痛いよ」

小山のように筋肉が盛り上がった肩から背中を眺めながら声をかけるが、カイはその歩みを緩める気配はない。

「離したらお前、またどこかにいなくなるだろう?」
「いなくならないよ。僕、里に戻ろうって思ってたんだから」
「そうなのか?」

僅かに気持ちが上向いたように聞こえる声を出し、カイが急に立ち止まったのでヴィオは顔からカイの背に体当りしてしまった。ぶつけた顔を子猫のようにこすったあと意を決したように顔を上げる。

「中央にまた来るために、父さんとこれからのことを話し合いたい。そのために僕は一度里に帰るんだ」

『中央』という単語を拾い、再びカイの深緑色の瞳に不穏な熱がこもり、ゆっくりと振り返る。ヴィオは兄と対決するように金の環を広げながら目を見開いて二人は互いに睨みあった。

「伯父さんと話? その前に俺にも話があるよな?」

「それは……」

カイは先ほどまでは周りの手前見せていた静かな表情のまま、だが彼の瞳にも金色の環が大きく広がる。そんなカイに竦みながらも、そもそも彼を騙したのは自分の方なのだから怒りを買ったのは仕方ないだろうと言い聞かせて腹に力を入れた。

カイはきっとヴィオがオメガだと知っていながら、こんなふうに意地悪く聞いてくるのだろう。ヴィオの行いをけして許していないからだ。ヴィオは大きく息を吸うとついに自ら告白をはじめようとした。

するとカイが繋いでいた手首を強引に引っ張って再びヴィオを腕の中に抱き込み、汗ばんだ項をするりと撫ぜた。そのまま顔を首筋に近づけるようにして熱い息がかかるほどの間近に顔を傾ける。

「なあに、やめて」
「お前の香りが……。薄いな」
「……抑制剤を飲んでるから」

観念したようなその呟きにカイはうっそりと笑い、いっそ慰めるような仕草でヴィオの後頭部を撫ぜた。幼い頃撫ぜられていたような柔らかな手つきに少しだけ安心したのか、睫毛をふるふると震わせながらカイに子どもの頃のように無防備な瞳を向ける。
その無垢でありながら前に会った時よりも少しだけ色香の滲む表情に魅せられながら、カイはゆっくりと上着のポケットに手を伸ばした。中から掴み上げたそれを後ろからするりとヴィオの首筋に巻き付ける。かちゃり、と音が鳴り、ヴィオはびくっと身を震わせた。

「やあっ」
「ああ、本当にぴったりだ」

カイの苦々しく呟く声が耳をうち、首に巻き付いた柔らかい革の感触にヴィオは目を見開いてはくはくと喘鳴して、兄を上目遣いに睨みつけた。

「なにしたの! とって! とってよ」

喘ぎ興奮してもがき、喉元を指先でばりばりとかきむしるヴィオの両手を軽々と片手でかしめて止めながら、カイは耳元で低く囁いた。

「医療用の、オメガの項保護用の首輪だ。後日引き渡しということで処方されてたんだよ。これはリアには太い。ヴィオ、やっぱりお前がオメガだったんだな」

悲鳴はなんとか飲み込んだ。しかし興奮したことにより、またあの眩暈に襲われてヴィオは精神的なショックと息苦しさから混乱し、カイから逃れるようにのけぞりたおれていった。

「どうしたの? ヴィオ君?」

受付から顔見知りの女性が駆け寄ってこようとしたが、もちろんカイは素早く傾ぐヴィオを抱き留めて軽々とその腕の中に抱き上げた。

「さあ、里に帰る前に。どうしてあんな嘘をついたのか、俺の部屋でゆっくり聞かせてもらうからな? 」

瞳を潤ませながら力なく小さく嫌々と首を振る幼げな仕草に愛おしさが溢れて、カイはヴィオの零れ落ちて頬を伝う涙に口づけを落とす。

「どっちにしろ首輪の鍵は部屋にある。お前はついて来るしかないだろう? なあ? 俺のオメガ」

ついにヴィオが我が腕に戻ったことに対する充足感と、それ以上を今すぐに求めたくなる滾る思いに晒されつつ寮までの帰路を急いだ。
















しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

二人のアルファは変異Ωを逃さない!

コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
★お気に入り1200⇧(new❤️)ありがとうございます♡とても励みになります! 表紙絵、イラストレーターかな様にお願いしました♡イメージぴったりでびっくりです♡ 途中変異の男らしいツンデレΩと溺愛アルファたちの因縁めいた恋の物語。 修験道で有名な白路山の麓に住む岳は市内の高校へ通っているβの新高校3年生。優等生でクールな岳の悩みは高校に入ってから周囲と比べて成長が止まった様に感じる事だった。最近は身体までだるく感じて山伏の修行もままならない。 βの自分に執着する友人のアルファの叶斗にも、妙な対応をされる様になって気が重い。本人も知らない秘密を抱えたβの岳と、東京の中高一貫校から転校してきたもう一人の謎めいたアルファの高井も岳と距離を詰めてくる。叶斗も高井も、なぜΩでもない岳から目が離せないのか、自分でも不思議でならない。 そんな岳がΩへの変異を開始して…。岳を取り巻く周囲の騒動は収まるどころか増すばかりで、それでも岳はいつもの様に、冷めた態度でマイペースで生きていく!そんな岳にすっかり振り回されていく2人のアルファの困惑と溺愛♡

【本編完結】あれで付き合ってないの? ~ 幼馴染以上恋人未満 ~

一ノ瀬麻紀
BL
産まれた時から一緒の二人は、距離感バグった幼馴染。 そんな『幼馴染以上恋人未満』の二人が、周りから「え? あれでまだ付き合ってないの?」と言われつつ、見守られているお話。 オメガバースですが、Rなし全年齢BLとなっています。 (ほんのりRの番外編は『麻紀の色々置き場』に載せてあります) 番外編やスピンオフも公開していますので、楽しんでいただけると嬉しいです。 11/15 より、「太陽の話」(スピンオフ2)を公開しました。完結済。 表紙と挿絵は、トリュフさん(@trufflechocolat)

ちゃんちゃら

三旨加泉
BL
軽い気持ちで普段仲の良い大地と関係を持ってしまった海斗。自分はβだと思っていたが、Ωだと発覚して…? 夫夫としてはゼロからのスタートとなった二人。すれ違いまくる中、二人が出した決断はー。 ビター色の強いオメガバースラブロマンス。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

Accarezzevole

秋村
BL
愛しすぎて、壊してしまいそうなほど——。 律界を舞台に織りなす、孤独な王と人間の少年の運命の物語。 孤児として生きてきた奏人(カナト)は、ある日突然、異世界〈律界〉に落ちる。 そこに君臨するのは、美貌と冷徹さを兼ね備えた律王ソロ。 圧倒的な力を持つ男に庇護されながらも、奏人は次第に彼の孤独と優しさを知っていく。 しかし、律界には奏人の命を狙う者たちが潜み、ソロをも巻き込む陰謀が動き始める。 世界を背負う王と、ただの人間——身分も種族も違う二人が選ぶのは、愛か滅びか。 異世界BL/主従関係/溺愛・執着/甘々とシリアスの緩急が織りなす長編ストーリー。

【完結】陰キャなΩは義弟αに嫌われるほど好きになる

grotta
BL
蓉平は父親が金持ちでひきこもりの一見平凡なアラサーオメガ。 幼い頃から特殊なフェロモン体質で、誰彼構わず惹き付けてしまうのが悩みだった。 そんな蓉平の父が突然再婚することになり、大学生の義弟ができた。 それがなんと蓉平が推しているSNSのインフルエンサーAoこと蒼司だった。 【俺様インフルエンサーα×引きこもり無自覚フェロモン垂れ流しΩ】 フェロモンアレルギーの蒼司は蓉平のフェロモンに誘惑されたくない。それであえて「変態」などと言って冷たく接してくるが、フェロモン体質で人に好かれるのに嫌気がさしていた蓉平は逆に「嫌われるのって気楽〜♡」と喜んでしまう。しかも喜べば喜ぶほどフェロモンがダダ漏れになり……? ・なぜか義弟と二人暮らしするはめに ・親の陰謀(?) ・50代男性と付き合おうとしたら怒られました ※オメガバースですが、コメディですので気楽にどうぞ。 ※本編に入らなかったいちゃラブ(?)番外編は全4話。 ※6/20 本作がエブリスタの「正反対の二人のBL」コンテストにて佳作に選んで頂けました!

処理中です...