香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

文字の大きさ
133 / 222
略奪編

対決5

しおりを挟む
ものすごい圧力に潰されて上からマウントを取られたセラフィンが、身体の下に巻き込まれた腕を逆手に捻りながらついにカイに取られてしまった。

「うっ」
「ヴィオを俺から奪おうっていうのなら、大切な腕の一本や二本、くれてやっても構わない覚悟だよな?」

 カイの目の色は元に戻っていたが、正気ではないほどの興奮に歪んだ口元から犬歯がのぞいている。制御できないほどの暴力的な衝動に見舞われているのだ。
 万能にも見えるドリ派の膂力を爆発的に増幅される力は、実は制御することができるようになるには集中力と相応の訓練がいる。すぐに体得できる天才肌もいるにはいるが、早くに里を離れたカイはこの力を自在に操ることはできずに精神を完全に飲まれてしまっているのだ。

 万力の力で捻り上げられた腕は骨が軋み、腱すらぶちぶちとちぎられるのではないかというように軋む。腕がどんどんと嫌な方向に曲がっていくが、セラフィンは唇を血が滲むほど嚙みしめて、意地でも声を上げなかった。

「クソ! これまでか」

 ジルとテンがヴィオから腕を離し、駆け出そうとしたその動きよりさらに素早く。まるで一迅の風のように一瞬ジルの視界から消えたその人物は気が付くと残像だけを残して遥か前方にいた。まるで大きな羽が生えたような疾風のごとき、ソート派の神がかった動き。

 その直後に鈍い音がして、ついにセラフィンの腕がねじ切られたのではないかとテンは叫び声をあげて目を覆った。

 しかし身動きが一歩遅れたジルの目に飛び込んできたのは、先ほどセラフィンに傷つけられた額の傷から目が塞がり気味のカイの死角を正確に狙って、渾身の延髄蹴りを見舞い、そしてそのまま勢い余って反対側に転がっていくヴィオの捨て身の雄姿だった。

(一撃、必殺)

 ジルの脳裏のそんな言葉が浮かんで消えた。一瞬でも遅れていたらセラフィンの腕は文字通りねじ切られ使い物にならなくなっていたかもしれない。
 とっさの判断にジルは後れを取った。ヴィオは少しも迷わなかった。
 隣りでテンが興奮と衝撃から大きな声で喚き、悲鳴を上げているのをジルはどこか遠くの出来事のように感じたまま内省していた。

(俺としたことが……。完敗だな)

 ドサッと音を立ててカイが潰れるように倒れ伏し、腕を掴まれたままだったセラフィンも巻き込まれてカイの下敷きになる。

 ヴィオは身体中悲鳴を上げるほどの不調をものともせずに、金色に耀く瞳をしたまま死に物狂いでがばりと起き上がると、獣のように床を四つん這いになって愛する者に駆け寄ってきた。そしてカイの重たい身体の下からセラフィンの腕を引っ張り出してすぐさま彼の首に腕を回すと必死に抱き着いたのだ。

「先生、腕! 僕の大切な先生の腕!」

 ヴィオは一度顔を上げ、セラフィンに覆いかぶさるような姿勢で彼を気づかわし気に覗き込んでくる。ヴィオの瞳の色はすっと波が引くように元の穏やかな紫色を取り戻していった。ぼろぼろと大粒の涙が雨粒のようにセラフィンの顔にぽたぽたと熱い雫となって落ちる。

「大切なのは腕だけかい?」

 そう冗談めかしながらも本当はどこか確実に骨が折れているのかもしくはヒビが入っていると感じながら、セラフィンはやせ我慢しヴィオに微笑み返した。

「俺はヴィオの丸ごとすべてを愛しているよ」

 その言葉にさらなる涙が滝のように流れ落ちてヴィオの少しやつれた顔がさらにぐしゃぐしゃにみっともなくなったが、セラフィンにはそのすべてが愛おしくてたまらなかった。

「うーうん。僕も先生の全部がいい。全部好き。先生が大好き。もうずっと、一緒がいい」
「俺もだ。もう離れないでくれ。今のままの君でも、俺にはこの世で一番大切な子なんだよ。このままずっと、俺の傍にいて欲しい」
「い、いる。ずっと一緒にいるぅ」

 セラフィンは流石に倦怠感を感じて床に寝転がったまま、それでも抱き着いてくるヴィオの熱い身体に左腕を回して精一杯強く抱きしめると、彼はわんわん大声を上げて子どものように泣きじゃくった。

 伝わるヴィオの温もりを感じながら目の端には複雑な表情を宿したジルが近寄ってくる。
 彼の少し呆れたようにも見える顔が見下ろしてくるのと目が合うと、いつか二人でよくしていた下らない仮想の話の記憶がふいに蘇ってきた。

『フェル族最強の戦士と素手で争うだって? そんなもの普通の人間には無理無理。熊を素手で倒すようなものだろ? でもさあ。先生はどうして一人で倒そうとするの? 頭が固いんだよ。誰が決めたんだよ、一人で戦えって。誰かと共闘するか、もしくは欲しいものがこっち側にきて加勢してくれたらきっと勝てるんじゃないか?』

 セラフィンはそんなの卑怯だろうと反論したし、ジルは何恰好をつけているんだ、そんなんじゃ勝てないだろうと応酬した。

(でも結局、あの時お前が言ったとおりになったな)

 愛する者が自分を選んでくれるということを、セラフィンは初めて経験した。そして共に戦い見守ってくれる人を得ることもできた。

 何かを成し遂げるために自分の力だけではどうしようもないことがあったとして、諦めるか逃げるかばかりだった人生の周り道も、今ここにたどり着く為必要な迂回だったのだとしたら。

(人生において無駄なことなど何もないのかもしれないな……)

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

二人のアルファは変異Ωを逃さない!

コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
★お気に入り1200⇧(new❤️)ありがとうございます♡とても励みになります! 表紙絵、イラストレーターかな様にお願いしました♡イメージぴったりでびっくりです♡ 途中変異の男らしいツンデレΩと溺愛アルファたちの因縁めいた恋の物語。 修験道で有名な白路山の麓に住む岳は市内の高校へ通っているβの新高校3年生。優等生でクールな岳の悩みは高校に入ってから周囲と比べて成長が止まった様に感じる事だった。最近は身体までだるく感じて山伏の修行もままならない。 βの自分に執着する友人のアルファの叶斗にも、妙な対応をされる様になって気が重い。本人も知らない秘密を抱えたβの岳と、東京の中高一貫校から転校してきたもう一人の謎めいたアルファの高井も岳と距離を詰めてくる。叶斗も高井も、なぜΩでもない岳から目が離せないのか、自分でも不思議でならない。 そんな岳がΩへの変異を開始して…。岳を取り巻く周囲の騒動は収まるどころか増すばかりで、それでも岳はいつもの様に、冷めた態度でマイペースで生きていく!そんな岳にすっかり振り回されていく2人のアルファの困惑と溺愛♡

【本編完結】あれで付き合ってないの? ~ 幼馴染以上恋人未満 ~

一ノ瀬麻紀
BL
産まれた時から一緒の二人は、距離感バグった幼馴染。 そんな『幼馴染以上恋人未満』の二人が、周りから「え? あれでまだ付き合ってないの?」と言われつつ、見守られているお話。 オメガバースですが、Rなし全年齢BLとなっています。 (ほんのりRの番外編は『麻紀の色々置き場』に載せてあります) 番外編やスピンオフも公開していますので、楽しんでいただけると嬉しいです。 11/15 より、「太陽の話」(スピンオフ2)を公開しました。完結済。 表紙と挿絵は、トリュフさん(@trufflechocolat)

ちゃんちゃら

三旨加泉
BL
軽い気持ちで普段仲の良い大地と関係を持ってしまった海斗。自分はβだと思っていたが、Ωだと発覚して…? 夫夫としてはゼロからのスタートとなった二人。すれ違いまくる中、二人が出した決断はー。 ビター色の強いオメガバースラブロマンス。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

Accarezzevole

秋村
BL
愛しすぎて、壊してしまいそうなほど——。 律界を舞台に織りなす、孤独な王と人間の少年の運命の物語。 孤児として生きてきた奏人(カナト)は、ある日突然、異世界〈律界〉に落ちる。 そこに君臨するのは、美貌と冷徹さを兼ね備えた律王ソロ。 圧倒的な力を持つ男に庇護されながらも、奏人は次第に彼の孤独と優しさを知っていく。 しかし、律界には奏人の命を狙う者たちが潜み、ソロをも巻き込む陰謀が動き始める。 世界を背負う王と、ただの人間——身分も種族も違う二人が選ぶのは、愛か滅びか。 異世界BL/主従関係/溺愛・執着/甘々とシリアスの緩急が織りなす長編ストーリー。

【完結】陰キャなΩは義弟αに嫌われるほど好きになる

grotta
BL
蓉平は父親が金持ちでひきこもりの一見平凡なアラサーオメガ。 幼い頃から特殊なフェロモン体質で、誰彼構わず惹き付けてしまうのが悩みだった。 そんな蓉平の父が突然再婚することになり、大学生の義弟ができた。 それがなんと蓉平が推しているSNSのインフルエンサーAoこと蒼司だった。 【俺様インフルエンサーα×引きこもり無自覚フェロモン垂れ流しΩ】 フェロモンアレルギーの蒼司は蓉平のフェロモンに誘惑されたくない。それであえて「変態」などと言って冷たく接してくるが、フェロモン体質で人に好かれるのに嫌気がさしていた蓉平は逆に「嫌われるのって気楽〜♡」と喜んでしまう。しかも喜べば喜ぶほどフェロモンがダダ漏れになり……? ・なぜか義弟と二人暮らしするはめに ・親の陰謀(?) ・50代男性と付き合おうとしたら怒られました ※オメガバースですが、コメディですので気楽にどうぞ。 ※本編に入らなかったいちゃラブ(?)番外編は全4話。 ※6/20 本作がエブリスタの「正反対の二人のBL」コンテストにて佳作に選んで頂けました!

処理中です...