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溺愛編
追跡1
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長い脚で力強く船着き場の枕木を音を立てて踏み込み、ヴィオが無事地面に着地したのをセラフィンは固唾をのんで見届けた。ヴィオが宙を舞ったのは一瞬のことであったのに、酷く長く時間を引き伸ばされたような心地になるほど肝を冷やされた。幼い頃より野山を駆け巡ってきた、フェル族のヴィオにしてみれば造作もない動きなのかもしれないが、普通の人間には到底まねできることではない。現に見た目と違い運動が得意であるセラフィンであってもこの距離で川を飛び越せる自信はなかった。セラフィンはすぐさま船首の方を振り返り、人を掻き分け船頭の方につめ寄っていった。
「すまない! 船をもう一度桟橋に寄せてくれ!」
すると岸についたヴィオが大声でセラフィンに呼びかけてきた。
「先生! ごめんなさい! 腕輪を取り戻したら川沿いに次の船着き場まで走っていくから待ってて」
「ヴィオ! 待ちなさい!」
一度前に走り始めた船を後戻りさせる気は船頭にはさらさらないようだ。セラフィンは人にぶつかりながら必死で船尾に移動して少年を追いかけ、船着き場からどんどん離れてくヴィオの姿に、唇を噛みしめた。
「クソッ!」
やはり大切なものはひと時もその手から離してはいけないのだとそんな自戒が頭を過るが、よもやのんびりと船旅を楽しんでいるときの僅か数分後にこんなことになるとは誰が想像できただろう。
(ヴィオ、無茶だけはしてくれるなよ)
最早すでに無茶をしでかした後だが、見知らぬ街で世間知らずのヴィオがさらにどんな危険に飛び込んでいくのか考えるだに怖ろしい。こんな時はやはり甘い恋人というよりは幼くやんちゃな弟分としての彼の一面に振り回される。
次の船着き場で降り、ヴィオを迎えに行こうと固く決心し、ヴィオはゆっくりと遠ざかる岸辺に胸を焼かれ焦れた。
周りがざわついた気配を感じてヴィオの腕輪を掏り取った少年が振り返り、そこにいないはずのヴィオが綺麗に結い上げられた豊かな髪をわさわさと振り乱しながら必死に追いすがってくることに一瞬唖然とした。しかしフェル族らしい反射を見せてすぐさま逃げ駆け出した。
「まて! このっ!」
少年は本気を出せばすぐさまヴィオを巻ける思っていたのであろう。セラフィンとじゃれあい一緒にいる時のヴィオは、いかにも世間慣れしていないおっとりした人物に見え、よもやこんなふうに髪を振り乱して身の振りかまわず追いかけてくるような跳ねっかえりには見えなかったのだ。
初めはそこまで加速していなかった少年だが、ヴィオが全く離れずにぴたりと後ろにつき追いかけてくることに焦りと驚きを隠せない。
(やばい、こいつすげぇ足が速い)
ソート派の血を引く少年は一族の中でも俊足を誇り、さらに身体が大きく筋力もあることが自慢だった。同年代において力負けしたことなどないのだ。
後ろから追いかけてくる少年と青年の端境期のような男は、自分と年の頃も変わらないように見えた。
作戦を変更し、腕輪を落とさぬように背負ったバッグのポケットの中に放り込み、本格的に腕を振り走り始めた。地の利がある少年にとって、この辺りは庭のようなもので、闇雲に走って巻くことにしたのだ。
ヴィオの方も、あっさり追いつき容易に掴まえて桟橋に戻るつもりが、どんどんとわからない街の中に入り込むことは気になりつつ、見事な走りっぷりの少年に中々追いつけなくてイライラを募らせていった。
日頃人様を悪しざまに言うことのないヴィオだが、こんな理不尽な目にあったことで怒りが収まらない。
(どうしてこんなことするんだ! 高価なブレスレットだから狙われた? 僕より年下だろうに! ロクな大人にならないぞこいつ!)
「おい! とまれ! 腕輪を返せよ!」
その呼びかけにも答えない少年とヴィオは明らかに観光客は通らなそうな、店の裏手の軒先を走り抜けていく。店から出てきた人が驚いて飛びのいたり、雑草を踏みしだき、足元に置かれた植木鉢やいらなくなった酒瓶など雑多に置かれたものたちを二人は一見息があったような動きで飛び越えていく。
幾らは走っても息も乱さずに追ってくる猟犬のようなヴィオに、見た目よりもずっと手ごたえがあると思った少年は、最後の手段のように急に右に曲がってあえて袋小路に入り込む。目の前には周りをうっそうとした枝ぶりの朱赤の花が咲く植物に覆われた一部崩れたレンガの壁があった。
(追い詰めた!)
ヴィオは獲物をついに追い詰めたとににやりと笑って、彼が立ち止まった瞬間に飛び掛かろうと次の動きを頭に描く。
しかし彼は慣れた動きで良く茂った木に足をかけると、反動を使って壁に手をかける。そして壁の上で一瞬ヴィオを見やるとまるで猫が高いところから人を嘲笑うかのような仕草を見せて一足飛びに壁の向こうに消えていった。
「え! そんな!」
「すまない! 船をもう一度桟橋に寄せてくれ!」
すると岸についたヴィオが大声でセラフィンに呼びかけてきた。
「先生! ごめんなさい! 腕輪を取り戻したら川沿いに次の船着き場まで走っていくから待ってて」
「ヴィオ! 待ちなさい!」
一度前に走り始めた船を後戻りさせる気は船頭にはさらさらないようだ。セラフィンは人にぶつかりながら必死で船尾に移動して少年を追いかけ、船着き場からどんどん離れてくヴィオの姿に、唇を噛みしめた。
「クソッ!」
やはり大切なものはひと時もその手から離してはいけないのだとそんな自戒が頭を過るが、よもやのんびりと船旅を楽しんでいるときの僅か数分後にこんなことになるとは誰が想像できただろう。
(ヴィオ、無茶だけはしてくれるなよ)
最早すでに無茶をしでかした後だが、見知らぬ街で世間知らずのヴィオがさらにどんな危険に飛び込んでいくのか考えるだに怖ろしい。こんな時はやはり甘い恋人というよりは幼くやんちゃな弟分としての彼の一面に振り回される。
次の船着き場で降り、ヴィオを迎えに行こうと固く決心し、ヴィオはゆっくりと遠ざかる岸辺に胸を焼かれ焦れた。
周りがざわついた気配を感じてヴィオの腕輪を掏り取った少年が振り返り、そこにいないはずのヴィオが綺麗に結い上げられた豊かな髪をわさわさと振り乱しながら必死に追いすがってくることに一瞬唖然とした。しかしフェル族らしい反射を見せてすぐさま逃げ駆け出した。
「まて! このっ!」
少年は本気を出せばすぐさまヴィオを巻ける思っていたのであろう。セラフィンとじゃれあい一緒にいる時のヴィオは、いかにも世間慣れしていないおっとりした人物に見え、よもやこんなふうに髪を振り乱して身の振りかまわず追いかけてくるような跳ねっかえりには見えなかったのだ。
初めはそこまで加速していなかった少年だが、ヴィオが全く離れずにぴたりと後ろにつき追いかけてくることに焦りと驚きを隠せない。
(やばい、こいつすげぇ足が速い)
ソート派の血を引く少年は一族の中でも俊足を誇り、さらに身体が大きく筋力もあることが自慢だった。同年代において力負けしたことなどないのだ。
後ろから追いかけてくる少年と青年の端境期のような男は、自分と年の頃も変わらないように見えた。
作戦を変更し、腕輪を落とさぬように背負ったバッグのポケットの中に放り込み、本格的に腕を振り走り始めた。地の利がある少年にとって、この辺りは庭のようなもので、闇雲に走って巻くことにしたのだ。
ヴィオの方も、あっさり追いつき容易に掴まえて桟橋に戻るつもりが、どんどんとわからない街の中に入り込むことは気になりつつ、見事な走りっぷりの少年に中々追いつけなくてイライラを募らせていった。
日頃人様を悪しざまに言うことのないヴィオだが、こんな理不尽な目にあったことで怒りが収まらない。
(どうしてこんなことするんだ! 高価なブレスレットだから狙われた? 僕より年下だろうに! ロクな大人にならないぞこいつ!)
「おい! とまれ! 腕輪を返せよ!」
その呼びかけにも答えない少年とヴィオは明らかに観光客は通らなそうな、店の裏手の軒先を走り抜けていく。店から出てきた人が驚いて飛びのいたり、雑草を踏みしだき、足元に置かれた植木鉢やいらなくなった酒瓶など雑多に置かれたものたちを二人は一見息があったような動きで飛び越えていく。
幾らは走っても息も乱さずに追ってくる猟犬のようなヴィオに、見た目よりもずっと手ごたえがあると思った少年は、最後の手段のように急に右に曲がってあえて袋小路に入り込む。目の前には周りをうっそうとした枝ぶりの朱赤の花が咲く植物に覆われた一部崩れたレンガの壁があった。
(追い詰めた!)
ヴィオは獲物をついに追い詰めたとににやりと笑って、彼が立ち止まった瞬間に飛び掛かろうと次の動きを頭に描く。
しかし彼は慣れた動きで良く茂った木に足をかけると、反動を使って壁に手をかける。そして壁の上で一瞬ヴィオを見やるとまるで猫が高いところから人を嘲笑うかのような仕草を見せて一足飛びに壁の向こうに消えていった。
「え! そんな!」
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