竜神様の御気に入り

霞花怜

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第29話 離れない約束

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「一月後に、蜜梨ちゃんの瑞希の儀式が決まったんだ。儀式を終えれば、蜜梨ちゃんは桃源の正式な瑞希と認められる」
「儀式……。俺が、瑞希に、なるんだ」

 そんなような話は、前に慶寿の元に行った時にもされた。
 何度聞いても、自分事には思えない。

「蜜梨ちゃんはもう、充分に神力が戻ってる。自分でも扱えるようになってるよね」
「ん……、導仙として秘果さんのサポートなら、何とか。あとは浄化とか、加護の付与とかなら、出来ると思う」

 桃源に来て二月近くが経過して、秘果との訓練や慶寿との瞑想で、神力はかなり増えた。
 何も知らない素人よりは、ましな状態になれたと思う。

「だから次の段階、瑞希として絶対に必要な力を開花させる」
「瑞希として必要な力?」
「そう。瑞希には封印術が先天的に備わっているんだ。それを引き出して、極めないといけない」
「封印術?」
「凶を凶玉に封じる力だ。五竜や神獣でも似た術は使えるけど、大凶を封じるには瑞希の封印術が不可欠なんだ」
「凶を、凶玉に、封じる……」

 ぼんやりと、饕餮を思い出していた。
 凶玉に封じた饕餮を抱えて、蜜梨は現世に落ちた。

(あの時、饕餮と何か、話した気がする。何を、話したんだっけ)

 会話の内容は思い出せない。

(その後に俺は、饕餮の凶玉を自分の神力で包んで、自分の中に饕餮を封じた。あれが、あの時の俺の封印術、だけど……)

 もっと他に、何かがあった。
 落ちる前に、別の封印術を使った気がする。

「……蜜梨ちゃん、蜜梨ちゃん!」

 目を上げたら、不安そうな顔の秘果がいた。

「ごめん、ちょっと、ぼぉっとしてた」

 秘果の顔が近付いて、蜜梨の頬に口付けた。

「蜜梨ちゃん、今……、何か、思い出した?」
「……え?」

 秘果が蜜梨の頬を撫でる。
 切なそうに微笑む顔に、胸が痛む。

「思い出してないよ。昔のことは、無理に思い出すつもり、ないんだ。覚えていなくても、今の俺でも、頑張れば瑞希になれるよね」
「うん、なれるよ。だけど……」

 頬を撫でる手を止めて、秘果が言葉を飲んだ。
 秘果の手が、蜜梨の手を握った。

「蜜梨ちゃん、俺ね。現世から蜜梨ちゃんを連れ帰った時は、思い出してほしいと思っていたんだ。だけど、蜜梨ちゃんが蚩尤の名前を無意識に口にした時、怖くなった。今の蜜梨ちゃんは神力も充分だ。封印術さえ体得すれば、瑞希の儀式は乗り切れる。だから、今はもう、何も思い出してほしくない」

 秘果の顔が俯いて、表情が見えない。
 けれど、良い表情をしていないのは明らかだ。
 握った手が、小さく震えている。

「……なんで、秘果さんは怖いと思うの? 思い出したら俺、どうにかなっちゃうの?」

 慶寿の言葉も、秘果の話も、心惟の態度も、ニュアンスが全部、同じだ。
 今の蜜梨とは別の生き物にでもなるように聞こえる。

「蜜梨ちゃんが、変わってしまいそうで、怖い。何もかも捨てて、どこかに行ってしまいそうで、怖いよ」

 ゾクリと、寒気が走った。
 記憶を取り戻しただけで、そこまで意識が変わるのだろうか。
 少なくとも今の自分はこの場所で秘果と一緒に生きたいと思っている。

(今のこの気持ちが、全部変わるくらいの重大な過去、なのかな)

 それほど大事な過去を忘れたままで良いのだろうか。捨てても、良いのだろうか。
 そういう不安より、目の前の秘果のほうが気になった。

(秘果さんに、こんな顔させるくらいなら、過去の記憶はいらない)

 まるで夢に出てくる幼子の秘果のような、泣き出しそうな顔を見ていたくない。

(もしかしたら無責任かもしれないけど、俺はもう、思い出さないって決めたんだ)

 蜜梨は秘果の手を握り返した。

「だったら、その記憶はもういらない。今の俺には必要ない。俺は今の俺のまま、秘果さんや慶寿様と一緒にいたい」
「蜜梨ちゃん……」

 蜜梨は秘果の顔を胸に抱いた。
 いつもしてもらっているように、優しく包む。

「俺だって、今とは違う自分になんか、なりたくないよ」

 蜜梨の背中に回った秘果の手が、蜜梨の服を強く掴んだ。

「けど、封印術を引き出すと、蜜梨ちゃんの記憶はきっと……」
「戻っちゃうの?」
「封印術を引き出して極めるために行う試練は、蜜梨ちゃんの記憶を辿るようなものなんだ。試練を何とかクリアしたって、桃源で生きる以上、何をきっかけに思い出すかなんて、わからない。結局は、時間の問題でしかないんだよ!」

 秘果が顔を上げて、蜜梨の両腕を掴む。
 必死の形相には涙が浮いていた。

「秘果さん、落ち着いて……」

 あまりにも初めて見る秘果の様子に驚いて、掛ける言葉が見付からない。

「俺がどんなに願っても、蜜梨ちゃんは、あの時みたいに、俺を捨てる決断をするんだ。だって、蜜梨ちゃんは、蜜梨ちゃんは……いつだって周囲ばかり大事にするから」

 涙を流す顔が、蜜梨の胸に埋まる。
 服に涙が沁みて、胸がひやりと冷えた。

「大丈夫だよ、秘果。もう二度と秘果の側から離れないって、約束する」
「……え? 蜜梨、ちゃん……? 何か、思い出したの?」

 少しだけ顔を上げた秘果に、蜜梨は首を横に振った。

「何も思い出してないよ。だけど、たとえ何かを思い出しても、俺は秘果から離れない。約束しておけば、秘果は安心でしょ?」

 ぼんやり見上げる秘果の柔らかい髪を撫でる。

「約束の証に、今日から秘果さんのこと、秘果って呼ぶ。……呼び慣れないから、たまに癖で、さん付けしちゃうかもだけど」

 今更、呼び捨ても、ちょっと照れる。
 何より、頼りになるお兄さんだと思っている秘果を呼び捨ては、慣れない。

(でも、違和感がない。昔の俺は、こんな風に秘果を慰めながら、秘果って呼んでたんだ)

「思い出したら、皆のために秘果を捨てて俺がここを去る。秘果はそれが怖いんだよね。なら、そうしない。もし思い出しても、そうしない選択肢を考えるよ」
「思い出しても、蜜梨ちゃんが今と同じように言ってくれるか、わからないよ」

 秘果の目が涙で歪む。
 何時も秘果がしてくれるように、目尻の涙を口付けで吸い上げた。

「居なくならないための約束だよ。それに俺、何度も秘果を泣かせるのは嫌だ。どんな俺になっても、それだけは、変わらないと思う」

 吸っても溢れてくる涙を指で拭って、額に口付けた。

「だから秘果も俺の側にいてよ。俺が変わりそうになったり、どこかに行きそうになったら、引き止めて」

 秘果が蜜梨の体に抱き付いた。

「離れないよ。何があっても、もう二度と離さない、絶対に」

 巻き付く腕の強さが、想いの強さに思える。
 それが愛おしくて、胸が締まる。

 まだ伝えていない言葉があるから、それが言えるまでは。
 そう伝えようとして、蜜梨は言葉を飲み込んだ。
 あまりにも無責任で身勝手な言葉に思えたからだ。

(言わないのも、充分、身勝手で無責任だけど。ごめん、秘果。もう少しだけ、時間ちょうだい)

 心の中で懇願しながら、抱き付く秘果の髪を撫でていた。
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