忘れられない、人がいた

天埜鳩愛

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6再会

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「私はルーチェ護衛兵団のダイ・フォース副団長だ。初めまして。麗しい人。君の名前を聞いてもいいかな?」

 心の準備が伴わないまま初めて再会した元恋人は、別れる前と寸分たがわぬ姿で、だが瞳に宿る光はどこかぎらりと怖ろし気にも見えた。
 酒のせいだけではない顔の赤らみと胸の鼓動が止まらず、手を差し出そうか迷う嫋やかなイリゼの白い掌は、たっぷりと優美な白い袖を揺らしてあっという間にダイの硬い掌に掬い取られて、優しくも振りほどけぬ絶妙な力加減で握られる。そして足元がふらついていることを見抜かれて、巧みに抱き寄せられた。胸元はふわりと懐かしいダイの香りがして、酒の力で緩み切った涙腺がついには崩壊してしまい、イリゼはこの二週間こらえていた思いがあふれ出し、ぼろぼろと涙を零してしまった。

「イリゼさん? 気分が悪いの?」

 イリゼの異変に気がついた青年が手を伸ばしてきたのを、思いがけぬ強さでダイが払いのけたことに周りが一瞬凍り付いたように静まり返った。
 ダイ・フォース副団長が国の精鋭が集うという王室直属の近衛騎士団の中でも将来を嘱望されていたという話は有名で、この地に舞い戻ったのは愛郷心に熱いからともっぱらの評判だった。若くしてその地位についただけはあり、周りから軽んじられることなきよう厳しいことで有名ではあったが、青い瞳に冴え冴えと冷たい怒気を孕ませて、部下を睥睨するような真似は一度たりともしたことはなかった。

「……あっ」

 叩かれた掌を逆の手で無意識に摩りながら青年が自分がどんな不敬をしてしまったのかと言葉を失い青ざめる。一瞬だけぎょっとした表情を見せたダイ直属の部下が慌てた様子で間に入りとりなしていった。
 ぴりついた空気にイリゼはぼろぼろっと大粒の涙を零したのちは、それを拭ってなんとか止めようと繋がれていない手を口元にあてダイを仰ぎ見る。
 彼はさらに力を込めてイリゼの手を握りこむと、まだ青年を睨みつけたままだ。その端整な横顔に浮かぶ厳しい表情がまるで自分に向けられているような心地になってイリゼは恐ろしさで嗚咽が漏れそうになるのを何とかとどめ、青年に向かって力なく微笑む。

「だいじょうぶ、だから。……おくっていただくから」
「……イリゼさん」

「お前、いいから副団長に任せておけって。みんな!   よく聞け!    ここの支払いは全て、副団長さまが持つぞ。ダイ、いいよな? 皆にご馳走してくれよ?」

 黒髪の青年は部下でもあるが、ダイにとっては同じ街で育った幼馴染でもある。良く知るダイの彼らしくない行動が引き起こした異様な雰囲気を打開しようと、彼なりに気を使ってくれたのだろう。
 ダイが腰に吊り下げていたズシリと重そうな革袋を投げてよこしたから、彼はそれを高々と掲げわざと明るい声を張り上げた。

「さあ、お前たち。楽しい会もお開きだ。とっとと宿舎に帰るんだな」
 奢りとなると若者たちは急に元気を取り戻し、口々にダイに礼を言うと大人しくぞろぞろと出口に向かっていく。青年ももう一度ぺこりと頭を下げて気づかわし気にイリゼに目線をやったが、イリゼはもう彼に言葉を返す元気もなくしていた。

(……仕事中のダイはとても厳しい人だって聞いた。俺が彼に規律を乱すようなことをさせたから怒っているのかな)

 しかし握られている左手の指輪になにか硬いものが当たり、カチャリという金属音が伝わる感触がして、イリゼはさらに血の気が引いてきた。

(指輪……)

 都に旅立つ前、確かに彼の指には指輪のようなものは嵌められていなかった。怖くて手元を見られないが、手探りで察しても婚姻を結んだあとに互いに身に着ける右手の薬指であるかどうかまでは判じられない。
 イリゼはダイから贈られた指輪の大きさが右の薬指には小さくて、仕方なく左の薬指に着けていたのだ。それというのもその指輪が元々はイリゼの為に作られたものではなかったからだ。

『これは俺の一族に伝わる大切な指輪だ。俺が父から譲り受けた。元は領主の直系の一族に代々伝わってきたそうだが、俺の祖先が武官としてこの地を護ることに貢献した際に贈られたのだそうだ。本当は対になる指輪がどこかにあるという話だが……。俺はお前にこれを身に着けていて欲しい』

 いつかはその対の指輪を見つけ出して自らも身に着けてくれると約束をして、ダイはイリゼの指に永遠の愛を誓いながら嵌めてくれた。しかしきっと、ダイはそんな約束を全て忘れてしまったのだ。

 少し高めの台座に夜をも焦がす焔の如く妖しく輝く大きな赤い石を中心に、台座にも小さくも強い光を放つ深淵の青の宝玉が脇石として存在感を放つ。まるでダイの姿と鮮やかな色彩を体現したような指輪は、初めて恋人から贈られたイリゼにとっては何にも代えがたい宝物だった。
 本当は伴侶になる人に渡さねばならない指輪だったのだろうが、イリゼはダイの身代わりのように感じどうしても返したくなくて、思い出の縁にと肌身離さず持ち続けていた。
 きっともう、ダイは誰からも祝福される伴侶を得て、真新しい指輪をその指にはめているのだ。
 これがダイにイリゼが望んでいた答えの全てであるというのに。思い浮かべただけでもまた涙が零れそうになる。

(……いけない。この指輪はダイの家の宝なんだ。もしも俺がしているなんて知られたら、不審に思われる。俺が盗んだか何かしたかと疑われる。でも……)

 どうしても外したくない。
    見咎められる前にひとりでかえらねば。
 ぎゅっと目を瞑り、色々な意味で目の前が真っ暗になる。やはり完全には酔いが醒めていない頭で考えた浅知恵で、ダイから離れようと素早く二・三歩踏み出そうとしたが、再びふらついたイリゼの足元から掬い上げるようにダイが自然な流れで抱き上げた。

「だめ、おれ。歩けます」
「歩き回ったら酔いが回る。大人しくしているんだ」
「おれ……」
「……それとも。あの男の方が良かったのか? 」

 離れようとしたイリゼの顔を覗きこんできた瞳は哀しさと憤りが織り交ざったような複雑な表情を見せていたので、イリゼは堪らなくなって大きく首を振る。またグラグラと目の前が回って、ダイの胸にかつてのように全幅の信頼を持ってくたりと身を預けた。
 こわばりの抜けたイリゼの細い身体を抱きながらダイは一度息をのむと、大人しくなった彼を何とも言えぬ表情で見下ろしてから支払いのために戻ってきた部下に声をかけた。

「俺はもうこのまま上がるから、お前はその金で一杯ひっかけてから帰れ」
「えー。帰ってきて俺と一緒に飲みましょうよ?    王都でのお話聞かせてくださいって?」
「……」

 応えぬダイの腰に革袋の財布だけ吊るしてよこすと、にたりと悪そうな顔で赤毛の上司を揶揄った。

「知らなかったな? 貴方、そんなに親切な人でしたっけ? 」

 また酔いがぶり返し、赤く甘い果実のように見える唇から喘鳴を繰り返すイリゼの艶っぽい顔を、ダイは覗きこまれまいともとれる仕草で身をひるがえす。

「体調が悪そうだから連れ帰って様子を見てやるだけだ」
「ふーん。えらく美人だからって、手を出しちゃだめですよ。貴方には心に決めた人がいるんでしょ? 王都から帰ってくるなり惚気られて、こちらはいい迷惑ですよ。ああ、その子の店の場所を聞きましたよ。あいつが言うには街はずれの……」

 ぐるぐると酔いが回り、ずっと遠くに聞こえるやり取りだったが、イリゼにとって最も決定的な、「心に決めた人がいる」だけがいやにはっきりと聞き取れた。また小さく涙が滲んだが、イリゼは暖かな胸に頬を擦り寄らせ唇の動きだけで「ダイ」と、もう直接呼ぶことはないと思い詰めていたその名を刻む。

(明日にはまたちゃんと手放すから……。今夜だけ。今夜だけでいいから、またダイと一緒にいられたら、俺はもう……)

 うっとりとした表情で眠るふりをするイリゼを軽々と抱いたまま、ダイはゆっくりと踏みしめるように歩いていく。頑健で危なげのない両腕に抱かれ、揺りかごのように優しく揺られながら、イリゼは刹那の幸福感に満たされた。

気がついたらイリゼは本当に眠っていて店の裏手の河原で空瑠璃の花々に囲まれるように座る、ダイの膝に抱かれたまま川風に吹かれていた。
 イリゼの身体はダイの大きな上着に包まれていて、まるでおくるみに大切に包まれた赤ちゃんのような状態だ。

「気がついたか?」

 風がザワザワと空瑠璃を揺らす度に甘い香りが立ち上る。見上げれば雲が次々とちぎれて流されていき、まん丸に近いやや黄味色がかった愛らしい月が天頂近くに上っていた。気づかわしげな表情を見せるダイの端正な美貌を皓々と照らす。

「あの……。眠ってしまってた。ごめんなさい」
「いいんだ。……久しぶりに俺もとてもゆっくりできた」

 起き抜けのせいかイリゼが素直に謝ると、ダイの方もいつもの彼のように穏やかな口調に戻っていてダイの腕に頭を載せたまま額から顔に降りかかった髪を優しく触れて直してくれた。
 そのまま優しい仕草で何度か頭を撫ぜられ、あまりに心地よくてイリゼは瞳をすうっと細め月光に耀く長い睫毛を伏せる。唇も僅かに開き、甘い吐息を迸らせた。
 ダイは柔らかそうなイリゼの唇に魅入られたような心地になり、指先をそっと触れると、イリゼは思わずいつもの癖でそれを上下の唇を柔く合わせて官能的な雰囲気を醸し出しながら誘うように食んだ。

「……っ!」

 月の光に照らされたイリゼの白い面差しは神聖さすら感じるのに、蠱惑的な唇の色香にダイは魅せられ、惑う。
 沈黙ののちゆっくりと顔が近づいてくる気配を感じ、イリゼは咥えていた指を放し、迎え入れるように赤い唇を薄っすら隙を見せるように開くが、待ち望んでいる狂おしい口づけは襲ってこなかった。
 ややあってイリゼの誘惑に打ち勝ったダイが身を起こし、イリゼは再び抱きかかえられた。

「……まだ夜は冷える。家に帰りなさい」
「……」

 未練がましい眼差しをダイの唇の辺りに向け瞳を潤ませたが、もう家の方に向き直ったダイはイリゼに目もくれずに迷いない足取りで扉に向かった。
 ダイの首に腕を回して降ろされないように抵抗したが、彼は扉の前に立ったままイリゼの挙動を伺っている。しぶしぶといった形でイリゼはダイの筋肉の張りが伝わる首から腕を離すと地面にゆっくり下ろしてもらった。
 扉は魔力で施錠がなされている。イリゼが許可したものしか入れない仕組みになっているから鍵など本来は必要ないのだが、服の中にしまっていた首から下げていた鍵を取り出し、カチャリと開錠する。

「……まだ酔いが醒めていないのだろう? 顏が赤い。ゆっくり休むんだぞ」

 そう言って踵を返そうとしたダイの、上着を身に着けていない剥き出しの腕を掴んで、イリゼは思わず上目遣いに縋るようにダイを見上げながらか細い声で呟いた。

「……あの、なにか飲んでいかれませんか。親切にしていただいて……。お礼も、出来てないから」

 さわさわと波立つイリゼの心にも似た風が二人の間を吹き抜け、また乱れた髪をイリゼが耳にかけようと瞳を細めた時、一瞬目を反らしたダイはぐっと獣が歯を剥くような激しい表情を見せて、すぐにまた穏やかな顔を取り戻す。

「……お招きに感謝する」
「……狭い家ですが、どうぞお入りください」

 家の中に入ると、イリゼは先にダイを通した後、彼の死角から魔力をきっかけに光を放つ魔法石を軸としたランプに次々と明かりを灯す。
 ぼんやりと壁や床に浮かぶ灯りは赤や緑と色とりどりで、母や祖母の頃からこの家にあるものだ。

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