忘れられない、人がいた

鳩愛

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5気晴らし

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(……また考え事してた)

 出来立ての魔法薬の小瓶に蓋をして、綺麗に小布でふきあげてからイリゼは居住空間の方に戻っていく。
 店を再開後何も考えたくないと必死に働き通しできたが、流石に疲れてきた。明日は休もうと決めたのに、これから一人で過ごす夜が酷く長くつまらなく侘しい。
 忘却の魔法の後、お店を再開させてから何も考えたくなくて二週間休みなく仕事をしてきたが、やることをすべて終えたら何をしていても気がつくとダイのことを考えてしまう自分がいる。

(思い切ってでかけてみるかな……。大分暖かくなってきたし、街を歩くのもいい。そう、たまには酒場にでも出かけてみて明日はゆっくり過ごしてみるのもいい)

 そう思って気晴らしに外に出かけたのはいいが、ばったり出会ったらどうなるのかと思いつつも、ついついダイと訪れたことのある店の前ばかりうろうろとしてしまう。行動範囲を広げずに生きてきたイリゼにとって、長く住んでいるこの街であっても、知っている店はそう多くはないのだ。

「君、一人? 店に入らないの?」

 中から聞こえてくる賑やかな笑い声に惹かれ、店の扉をじっと見つめたまま入るか入るまいか迷っていたら、後ろから声をかけられて振り向いて驚いた。顔見知りではなかったが、よく知っている制服は護衛兵のものだったからだ。

(今日はこの制服をよく見るなあ。まだ若い。俺の見た目と同じぐらいかな?)

 訓練生だろうか? まだ年若い青年たちは見た目だけならば彼らと同年代の成人したてに見えなくもない、小綺麗な顔をしたイリゼに気安く声をかけたようだ。

「一人だよ」
「じゃあ、よかったら、俺たちと一緒に呑まない? 他にも仲間が大勢来るから、一人で飲むよりきっと楽しいよ?」
(まあ、不思議ではないか。このあたりの店は護衛兵団の若い人も行きつけの店が多いものな。……でもまあ護衛兵団にまた知り合いができたらダイに薬を渡してあげられるツテができるかもしれないし……)

「じゃあ、一緒に飲もうかな」

 じわじわと孤独に浸っていた心が少しだけ明るく上向いた気もして、彼らに続いて扉をくぐったら、少し前に見たばかりの顔が相好を崩して、仲間と思いがけない連れであるイリゼを目にし椅子を倒しながら立ち上がった。

「イ、イリゼさん!!」
「ああ、君。昼間はご来店ありがとう。薬効いた?」
「おかげさまですっきりしてます!! 仕事に身が入りました」
「あー。お前が言ってた若いのによく効く魔法薬をつくる、すごい美人の店主さんがいるって」

 今まで仕事に身が入っていなかったのかよ? お前、顔が真っ赤じゃないか照れてるのか? などと昼間店に来た青年を中心として、ひとしきり騒ぎ盛り上がった後、制服姿以外にもいろいろな格好をした若者たちが椅子を次々と引いて席を空けてくれた。
 イリゼ自身はあまり気にしたことはないのだが、イリゼには元々この国に住んでいた華奢な人々の特徴が色濃く残っているので、今どきの混血が進んだ体格のいい若者たちから見ると大分可憐に映るようなのだ。
 客商売では柔和な容姿は役に立つことの方が多く、生来愛想の良いイリゼはにこにこっと笑って彼らの熱い視線を尻目に手前の席に腰を掛けた。

(たまにはいいよな……。今夜は酒に酔ってみたい気分だ。あんまり飲めないけど)

 酒に強い方ではないイリゼは家に帰りつけなくなってしまったり、自分の身の回りのことがおろそかになりそうで、外ではおろか家でもまず嗜まないようにしている。

(ダイといる時は外でも安心して飲めたよなあ。ちょっと前、護衛兵団の人たちとも一緒に飲んだっけ。彼らよりもっと上の階級の人たちだったから落ち着いていて、もっと静かだったよなあ。そうそう。お酒を飲んでふわふわした心地が楽しいって教えてくれたのも、ダイだった)

 若い彼らはとても賑やかで湯気の上がる山盛りの料理や盃になみなみと注がれた酒を次々と飲み食いをしている。訓練がひと段落して、あとは所属が決まる前、決起するために集まっていたのだそうだ。皆が楽しそうに笑いあって騒いでいる間に身を置き、イリゼは誰からも忘れ去られた自分にもまだこの街にまだ居場所があったような安らいだ心地になった。

 厳しい上官に対する仲間内だけで通じるような面白おかしい噂話やら、訓練が終わったら城下町より遠い地域の配属になるかもしれないから、今のうちに街の美味しいお店に行っておきたいという若者らしい願いやら話題は尽きない。
 話題はイリゼの店に至り、昼間はあんなに大人しそうだった青年が、皆の前で得意気な顔をしてイリゼの作る不思議な魔法薬を自慢していった。

「とにかくこの若さで腕が良くて、見たこともないような綺麗な色で光り輝いている魔法薬が所狭しと棚に並んでいるんだ。今の俺の給料じゃ手が出ないけど、一見の価値がある、綺麗なアミュレットも沢山あった。姉さんがすごく欲しがってたなあ。イリゼさん、いつかは俺も是非一つ欲しいと思ったよ。なんというかあの柔らかい輝きは、あんたの優しさそのものに見えたんだ」
「そんな風に思ってくれていたんだ。ありがとう」
(ぼーっとしてる子かと思ったけど、この子もちゃんと俺の店のことよく見てくれていたんだな)

 イリゼはちょっと胸が熱くなってしまった。
 宝石を使った高価なものはなく、敢えて少し頑張れば庶民でも手に取りやすい半貴石とそれを留める金属。北に生える木目の詰まった木々を台座として組み合わせたイリゼの店でしか扱っていない商品だ。石自体イリゼの魔力を込めなおしているから中に煌く細かな粒子が巡り、ぼわっと仄かな灯りを宿して、それを眺めれば心身ともに癒されると評判だ。
 数年に一度まとめて遠方にある工房で作業をしている父方の一族から送られてくるので長らく在庫切れになっていたが、今回の新装開店に合わせてとっておいた一押しの品々と言えた。

(……もう人と関わるのは辛いからやめようって思ったけど。でもやっぱりいいな。誰かと話すの、人の輪の中にいるのって)

「俺もこの時期鼻風邪がなかなか治らなくて。今度店に行きますね?」
「こ、こいつによれば、意中の相手にアプローチできる薬もあるとか?」

「すごい技術だ。貴方には師となった方はいらしたんですか?」
「みなさんを、まってますよ、俺はどこにもいかないです」

 皆に質問攻めにされたが、やや酔いが回ってきたらしい。眠たそうにとろんとした表情で微笑みを浮かべ、頬杖をついて赤い舌で酒をちびりちびりと舐めたイリゼの上気した頬、長い睫毛、赤い唇に青年たちは皆釘付けになった。
 脱力しずるずると傾いてきたイリゼを支えてやろうと、隣にいた客の青年ははじめは肩にそっと触れ、しかしぐらりと頭が揺れたことに慌てて、力を込めて引き寄せる。下を向いた拍子に露わになった薄紅色に染まるイリゼの項の色香と上品な花に似た甘い香りにごくりと生唾を飲み込んだ。

「……イリゼさん、ちょっと飲み過ぎじゃない? 俺が送っていこうか?」
「ん……。まだのみたい。でもぉ。……ねむいから、かえる」

 やんわりと青年の腕をはらって、イリゼはすくっと立ちあがった途端にへにゃりとまた身体を傾がせた。慌てて青年が腕を伸ばして、イリゼを受け止めた身体の儚い華奢さに彼は顔を真っ赤にして狼狽えながらも、自分以外の男たちもあわよくば送り狼に変じそうな雰囲気を察してイリゼを両腕でしっかりと囲い込んだ。

「無理だろ、こんな。歩けるのか? 背負ってあげようか?」
「おい、抜け駆けか?」
「俺も送るぞ!」

 イリゼは見た目よりはずっと逞しい青年の腕に抱かれたまま、人肌の温みに寂しい気持ちがあふれ出して、水晶のように煌く小さな涙をぽろっと零す。唇が音を紡がずに恋しい男の名を呼んだが、誰に気づかれることもない。

「おい! 大変だ。上官がいらしたぞ」

 俄かに周りが急にまた騒がしくなったが、周囲の声が酔いのせいで遠くの雑踏のように感じてイリゼの耳では意味をなさない。イリゼは青年の腕に抱かれたまま、うとうとと僅かな間眠りの淵に落ちていった。
「お前たち。配属を控えた最後の休みだからといって羽目を外しすぎるんじゃないぞ。いい加減宿舎に戻ってこい。我々に手間をかけさせるな」
「……おい、嘘だろ。副団長もいらっしゃる」

 後ろに控える大柄な赤毛の男にその場にいた若者たちが一斉に立ち上がって、最敬礼の動作をとった。イリゼを抱えている青年はややもたつきながらの動きが目立ち、副団長とその部下である直属の上官の目に止まってしまう。

「なにをやっているんだ?」
「……その人は?」

ヒヤッとするような響きを含んだ鋭く低い声に青年は震えあがりながら、背筋を伸ばす。

「はい! 行きつけのお店の店主の方ですが、一緒に酒を飲んでおりましたところ、この通り酔いが回ってしまったようなので、私がこれから送っていく予定です」
「お前が?」
「はい! 世話になった方なので、私が」
「世話になった?」

 彼らの長卓の周りだけすっかり静まり返っていた中、コツコツと踵を響かせて青年の前に赤毛の上官が歩み寄ってきた。

「お前、名前は?」
「はっ。ジェイ・ラコスです」
「……この酒場の店主は元、青薫寮の寮監だったんだ。お前たちが門限を破るんじゃないかと気を使って迎えをよこしてくれと、寮に使いが来たんだ。その方は私が送っていこう」

 ぎょっとしたのは青年だけでなく、副団長の直属の部下の青年も同じだった。

「ええ? 貴方はあれだけここに来るのを嫌がってたのに、いいんですか? 何か予定があったんじゃないですか?」
「いや。お前はこいつらを寮まで引率していけ。以前のように酔っぱらって表で仲間内の喧嘩でも起こされてはかなわん」
「……イリゼさん? 起きて?」
 優しく肩を揺らされて、眠ってしまっていたイリゼは長い睫毛をぱちくりと開くが視界が定まらず、ふわふわとした浮遊感を感じ足元がぶれて見える。
「なあに……。おれ、かえれるよ?」
 無駄のない動きですっと腕を目の前に差し出され、ぼんやりとした視界に映ったその手に見覚えがあって、イリゼの酔いは引いた血の気と共に一瞬にして醒める。

(……この、手)

 忘れもしない。特徴的な武具を扱う人間特有のタコのある硬そうな指先。浅黒い肌に少しもイリゼの肌に傷をつけたくないからなどと嘯いた、綺麗に手入れが行き届いた爪。

「さあ。部下たちのせいで飲み過ぎてしまったのかな? その咎は私が負うとしよう。私を家まで案内できるかな?」

 声を聞いたらもう、紛れもない。
 あんなに聞きたかった。しかしもう二度と間近で聞くことはない、否、聞いてはならないと思っていた、その深みと説得力のある男らしい美声。
 イリゼは身の内から震えが止まらなくなり、それが歓喜からなのか恐怖からなのか分からないままゆっくりと顔を上げていった。

「……」

 そして想像通りの青い瞳と後ろに撫ぜ付けられた紅蓮の頭髪を認めて息をのむ。

(まさかこんなに早く……)
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