香りの鳥籠 Ωの香水

天埜鳩愛

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番外編 貴方の香りに包まれたい6

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 翌朝目が覚めてランはぎょっとした。着衣してない身体に重たい筋肉質な兄の腕が巻き付いたままで、背中からはなぜかゴワゴワとした素材の衣服が素肌に直接当たる感覚が伝わってくる。背中を触ってみたらジャケットについたボタンの形にへこんでいてびっくりしてしまった。痛いわけだ。
 そもそもいつものようにランの横に寝ている兄は、一体いつ帰ってきたのか。眠る前の記憶が曖昧で混濁しすぐには思い出せない。

 メテオの方は海に出かけて日に焼けた逞しい上半身を眩い朝日に晒し、下半身は腰までズボンがずり下がった状態だ。上質なチャコールグレーのズボンがぐしゃぐしゃな上にところどころ汚れてしまっている。
 兄の腕をゆっくりとどかしながら見回すとランプシェードは両方ともついたままで、部屋のドアも開いたまま。窓からカーテンを揺らして風が吹き込み、ランはぷるっと身体を震わした。

「兄さん」

 呼びかけても瞼がぴくりとするほどの反応すらない。眠っていてもわりと呼びかければすぐ起きる方の兄なのだが、疲れ切っているのか今朝は全く起きる気配がないのだ。
 ランは柔らかな微笑みを浮かべて兄の眉間に寄っていた皺を伸ばしてやる。

(兄さんに早く会いたいなって僕がずっと願っていたから。その願いが通じたみたい)

 中央からの帰路は前日の夜に寝台列車に乗ると朝に南部のターミナル駅につくほどの長旅。夜に帰ってきたということは昼間から移動し続けてくれたのだろう。香水を沢山入れた鞄はかなり重たいし、電車はがたがた揺れるし、長く座ってお尻は痛くなりそうだし。想像するだけもで兄の疲労感が伝わってくる。
 なんだか今度は申し訳なく思って、長旅のあとそのまま眠ってしまいごわごわしてしまった兄の髪を、額の付け根から慰めるように撫ぜた。

「沢山休んでね。兄さん」

 昨晩のことは半分夢の中の出来事だと思っていたのに。
 朝の白々とした光に照らされたのはまばらに無精ひげがはえ、昏々と眠る兄とぐちゃぐちゃのどろどろになって足元にまとわりつく兄の制服、礼服、靴下などなど……

 湯あみをしてから二階に上がってきた辺りは覚えている。続いて香水の匂いと兄の香りを嗅いで洋服を沢山出して…… そのあとはなぜかそのまま寝てしまった?

「なんでこんなに沢山服をだしちゃったんだろう?」

 兄の香りに呼び起された思慕、兄の香りに包まれて眠りたいという強く鮮やかな欲求。
 その二つに突き動かされて、操り人形のように思わずしまった自分でも説明ができないような不思議な出来事。

 散乱した服たちをかきあつめるため勢いよく弾む寝台の上に起き上がろうとしたが、腰がふらつき足に力が入らない。そして足の間を伝う粘つく水っぽいものの正体を察して顔がみるみる紅潮していった。とたん脳裏にぴかっと光るように切れ切れに思い起こす兄との情事の記憶にとくんとくんと心臓が波打つ。

 もう一度兄を見下ろす。未だかつてこんなに無防備に眠る兄をみたことがあっただろうか。
 日頃ランが起きる時間にはすでにきちんと身なりを整えて、父と同じく伊達男ぶりを表し店頭に立つメテオだ。今朝はこれだけランが大騒ぎをしても疲労の影を宿した顔のまま、いまだ目を覚まさないのにもランは驚いていた。今までは出張後帰ってきたばかりでもいつも通りの兄だった。ランは小さい頃から兄は特別完璧な人間で、弱みもなければ苦手もないのだと思ったものだ。
 長ずるにつれても兄に欠点など見当たらないと思っていたが、番になって半年。兄の色々な面が少しずつ見えるようになってきた。

 昨晩の兄の様子。今朝の様子。

 少し苦悩するように眉根を寄せて、若干みっともない寝顔を晒していても、ランには兄が愛おしい。8つも年下の自分の前で、取り繕うことなくこうして眠りこける姿を見せてくれた。番にはなれたけど、やっと兄弟から夫婦になったのだなあと実感してしみじみと嬉しいと思った。

「兄さん、お帰りなさい」

 まだ身体に力が入らないから、と心の中で言い訳しながら、ランは床に蹴り落されていた、後で洗濯決定の上掛けを寝台に引っ張り上げて上からかぶる。そのまま幸せな気分で兄に乗り上げるように抱き着ついた。
 兄の端正な顔に不似合いな無精ひげ。それがちくちくとささるのすら好きで嬉しくて、温い頬にすりすりと愛情をこめて頬ずりする。
 日の光を透過して上掛けの中も真っ白で明るい。二人っきりの世界の中でランは大きく咲いた白い花のような美しい笑顔で、兄の大きな口元に小さく口づけた。そしてまたくんくんと兄の匂いを嗅いでしまう。ちょっとお疲れの香り。昨日の少しエッチな匂いもして、それでもランはご機嫌だった。

 兄が帰ってくる今日はどのみちお店はお休みにする予定だったから、もう少しだけ兄と朝寝坊したい。そして目覚めたらこの沢山の洋服たちをせっせと洗濯せねばならない。なんにせよ兄が無事に帰ってきてくれたこと、こうして朝寝を二人で楽しめること。それが何より嬉しいランだった。


 次にランが目を覚ました時には兄はすでに起きていて、部屋中に散らばっていた服は跡形もなく消えていた。
 そして綺麗に整った寝台の上に、ランの身体は兄によって清められ、お気に入りの兄とおそろいのアップルグリーンのパジャマを身に着けていた。

 子どものころと同じように、ランは家の中を兄の姿を探して歩く。
 台所から良い匂いが漂ってきた。鍋を覗くと、魚介のスープがとろ火にかかっていた。中身は買い置きのなかったものばかりだから、兄はあの後すぐに市場にいってくれたのだろうか?

 勝手口が開いていて風がふわりとランの髪を撫ぜながら通り抜ける。太陽が降り注ぎ、温暖なこの地でも冬に差し掛かっているのですこしヒヤッとするが日向は心地よい。適度に乾燥していて、洗濯日和と言えた。

 外に出たら、庭の片隅の洗濯物を干すスペースが今日だけ大拡張していた。
 風にはためくシーツは木と木の間にロープを増やして干されているし、自分たちで洗濯できそうな服は片っ端から木や竿に干してあった。
 中央で着ているような上等な服たちも皺を取るため一時避難させられ吊るされている。色とりどりに庭を彩る、大好きな兄の出張ワードローブ。

 シーツの向こう側に背の高い兄の見慣れた後頭部がみえた。バサバサと洗濯物を振る音がする。
 ランはいたずらっ子の様にそっと後ろから近づくと、まだ濡れたシーツ越しに兄を脅かすようにして飛びついた。

「兄さん! お帰りなさい」
「わ、びっくりした」

 シーツの冷たさに単純に驚いたのかもしれないが、兄が驚いた声を上げることなどめったにないのでランはなんだか楽しくなってきた。

 一度手を離して下からシーツを下からめくって上目遣いに見上げたら、なんだか兄はいつもと違って目が合うと恥ずかしそうにして、はにかんで琥珀色の目をそらした。ランはもう一度兄に飛びついてシャツに顔をうずめながら両腕で逃がすまいとぎゅっと抱き着く。

「ランも一緒に干すよ。ごめんね。なんでか服沢山出して汚しちゃって」
「いや…… 汚した方は俺にも責任があるから。それより身体は大丈夫か? ヒートでもないのに、結構、その」
「兄さん昨日、ちょっと、激しかったよね」

 思い出してきたので感想をそのまま口にしたのだが、口にしてそのあと自分で言ったことに照れてランはまたメテオの胸に顔をうずめた。
 しがみつくランの細い身体を洗濯ものを持ったままのメテオは抱き着かれるまま優しく見守る。

「ごめん。辛かったか?」
「うーうん」
「ランに会えたのが嬉しすぎて、やっぱりランはこの世で一番可愛いって思ったら自制できなかった」
「え??」

 言いながらランのことをメテオの方からも洗濯物を握りしめたまま抱きすくめ、顔だけ寄せて頬に音を立ててキスをしてくる。
 まだ夜の続きみたいに、なんだか兄がおかしい。なんだかすごく甘い。
 くすぐったくて見上げたら、兄がすごく大切なものを見るようにランを見つめていたからドキドキしてしまった。

「兄さん、疲れているの? なんだかいつもと違う」
「疲れたよ。ほんと、疲れた。だからこうしてランに癒されてる」

 素直にそう言ってランに冗談めいた調子で上からのしかかって縋り付いてきたから、ランも負けじと兄の頭をわしわしと愛犬にするように撫ぜ上げる。

「兄さん、お疲れ様。無事に帰ってきてくれて本当に嬉しいよ」
「はあ、癒される」

 そう言いながら今度はおもむろにランを抱き上げてシーツの間をクルクル回ったら、風に揺れたシーツが腕に引っかかって外れてしまった。

「だめ! ふざけちゃダメだって!」

 ぽかぽか兄の背中を抱え上げられながら殴ったら、兄は本当に愉快そうに笑ってランを芝生の生えた地面に下ろしてきた。

「わかったよ」

 メテオは昨晩今までランには晒してこなかった自分のみっともない一面をついに見られてしまって。でもそれでかえって気持ちがすっきりした。

 兄としてこうあろうとか、番としてこうありたいとかそんな凝り固まっていた気持ちが、ランの変わらぬ愛情にとろとろのふわふわにすっかり溶かされたのだ。
 そうして彼の前ではありのまま、好きなように接してみようと知らずにそんな風に接してしまった。

 ランがシーツを拾い上げる前に、長い腕を存分に使い、ばさばさとまたふって高い位置に張った紐にかけなおす。
 風にダークブロンドを乱しながら、パジャマ姿の弟は目が合うとまた満面の笑みでメテオを見つめ返してきた。

「俺が夜中に帰ってきたってケイルがエバに教えてくれていたらしくて、ケイルが鍋ごとスープをもってきてくれたんだ。少しだけ頂いた。お前も食べるか?」
「そうだったんだね。いただくよ」

 そうして二人は午前中から昼下がりまでを洗濯に費やして散歩がてら海が見える公園に向かってゆっくりと家の前の坂道を登っていった。途中、ミリヤ婆さんのパン屋の前で隠居しても店の前で椅子に座って町内のご意見番をしているミリヤに呼び止められた。

「ソフィアリ様に檸檬パイ焼いたから、お前たちお使いしにいってくれないか」

 もちろん二つ返事で頷くランは香ばしく甘い匂いのしたパイの入った籐の籠をミリヤから受け取る。
 今日は兄とゆっくりすると決めていたから散歩に目的ができるのも、どこにいくのでも二人なら楽しい。
 そのまま坂を上って海が見渡せる美しい公園につくと、顔見知りのジューススタンドで飲み物を買う。いつも通り定位置のパラソルが空いていたので二人仲良く腰かけた。眼下には今日も碧くきらきら輝くハレヘの湾が見渡せる。

「やっぱり中央よりもこの街が一番いいな。景色は綺麗だし、食事も美味しいし、ランとこうしてゆっくりできる時間もとれるしな」

 昨晩は獲物を狙う狼みたいに荒々しくて、でもなんだか腹ペコの犬みたいに弱弱しくて、複雑な表情でランを翻弄した兄だったのに、今朝はまたいつも通り、観光客の女の人たちが振り向くほどの爽やかな美男になってランの隣に座っている。

 なんだかそれが少しつまらなくて、でも兄のしょうがないなあというところも自分だけが知っていると思うと誇らしくて。
 ランはまた自然と笑みがこぼれるのを止められないまま爽やかなライムジュースに口をつけた。


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