香りの献身 Ωの香水

天埜鳩愛

文字の大きさ
155 / 222
溺愛編

アダン2

しおりを挟む

つまらない生活、代わり映えしない日々。何にも夢中になれず、くすぶり続けて生きてきた。

そんな鬱屈した思いが弾け、何の罪のない少年に八つ当たりした結果がこれだ。取り返しがつかない愚かなことをしてしまったことを意識した瞬間身体が大きくぶるりと震えた。


「おい! アダン! その子どうしたんだ?」

ここの街はどこに行っても知り合いばかりだ。それでも店の裏手ばかりを選んで歩いてきたはずが、そんなときだけ彼はタイミングよく表れた。頭に自分で染めた藍色の布を巻いた従兄弟のディゴに真正面から声をかけられ、アダンはのろのろと立ち止まった。背負った人物はそこそこ重く、うつむき気味に向いて歩いていたからディゴがいることに気づくのが遅れたことを後悔してももう遅い。
母親よりもある意味口うるさいところのある従兄弟は商品の入った大きな油紙を両脇に抱えたままつかつかと大股歩きでアダンにつめ寄ってきた。

「友達か? お前もその子もずぶ濡れじゃないか……。何があった? 怪我してるのか?」

様子がおかしく顔色の悪いアダンに、気づかわし気に声をかけてくる。上背のあるディゴは上から弟分とその背に負われた人物を覗き込むと、力なくがくっと首がゆれ、乱れた髪の隙間から覗く顔立ちにディゴが息をのんだ。

「ダニア……、なわけないな」

すぐさまアダンの顔を見降ろすが彼は目をそらし、川の水で濡れているはずなのにとても熱い少年のぐったりとした身体を背負いなおした。

ふらつきはしなかったものの、意識のないものを背負うのはコツのいる作業なようで、ディゴはみかねて大切な包みを地面に置いてまでアダンの背から少年の両脇に手を入れて抱え上げた。濡れた身体は滑りやすく、地面に一度置かれたため背中や髪、美しい色のブラウスも台無しなほどに泥だらけだ。

「おい、このままじゃ落ちそうだぞ。俺が代わる。お前は荷物を持て」

アダンはしばし逡巡したがもはやどんな言い訳をするのが良いかなどという知恵も上手く巡らなかった。顔色を失った日頃生意気な弟分の様子に、アダンは口調を努めて穏やかにすると傍らに歩み寄った。

「理由は後でゆっくり聞くから、背中のその子を休ませられる場所に行こうか。お前の家でいいか?」
「嫌だ……。この時間は母さんが戻ってきてる。兄さんとこ連れてっちゃダメか? あそこの離れ、貸してくれよ……」

学校帰りの普段通りの服装で、鞄を下げた姿なのに、アダンも背中に背負った子もしとどに濡れている。湖畔の湖水浴場で泳ぐことはあっても、わざわざ家の裏の川では泳がない。船が頻繁に行きかうし、なにより湖の方が水が綺麗だ。最近は仏頂面しかみせないアダンだがどちらかといえば親族相手にはより不遜なほどで、こんなにびくびくすることなどまずない。わざわざ友達とふざけあって川で落ちたという雰囲気ではないし、抱き上げた少年が目を醒まさないのがまず怪しい。ディゴは年長者らしく、とりあえずこんな道端にいる場合ではないと判断した。

(何があったか知らないが……。こいつちっこい頃から懐いてたダニアが出てってからずっと様子がおかしかったからな……。学校でも周りに当たり散らしていやしないかと思ってたが……。ついに何かやらかしたか……。俺の家の方がここから近い。休ませている間に医者を……。場合によっては警察も呼ばないといけないかもしれない)

ディゴの家は湖畔の本店近くにあるが、自分がまかされている店舗の裏にも彼が使っている部屋がある。物置小屋のように扱われていたそれを器用なディゴが一人で改装して、南国原産の珍しいぷっくりとした果肉の植物や作りかけの服、趣味の彫金の道具などに囲まれた雑多だがアダンには居心地の良い隠れ家のようになっている。なによりうるさい親がいないのがいいのだろう。五分も歩いてついたその家に足早に戻ってきた。

「それ、どかせ」

男性の一人暮らしらしいいかがわしい雑誌を寝台から払いのけ、ついでに上掛けもはぎとって足元にたわめておいた。

「洗面所の前の棚、タオルあるから持ってきてくれ」

二人で協力して彼を寝台に横たえると、手早く服を脱がして床に放り置き、とりあえず上掛けを被せて身体を覆った。
同性だとはわかっているのだが、なんとなく見てはいけないような心地になるのは何故だろう。
とりあえずまだ目を醒まさない少年を二人で見下ろしたのち、やっとほっとしたような顔をしたアダンの頭をディゴが強めに小突く。

「おい、アダン! どういうことか説明しろ」

アダンは自分もぐしゃぐしゃに濡れた綿のシャツを脱ぎ捨てて、14歳という年齢で同年代の中では逞しく厚みを増してきた浅黒い半身を晒した。

日頃は鷹揚な5つ年上の従兄弟も、流石にアダンのだんまりを腕を組んで許さぬ仕草を見せたから彼は不承不承というように呟いた。

「船の上で腕輪摺ったら、追いかけてきた」

全く持って言葉足らずな従弟のぶっきらぼうな返答に、頭を押さえてディゴは項垂れた。理由もなく人に意地悪をしたり暴力を奮うような子ではなかったのに、何がどう間違ってこんなことをしでかしてしまったのだろうか。寝台横にある自慢のロッキングチェアーに座ると、重みで今は無意味に椅子が傾いで傾き、ディゴは長い脚に肘をつき顔を覆って深いため息を吐いた。

「人のものを盗むなんて。なんでそんなことしでかしたんだ」

見た目だけは大分大人びてきたが、まだまだ心が揺れがちな時期のアダンは最近は親と口もきかず、ディゴが仕事から帰ってくると我が物顔でこの部屋に入り浸っていることも多い。最近ではディゴですらアダンが何を考えているのかもよくわからないが、彼の母親からも小さなころから兄弟同然に育ってきたので面倒を見て欲しいとお願いされているため、根気強く接してきた。

「ちゃんと話をしろ」

自分のしでかしたことをわかっているのだろうが、アダンは鬱陶し気にため息をつき、寝台の上で眠る少年を見下ろした。

「船で見かけたんだ。ダニアによく似てたから……。男といちゃついてるとこ見たら、なんか憎たらしくなって思わずやっちまった……。ただ揶揄ってやろうと思ったんだ。俺が船降りた後、まだ船にいたこいつに見せつけるようにしてやって……。驚いた顔見たから胸がすいたから。それでいいって思って、落とし物だって警察届けりゃいいかなって。そしたら船が出た後なのにこいつ、岸まで結構距離があったのに川飛び越えてきて……。追いかけてきたから諦めるだろうと思って、レンガ壁のとこ、あそこ飛び降りるふりして下降りてたら、すげぇ勢いで飛び越えてきて、川に落ちて、多分頭川底に頭打ったんだと思う。上がってこなかったから俺が川に入って引き上げた」

「お前! なんて馬鹿なことを! この子頭打ってるのか……。打ち所が悪くて起きないのかもしれないだろう、医者に見せないとまずいな」

「悪かったよ……」

「それは起きたら本人に言うんだな! 往診してもらえるか、先生のとこいってくる。一刻以上かかるから、お前はこの子をちゃんと見てるんだぞ! 連れの男がいたんだよな? 探しているかもしれないが、まずは医者だな。その後警察に行く。お前も連れて行くから覚悟しとけよ」
「……わかった」

警察、の単語に僅かに頬をこわばらせたアダンの肩を立ちあがったディゴが力強く叩く。

「俺も一緒に行くから心配するな。馬鹿な事考えないで大人しくここにいるんだぞ」

そういってにかっと笑うと適当な服をアダンに投げつけて急ぎ足で出ていった。

(仕事もあるのに……。ごめん、ディゴ兄さん)

素直に口には出せなくて、心の中でだけアダンは詫びだ。
そして物足りないなんて思ってすまなかったなとも思う。ダニアに見る目がないだけで、ディゴは本当に寛容で面倒見がよく、いい男だ。

だからこそ悔しくて……。二人が結婚するものだと思っていたアダンはひそかに憧れていたダニアがこの街を出て他の男のもとに行ったことに、二重に裏切られた気持ちになり、この半年ずっと鬱屈を貯め続けてきた。

それが目の前の少年に怪我を負わせるという最悪の形で一番駄目な方向で爆発したのだ。己の未熟さに嫌気がさし、アダンは項垂れ、足元に転がっていた酒瓶を蹴り付け、逆に痛い思いをしたのだった。




しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

二人のアルファは変異Ωを逃さない!

コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
★お気に入り1200⇧(new❤️)ありがとうございます♡とても励みになります! 表紙絵、イラストレーターかな様にお願いしました♡イメージぴったりでびっくりです♡ 途中変異の男らしいツンデレΩと溺愛アルファたちの因縁めいた恋の物語。 修験道で有名な白路山の麓に住む岳は市内の高校へ通っているβの新高校3年生。優等生でクールな岳の悩みは高校に入ってから周囲と比べて成長が止まった様に感じる事だった。最近は身体までだるく感じて山伏の修行もままならない。 βの自分に執着する友人のアルファの叶斗にも、妙な対応をされる様になって気が重い。本人も知らない秘密を抱えたβの岳と、東京の中高一貫校から転校してきたもう一人の謎めいたアルファの高井も岳と距離を詰めてくる。叶斗も高井も、なぜΩでもない岳から目が離せないのか、自分でも不思議でならない。 そんな岳がΩへの変異を開始して…。岳を取り巻く周囲の騒動は収まるどころか増すばかりで、それでも岳はいつもの様に、冷めた態度でマイペースで生きていく!そんな岳にすっかり振り回されていく2人のアルファの困惑と溺愛♡

【本編完結】あれで付き合ってないの? ~ 幼馴染以上恋人未満 ~

一ノ瀬麻紀
BL
産まれた時から一緒の二人は、距離感バグった幼馴染。 そんな『幼馴染以上恋人未満』の二人が、周りから「え? あれでまだ付き合ってないの?」と言われつつ、見守られているお話。 オメガバースですが、Rなし全年齢BLとなっています。 (ほんのりRの番外編は『麻紀の色々置き場』に載せてあります) 番外編やスピンオフも公開していますので、楽しんでいただけると嬉しいです。 11/15 より、「太陽の話」(スピンオフ2)を公開しました。完結済。 表紙と挿絵は、トリュフさん(@trufflechocolat)

ちゃんちゃら

三旨加泉
BL
軽い気持ちで普段仲の良い大地と関係を持ってしまった海斗。自分はβだと思っていたが、Ωだと発覚して…? 夫夫としてはゼロからのスタートとなった二人。すれ違いまくる中、二人が出した決断はー。 ビター色の強いオメガバースラブロマンス。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

Accarezzevole

秋村
BL
愛しすぎて、壊してしまいそうなほど——。 律界を舞台に織りなす、孤独な王と人間の少年の運命の物語。 孤児として生きてきた奏人(カナト)は、ある日突然、異世界〈律界〉に落ちる。 そこに君臨するのは、美貌と冷徹さを兼ね備えた律王ソロ。 圧倒的な力を持つ男に庇護されながらも、奏人は次第に彼の孤独と優しさを知っていく。 しかし、律界には奏人の命を狙う者たちが潜み、ソロをも巻き込む陰謀が動き始める。 世界を背負う王と、ただの人間——身分も種族も違う二人が選ぶのは、愛か滅びか。 異世界BL/主従関係/溺愛・執着/甘々とシリアスの緩急が織りなす長編ストーリー。

【完結】陰キャなΩは義弟αに嫌われるほど好きになる

grotta
BL
蓉平は父親が金持ちでひきこもりの一見平凡なアラサーオメガ。 幼い頃から特殊なフェロモン体質で、誰彼構わず惹き付けてしまうのが悩みだった。 そんな蓉平の父が突然再婚することになり、大学生の義弟ができた。 それがなんと蓉平が推しているSNSのインフルエンサーAoこと蒼司だった。 【俺様インフルエンサーα×引きこもり無自覚フェロモン垂れ流しΩ】 フェロモンアレルギーの蒼司は蓉平のフェロモンに誘惑されたくない。それであえて「変態」などと言って冷たく接してくるが、フェロモン体質で人に好かれるのに嫌気がさしていた蓉平は逆に「嫌われるのって気楽〜♡」と喜んでしまう。しかも喜べば喜ぶほどフェロモンがダダ漏れになり……? ・なぜか義弟と二人暮らしするはめに ・親の陰謀(?) ・50代男性と付き合おうとしたら怒られました ※オメガバースですが、コメディですので気楽にどうぞ。 ※本編に入らなかったいちゃラブ(?)番外編は全4話。 ※6/20 本作がエブリスタの「正反対の二人のBL」コンテストにて佳作に選んで頂けました!

処理中です...