22 / 27
異教徒の都
再会と崩壊
しおりを挟む
◆
焦げた調度品と、血の匂いがハインリッヒの居室に充満している。
俺は血塗れた曲刀を鞘に収めると、焦げてボロボロになった黒いマントを脱ぎ、ハインリッヒの身体にかけた。
多分、碌でもない男だっただろう。だけどコイツに家族がいるのなら、俺はやっぱり恨まれるのだろうか?
少しだけど、俺は背筋が寒くなった。けれど、こんな世界で生きていれば、仕方の無い事だろうと、俺は自分に言い聞かせて扉へと向かう。
「兄者~~っ!」
青髪の少女が俺に飛びついてきた。
ダイビング抱っこだ。
「大丈夫ですか~~っ!」
見たところ、シャジャルに外傷などは無い。やっぱりネフェルカーラの側は安全だ。
しかし飛びつかれたせいで、俺の傷口が開いてしまった。
「シャ、シャジャル……、傷が引っ張られて痛いんだけど……」
「あっ、じゃあ、治癒しますっ!」
「あれ? シャジャル、出来るの?」
「はいっ! この程度の軽いものならっ! ……輝ける万物の源にして高貴なる精霊よ、我に力を貸し与え給え……治癒」
なるほど。先日のアエリノールにやられた傷は、相当酷かったという事か。ていうか火傷と凍傷と切り傷って、そんなに軽いのだろうか? 結構痛いんですけど。
しかしシャジャルが呪文を唱えると、俺は暖かい光に包まれて、何とも言えない心地になった。そして傷は塞がり、火傷や凍傷も全てが消えてゆく。
「良くやったな、シャムシール。見事だったよ」
アエリノールが微笑んでいる。
何だかんだで返り血一つ浴びていないこの上位妖精は、やっぱり凄かった。
「ね、姉さん……」
イケメン改めシスコンに変ったオレンジ髪は、未だ刀を鞘に収めず、茫然自失の体である。
「……一階から、巨大な魔力のぶつかり合いを感じるけど?」
顔まで返り血に濡らしたセシリアが、息を整えると怪訝そうに言う。
「うん。またネフェルカーラだろう」
「え? 一階に敵は、もういないですよっ! でも……」
腕を組んで頷き、知ってましたよアピールをしているアエリノールだ。でも、眼が泳いでるのは誤魔化せない。
それに対し、口を尖らせてシャジャルが反論している。しかし、思い当たる節でもあったのだろう。すぐに彼女は、片手で軽く印を結んだ。
「んっ……本当だ」
シャジャルは俺に対する治癒を続けながら、瞳を閉じた。
魔法の二重展開というヤツだろう。回復しながら探知するとか、結構凄いんじゃないだろうか?
「とにかく、下りてみよう。ネフェルカーラが苦戦するとは思えないけど、行かないと行かないで文句を言われそうだ」
「そうだねぇ」
ようやく我に返ったハールーンが、曲刀を鞘に収めながら俺の言葉に答えた。だが、内心ではまだシーリーンの事を考えているのだろう。声は掠れているし、覇気も無い。
アエリノールは露骨に嫌そうな顔をしていたが、疲れ気味のセシリアに腕を引っ張られて、仕方なく歩き始めていた。
どうやら元気なのは、シャジャルだけかもしれない。
俺は下で戦闘になったらと思うと、そこはかとなく不安になった。
二階にまで下りた時、状況は一変する。
建物全体を揺るがす程の轟音が鳴り響き、ついで、天井にあったシャンデリアが崩れ落ちたのだ。
もう、ネフェルカーラと誰かが交戦している事は疑いようがない。しかも、これ程建物に衝撃を与える激突だ。
この元になった攻撃をネフェルカーラが繰り出したにせよ、敵が繰り出したにせよ、行われているのが尋常ならざる戦いであることは間違い無いだろう。
一斉に、俺たちは二階から一階へと走り出していた。
◆◆
階段を下り、一階の広間に出てみると、ネフェルカーラが壁際で腰を擦っている姿が目に入った。
黒髪が埃で汚れ、黒衣も一部が破れてボロボロだ。
戦っているのは、なんと銀髪の騎士が一人。クレアは微笑を浮かべて見ているし、オットーはずっと歯軋りしている。
しかも、聖騎士達が整然と並んでこの戦いを見物しているというのは、どういうことだ?
「私の技を食らって立てるとは、やるな」
「技ではなく、防御魔法であろうがっ」
銀髪の美人が、砕けた壁の手前にいるネフェルカーラに声をかけている。
服装こそ聖光緑玉騎士団のモノだが、こんな人は見た事がない。しかも、ネフェルカーラが押されているようだ。
そうは言っても銀髪美人の服は一部が焼け焦げ多少下着も見えているし、手に持っている剣も、半分程の長さになっている。となれば、互角だろうか?
それはともかく、この状況は眼福に違いない。聖騎士の下着は純白ですっ!
「兄者……」
シャジャルのジト目が即座に俺をロックオンした為、聖騎士の下着を凝視する事は出来なかった。無念だ。
「ジーン! 久しぶりっ!」
鼻の下を伸ばしつつ眉を顰める俺を尻目に、アエリノールが嬉しそうに銀髪美人の下に駆けて行く。
「ぶわっ!」
笑顔のまま、銀髪美人に抱きつこうとしたアエリノールは、悲しいことに顔を思いっきり殴られて、ネフェルカーラの側まで飛んでいた。
噴出す鼻血すら美しく、見事な弧を描いて宙を舞うアエリノール。
しかし、着地して態勢を整えた彼女の顔には、いつもと変らない整った形の良い鼻がある。多分、吹き飛びながらも治癒魔法を発動させていたのだろう。無駄に優秀なアエリノールだ。
「アエリノールっ! 任務を忘れ魔族と馴れ合い、あまつさえ、奴隷騎士と手を結ぶとは如何なる了見かっ!」
アエリノールは顔一杯に、疑問符を貼り付けていた。
「ジ、ジーン……? あ、ああ。ネフェルカーラとは古い知り合いで……むろんっ! 今回の件が片付けば私の手で引導を渡してやるつもりだったよ!」
隣のネフェルカーラを指差して、弁明らしいことを言う残念な上位妖精。しかし、突き出した人差し指を緑眼魔術師に掴まれ、関節を危うい方向に曲げられて悶絶している。
「それだけではない。オロンテス王への背信もあります……奴隷騎士と共同戦線の上、ハインリッヒを討つなど、まさに敵を利する行為……貴方の背信が決定的になったからこそ私は法王猊下に、ご報告申し上げたのです。猊下も、私の言を是とされました。故に、ジーンさまとオーギュストさまにも、貴女の誅殺に協力して頂いております。私も辛いのですよ、アエリノール。くふ、くふふ……」
クレアの言葉に、一瞬にして固まるアエリノール。その影でネフェルカーラは、なにか印を結んでいる。
「奴隷騎士?」
「はい。そこの魔族も砂漠民も……シャムシールも……ねえ」
「ま、また、わたしを騙したのか、ネフェルカーラっ!」
激昂してネフェルカーラを睨みつけるアエリノールだが、その怒り方は若干おかしい。そもそも、何でネフェルカーラを信じたんだ?
しかも、明らかにクレアの発案に乗っただけなのに、この状況って間違いなくクレアの罠じゃん。
「別に。言わなかっただけだろうが」
しれっと答えるネフェルカーラ。だが、未だに腰を擦っているところを見ると、結構ダメージを負っているのかもしれない。
それとも、印を結んでいるのを誤魔化しているのか?
「どちらにしても、アエリノール。この上は潔く聖光緑玉騎士団として死ぬしかないね。残念だけど……ああ、もちろん、キミの仲間たちも一緒に葬ってあげるから、寂しくはないと思うよ」
小さな眼鏡を鼻に引っ掛けた巨漢が、怖い事を優しげに言っている。
両手に大剣を持っている所を見ると、きっと怪力なんだろうな。
俺、あんなのと戦ったら死ねると思う。
ていうか、あの眼鏡はなんなの? 俺、頭イイデスヨってアピールか?
「オーギュストっ! なんでっ? わたし、死にたくないよっ?」
アエリノールは気が動転しているようだ。眼鏡の巨漢が近づいてくるのに、ひたすら首を振り続けている。
当然オーギュストは抜剣しているのに、アエリノールは完璧なまでに無防備だ。
「ま、まて! オーギュスト殿! アエリノールは誤解だと言っておる! 弁明を聞いても良かろうがっ! 実際に……」
しかしアエリノールにも、まだ味方は居たようだ。筋肉達磨ことオットー。彼が弁護に入ってくれた。考えてみれば、筋肉達磨は状況のおかしさに気がついても不思議じゃない。俺達が奴隷騎士というのはともかく、クレアの提案を知っているんだから。
だが、筋肉達磨では筋肉眼鏡を押さえられないようだ。
オーギュストは大剣を握ったまま、裏拳の一撃で筋肉達磨、オットーを沈めていた。
次の瞬間――
オーギュストが走り、アエリノールの身体に左右から大剣が迫った。
「ぐすんっ」
鼻水まで垂らした上位妖精は自分を守る考えなど、まるで無いようだ。
いっそ、斬られるのも仕方ないと思っているのだろうか?
俺は咄嗟にアエリノールの前に身体を出し、右からの斬撃を防ぐ。左は……。俺は衝撃を覚悟して、自分の背中に魔力を集め、盾を形成する。こうすれば両断される事はないだろう。
しかし、その必要は無かった。
地面から岩が突出し、その後ろにセシリアが剣を構え、オーギュストの大剣を防いでいたのだ。
「ふむ。土系の防御魔法と剣技で私の剣を止めるとは、成長したね、セシリア。そして、キミは誰だい? 私の剣は、生半可な力では止められないと思うけど?」
「えっぐ、えっぐ。セシリアぁ、シャムシールぅ……」
碧眼からポロポロと涙を零し、”ぺたり”と床に座りこんだアエリノール。
迂闊にも可愛すぎると思ってしまった俺は、何故かネフェルカーラに睨まれた。
「褒めて頂いて光栄です。しかし、いきなりアエリノールさまを斬りつけるなんて、オーギュストさまらしくも無い! 話を聞いて下さいっ!」
筋肉眼鏡のオーギュストはセシリアの声に答えず、俺たちを弾き飛ばし、自らは後ろに下がる。話を聞く気は無さそうだが、セシリアを殺したくもないようだ。
「セシリア……。アエリノールは、法王猊下のご意思に背いたの。その女は所詮、魔族、異教徒との共存を望む者。我等の教義に照らせば、死ぬしかないのよ。理解しなさい。そして私達に剣を向けるなら、貴女も同罪よ……退いて
……」
「何言ってんのよっ! そもそもアンタがっ!」
代わりに答えたのは、褐色の瞳に慈悲を湛えたクレアだった。優しげな口調は諭すようでもあったが、俺の目から見れば酷く嘘臭い。
赤髪の騎士もそれを察したのか、クレアに対し、敵意と持って反駁する。しかし、三歩ほど下がったオーギュストの背後からは、クレアに指図された聖光緑玉騎士団が迫り、セシリアに反論の余裕を与えなかった。
「俺はアンタ達の教義なんか知らないけど、皆と共存するっていうのは良い事なんじゃないのか? 人間だからとか、魔族だからとか、砂漠民だからって差別していたら、その方が争いが大きくなるだろう?」
俺は、何となく我慢できなくなって言ってしまった。
教義を知らないのに否定するのもどうかと思うけど、そんなものでアエリノールが殺されるのは可哀想だと思ってしまったのだ。
「少年、面白い事を言う。だが……我等の教義が生まれた所以はな……魔族や砂漠民、テュルク人を信じ、結果として蹂躙されたからなのだぞ……まあ、それは良い、過ぎた事だ。しかし、過去の悲劇を繰り返させてはならない。故に我等は”差別”ではなく、常に”選別”をしなければならんのだ……解らんだろうが、な」
銀髪の騎士が髪を掻きあげながら、俺に答える。
翠玉の様な瞳が力強く輝いて、揺ぎ無い正義が、そこに在るかの様だ。けれど、少しだけ彼女が物憂げに見えるのは、アエリノールの事を嫌っている訳ではないからだろう。
それにしても、耳がアエリノールのように長いけど、彼女も上位妖精だろうか?
「ふん、シャムシール、つまらん事を言うな。所詮、我等と奴等は相容れぬだけのこと。さて、準備は出来た。いくらおれでも、あまり長くお前たちと遊んでいる気にはならん! 用も済んだ事だし、帰らせてもらうぞ。ふはははは」
ネフェルカーラの高笑いが広間に響いた。しかし言っていることは、ちょっと情けない。逃げる宣言をしているだけなのだ。いや、まて、逃げるにしても、アエリノールをこのままにしたら殺される。何より、どうやって逃げるの?
「俺もアエリノールも殺される!」
「……アエリノールの手を掴んで離すなっ!」
俺の情けない絶叫に、細い眉を不快そうに顰めてネフェルカーラが答える。そしてすぐに何かを唱え、複雑な印を手で結んでいた。
「転移だ! 逃がすなっ!」
普段、静かな口調のクレアにしては珍しく、大声で叫んでいた。それと同時に騎士達が俺達に向かってくる。
銀髪の騎士はネフェルカーラに剣を向けたまま何故か微笑を浮かべ、眼鏡の巨漢は不愉快そうに二本の剣を鞘に収めていた。
「建物が崩壊する。私たちは、あの女を舐めていたんだね。ここは撤退するしかないと思うよ」
ジーンがクレアを窘めるように言った。
「アエリノールさまっ!」
セシリアが必死にアエリノールの肩を揺すり、手を握っている。
しかしアエリノールはただ泣くばかりで、一言も喋らない。
徐々に俺やハールーン、それにシャジャルの身体が淡い光に包まれてゆく。
とにかく俺は、アエリノールもつれて逃げたかった。
ネフェルカーラの言葉を信じ、セシリアが握っているのと反対の手を掴む。
絶対にアエリノールの手は離さないと決めていた。
すると目の前が暗くなり、次の瞬間、冷えた砂の上に俺は投げ出されたのである。
――そこは、夜の沙漠だった。
「ああ、びっくりした。まったく、聖騎士の団長二人が相手など、冗談ではないぞ……」
俺はこの日、生まれて初めてネフェルカーラがぼやいている姿を見たのだった。
焦げた調度品と、血の匂いがハインリッヒの居室に充満している。
俺は血塗れた曲刀を鞘に収めると、焦げてボロボロになった黒いマントを脱ぎ、ハインリッヒの身体にかけた。
多分、碌でもない男だっただろう。だけどコイツに家族がいるのなら、俺はやっぱり恨まれるのだろうか?
少しだけど、俺は背筋が寒くなった。けれど、こんな世界で生きていれば、仕方の無い事だろうと、俺は自分に言い聞かせて扉へと向かう。
「兄者~~っ!」
青髪の少女が俺に飛びついてきた。
ダイビング抱っこだ。
「大丈夫ですか~~っ!」
見たところ、シャジャルに外傷などは無い。やっぱりネフェルカーラの側は安全だ。
しかし飛びつかれたせいで、俺の傷口が開いてしまった。
「シャ、シャジャル……、傷が引っ張られて痛いんだけど……」
「あっ、じゃあ、治癒しますっ!」
「あれ? シャジャル、出来るの?」
「はいっ! この程度の軽いものならっ! ……輝ける万物の源にして高貴なる精霊よ、我に力を貸し与え給え……治癒」
なるほど。先日のアエリノールにやられた傷は、相当酷かったという事か。ていうか火傷と凍傷と切り傷って、そんなに軽いのだろうか? 結構痛いんですけど。
しかしシャジャルが呪文を唱えると、俺は暖かい光に包まれて、何とも言えない心地になった。そして傷は塞がり、火傷や凍傷も全てが消えてゆく。
「良くやったな、シャムシール。見事だったよ」
アエリノールが微笑んでいる。
何だかんだで返り血一つ浴びていないこの上位妖精は、やっぱり凄かった。
「ね、姉さん……」
イケメン改めシスコンに変ったオレンジ髪は、未だ刀を鞘に収めず、茫然自失の体である。
「……一階から、巨大な魔力のぶつかり合いを感じるけど?」
顔まで返り血に濡らしたセシリアが、息を整えると怪訝そうに言う。
「うん。またネフェルカーラだろう」
「え? 一階に敵は、もういないですよっ! でも……」
腕を組んで頷き、知ってましたよアピールをしているアエリノールだ。でも、眼が泳いでるのは誤魔化せない。
それに対し、口を尖らせてシャジャルが反論している。しかし、思い当たる節でもあったのだろう。すぐに彼女は、片手で軽く印を結んだ。
「んっ……本当だ」
シャジャルは俺に対する治癒を続けながら、瞳を閉じた。
魔法の二重展開というヤツだろう。回復しながら探知するとか、結構凄いんじゃないだろうか?
「とにかく、下りてみよう。ネフェルカーラが苦戦するとは思えないけど、行かないと行かないで文句を言われそうだ」
「そうだねぇ」
ようやく我に返ったハールーンが、曲刀を鞘に収めながら俺の言葉に答えた。だが、内心ではまだシーリーンの事を考えているのだろう。声は掠れているし、覇気も無い。
アエリノールは露骨に嫌そうな顔をしていたが、疲れ気味のセシリアに腕を引っ張られて、仕方なく歩き始めていた。
どうやら元気なのは、シャジャルだけかもしれない。
俺は下で戦闘になったらと思うと、そこはかとなく不安になった。
二階にまで下りた時、状況は一変する。
建物全体を揺るがす程の轟音が鳴り響き、ついで、天井にあったシャンデリアが崩れ落ちたのだ。
もう、ネフェルカーラと誰かが交戦している事は疑いようがない。しかも、これ程建物に衝撃を与える激突だ。
この元になった攻撃をネフェルカーラが繰り出したにせよ、敵が繰り出したにせよ、行われているのが尋常ならざる戦いであることは間違い無いだろう。
一斉に、俺たちは二階から一階へと走り出していた。
◆◆
階段を下り、一階の広間に出てみると、ネフェルカーラが壁際で腰を擦っている姿が目に入った。
黒髪が埃で汚れ、黒衣も一部が破れてボロボロだ。
戦っているのは、なんと銀髪の騎士が一人。クレアは微笑を浮かべて見ているし、オットーはずっと歯軋りしている。
しかも、聖騎士達が整然と並んでこの戦いを見物しているというのは、どういうことだ?
「私の技を食らって立てるとは、やるな」
「技ではなく、防御魔法であろうがっ」
銀髪の美人が、砕けた壁の手前にいるネフェルカーラに声をかけている。
服装こそ聖光緑玉騎士団のモノだが、こんな人は見た事がない。しかも、ネフェルカーラが押されているようだ。
そうは言っても銀髪美人の服は一部が焼け焦げ多少下着も見えているし、手に持っている剣も、半分程の長さになっている。となれば、互角だろうか?
それはともかく、この状況は眼福に違いない。聖騎士の下着は純白ですっ!
「兄者……」
シャジャルのジト目が即座に俺をロックオンした為、聖騎士の下着を凝視する事は出来なかった。無念だ。
「ジーン! 久しぶりっ!」
鼻の下を伸ばしつつ眉を顰める俺を尻目に、アエリノールが嬉しそうに銀髪美人の下に駆けて行く。
「ぶわっ!」
笑顔のまま、銀髪美人に抱きつこうとしたアエリノールは、悲しいことに顔を思いっきり殴られて、ネフェルカーラの側まで飛んでいた。
噴出す鼻血すら美しく、見事な弧を描いて宙を舞うアエリノール。
しかし、着地して態勢を整えた彼女の顔には、いつもと変らない整った形の良い鼻がある。多分、吹き飛びながらも治癒魔法を発動させていたのだろう。無駄に優秀なアエリノールだ。
「アエリノールっ! 任務を忘れ魔族と馴れ合い、あまつさえ、奴隷騎士と手を結ぶとは如何なる了見かっ!」
アエリノールは顔一杯に、疑問符を貼り付けていた。
「ジ、ジーン……? あ、ああ。ネフェルカーラとは古い知り合いで……むろんっ! 今回の件が片付けば私の手で引導を渡してやるつもりだったよ!」
隣のネフェルカーラを指差して、弁明らしいことを言う残念な上位妖精。しかし、突き出した人差し指を緑眼魔術師に掴まれ、関節を危うい方向に曲げられて悶絶している。
「それだけではない。オロンテス王への背信もあります……奴隷騎士と共同戦線の上、ハインリッヒを討つなど、まさに敵を利する行為……貴方の背信が決定的になったからこそ私は法王猊下に、ご報告申し上げたのです。猊下も、私の言を是とされました。故に、ジーンさまとオーギュストさまにも、貴女の誅殺に協力して頂いております。私も辛いのですよ、アエリノール。くふ、くふふ……」
クレアの言葉に、一瞬にして固まるアエリノール。その影でネフェルカーラは、なにか印を結んでいる。
「奴隷騎士?」
「はい。そこの魔族も砂漠民も……シャムシールも……ねえ」
「ま、また、わたしを騙したのか、ネフェルカーラっ!」
激昂してネフェルカーラを睨みつけるアエリノールだが、その怒り方は若干おかしい。そもそも、何でネフェルカーラを信じたんだ?
しかも、明らかにクレアの発案に乗っただけなのに、この状況って間違いなくクレアの罠じゃん。
「別に。言わなかっただけだろうが」
しれっと答えるネフェルカーラ。だが、未だに腰を擦っているところを見ると、結構ダメージを負っているのかもしれない。
それとも、印を結んでいるのを誤魔化しているのか?
「どちらにしても、アエリノール。この上は潔く聖光緑玉騎士団として死ぬしかないね。残念だけど……ああ、もちろん、キミの仲間たちも一緒に葬ってあげるから、寂しくはないと思うよ」
小さな眼鏡を鼻に引っ掛けた巨漢が、怖い事を優しげに言っている。
両手に大剣を持っている所を見ると、きっと怪力なんだろうな。
俺、あんなのと戦ったら死ねると思う。
ていうか、あの眼鏡はなんなの? 俺、頭イイデスヨってアピールか?
「オーギュストっ! なんでっ? わたし、死にたくないよっ?」
アエリノールは気が動転しているようだ。眼鏡の巨漢が近づいてくるのに、ひたすら首を振り続けている。
当然オーギュストは抜剣しているのに、アエリノールは完璧なまでに無防備だ。
「ま、まて! オーギュスト殿! アエリノールは誤解だと言っておる! 弁明を聞いても良かろうがっ! 実際に……」
しかしアエリノールにも、まだ味方は居たようだ。筋肉達磨ことオットー。彼が弁護に入ってくれた。考えてみれば、筋肉達磨は状況のおかしさに気がついても不思議じゃない。俺達が奴隷騎士というのはともかく、クレアの提案を知っているんだから。
だが、筋肉達磨では筋肉眼鏡を押さえられないようだ。
オーギュストは大剣を握ったまま、裏拳の一撃で筋肉達磨、オットーを沈めていた。
次の瞬間――
オーギュストが走り、アエリノールの身体に左右から大剣が迫った。
「ぐすんっ」
鼻水まで垂らした上位妖精は自分を守る考えなど、まるで無いようだ。
いっそ、斬られるのも仕方ないと思っているのだろうか?
俺は咄嗟にアエリノールの前に身体を出し、右からの斬撃を防ぐ。左は……。俺は衝撃を覚悟して、自分の背中に魔力を集め、盾を形成する。こうすれば両断される事はないだろう。
しかし、その必要は無かった。
地面から岩が突出し、その後ろにセシリアが剣を構え、オーギュストの大剣を防いでいたのだ。
「ふむ。土系の防御魔法と剣技で私の剣を止めるとは、成長したね、セシリア。そして、キミは誰だい? 私の剣は、生半可な力では止められないと思うけど?」
「えっぐ、えっぐ。セシリアぁ、シャムシールぅ……」
碧眼からポロポロと涙を零し、”ぺたり”と床に座りこんだアエリノール。
迂闊にも可愛すぎると思ってしまった俺は、何故かネフェルカーラに睨まれた。
「褒めて頂いて光栄です。しかし、いきなりアエリノールさまを斬りつけるなんて、オーギュストさまらしくも無い! 話を聞いて下さいっ!」
筋肉眼鏡のオーギュストはセシリアの声に答えず、俺たちを弾き飛ばし、自らは後ろに下がる。話を聞く気は無さそうだが、セシリアを殺したくもないようだ。
「セシリア……。アエリノールは、法王猊下のご意思に背いたの。その女は所詮、魔族、異教徒との共存を望む者。我等の教義に照らせば、死ぬしかないのよ。理解しなさい。そして私達に剣を向けるなら、貴女も同罪よ……退いて
……」
「何言ってんのよっ! そもそもアンタがっ!」
代わりに答えたのは、褐色の瞳に慈悲を湛えたクレアだった。優しげな口調は諭すようでもあったが、俺の目から見れば酷く嘘臭い。
赤髪の騎士もそれを察したのか、クレアに対し、敵意と持って反駁する。しかし、三歩ほど下がったオーギュストの背後からは、クレアに指図された聖光緑玉騎士団が迫り、セシリアに反論の余裕を与えなかった。
「俺はアンタ達の教義なんか知らないけど、皆と共存するっていうのは良い事なんじゃないのか? 人間だからとか、魔族だからとか、砂漠民だからって差別していたら、その方が争いが大きくなるだろう?」
俺は、何となく我慢できなくなって言ってしまった。
教義を知らないのに否定するのもどうかと思うけど、そんなものでアエリノールが殺されるのは可哀想だと思ってしまったのだ。
「少年、面白い事を言う。だが……我等の教義が生まれた所以はな……魔族や砂漠民、テュルク人を信じ、結果として蹂躙されたからなのだぞ……まあ、それは良い、過ぎた事だ。しかし、過去の悲劇を繰り返させてはならない。故に我等は”差別”ではなく、常に”選別”をしなければならんのだ……解らんだろうが、な」
銀髪の騎士が髪を掻きあげながら、俺に答える。
翠玉の様な瞳が力強く輝いて、揺ぎ無い正義が、そこに在るかの様だ。けれど、少しだけ彼女が物憂げに見えるのは、アエリノールの事を嫌っている訳ではないからだろう。
それにしても、耳がアエリノールのように長いけど、彼女も上位妖精だろうか?
「ふん、シャムシール、つまらん事を言うな。所詮、我等と奴等は相容れぬだけのこと。さて、準備は出来た。いくらおれでも、あまり長くお前たちと遊んでいる気にはならん! 用も済んだ事だし、帰らせてもらうぞ。ふはははは」
ネフェルカーラの高笑いが広間に響いた。しかし言っていることは、ちょっと情けない。逃げる宣言をしているだけなのだ。いや、まて、逃げるにしても、アエリノールをこのままにしたら殺される。何より、どうやって逃げるの?
「俺もアエリノールも殺される!」
「……アエリノールの手を掴んで離すなっ!」
俺の情けない絶叫に、細い眉を不快そうに顰めてネフェルカーラが答える。そしてすぐに何かを唱え、複雑な印を手で結んでいた。
「転移だ! 逃がすなっ!」
普段、静かな口調のクレアにしては珍しく、大声で叫んでいた。それと同時に騎士達が俺達に向かってくる。
銀髪の騎士はネフェルカーラに剣を向けたまま何故か微笑を浮かべ、眼鏡の巨漢は不愉快そうに二本の剣を鞘に収めていた。
「建物が崩壊する。私たちは、あの女を舐めていたんだね。ここは撤退するしかないと思うよ」
ジーンがクレアを窘めるように言った。
「アエリノールさまっ!」
セシリアが必死にアエリノールの肩を揺すり、手を握っている。
しかしアエリノールはただ泣くばかりで、一言も喋らない。
徐々に俺やハールーン、それにシャジャルの身体が淡い光に包まれてゆく。
とにかく俺は、アエリノールもつれて逃げたかった。
ネフェルカーラの言葉を信じ、セシリアが握っているのと反対の手を掴む。
絶対にアエリノールの手は離さないと決めていた。
すると目の前が暗くなり、次の瞬間、冷えた砂の上に俺は投げ出されたのである。
――そこは、夜の沙漠だった。
「ああ、びっくりした。まったく、聖騎士の団長二人が相手など、冗談ではないぞ……」
俺はこの日、生まれて初めてネフェルカーラがぼやいている姿を見たのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
33
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる