【完結】【受賞作】真昼の星を結ぶ

ばやし せいず

文字の大きさ
40 / 50
第3章「星の世界」

39.指一本

しおりを挟む
 うーん、と澄空が大きく伸びをする。

「ここ、どこお?」

「起きちゃったか」

「もうおうちに着いたよ」

 エントランスで澄空を下ろそうとしたが、ぐずるので十三階まで送ることにした。一三○一号室の玄関に入っても、澄空はコアラのようにしがみついたままだ。

「せんせーも、おうちにきて」

 寝ぼけまなこで甘える澄空の背中を野田がさする。

「澄空は先生のこと、大好きだもんね」

「すきじゃなーい。せんせー、きらい」

 そんな憎まれ口を叩く澄空を体からはがす。

「澄空、バイバイ」

「やだー」

 後ろ髪を引かれる思いだが、子どもは寝る時間だ。

「先生、おやすみなさい」

 これで最後になるのかな。そう思いながら「おやすみ」と言い掛けたところで、がたんと音が鳴った。

「海頼!! 帰ってきたの!? 心配させないでよね!」

 リビングの方から慌てた様子の声が聞こえる。

「梓紗ちゃんが来てるの?」

 廊下の奥のドアが開く。エアコンで冷えた風がここまで届いた。

「あっ、ママー!」

 急にご機嫌になった澄空が靴を脱ぎ捨て家に上がる。
 リビングから出てきた女性と目が合った。

 彼女は澄空を守るように抱き寄せ、野田の腕も引っ張り、だれっと短く叫んだ。

「どちら様」

「お母さん、どうしているの? お父さんのお見舞いは?」

 野田が息を呑む。

「花火大会で道が渋滞すると思って、早めに帰ってきたのよ。だから、迷子になったって聞いて、ちょうどよかったって思って……」

 こちらを見据えたまま、女性は質問に答える。
 とうもろこしのひげ根のような髪に数本の白髪が光っている。しみの浮いた肌はくすんでいて血色が悪い。
 ついフォトスタンドと見比べそうになった。
 家族写真が撮影されたのは数年前のはずだが目の前にいる女性だけ十以上も年齢を重ねているように見えた。

「お、お邪魔してます」

 野田のお母さんはまだ顔を引きつらせている。

 これがまっとうな親の反応かもしれない。
 知らない男が当然のように娘と家に上がってきたら、きっと考えてしまうことがある。

「ママ、せんせーだよ。しってた?」

「……先生?」

「うちの学校の先生だよ。すごく良い人なの」

 野田が紹介するが何の弁解にもなっていない。教師が生徒の親に断りもなく自宅を訪れるなんてこと、滅多に無い。

「ようちえんのせんせーじゃないんだよ!」

「先生って……。随分お若いですけど新任の方? でも、どうしてうちに」

「新任じゃなくて教育実習に来ていた先生で、自習室でアルバイトしてて」

「じゃあ、先生じゃなくてアルバイトじゃないの! どうしてうちに来るの!」

 しどろもどろ説明する野田に母親が目を吊り上げた。先生でもないし、現在はアルバイトですらないのだが、この場で打ち明ければ火に油を注ぐことになる。

「でも、元先生だし」

「あなたはもっと他人を警戒しなさい!」

 もし俺が娘を持つ親だったら、同じことを言うだろう。

「僕、このマンションの二○一に住んでいる千葉と申します。勝手にお邪魔してすみません。……誓って言いますけど、僕は海頼さんに指一本、触れてないです」

 銃を向けられた逃走犯のように諸手を上げて言いながら、野田には本当に指一本すら触れていないことに気が付く。

「このマンションに住んでいる……? じゃあ、ずっと前からうちの娘と知り合いだったんですか?」

「いえ、初めて会ったのは実習中です。海頼さんが熱を出していた時にたまたま商店街で会って、澄空くんもいて大変そうだったので、少し手を貸してただけっていうか……」

「先生は私の話聞いてくれたり澄空のこと面倒みてくれたりして……。本当にそれだけだよ」

「面倒? ちょっと会っただけの人間によく世話を頼めるわね……」

 母親ははき捨てるように言う。

「弟になにかあったらどうするつもり? 男の子だって被害者になるのよ。今日だって迷子になったって聞いて、生きた心地がしなかったわよ。お姉ちゃんなんだから、もうちょっと危機意識を持ってよ。澄空が大切じゃないの?」

 捲し立てられた野田は目を見開き、すぐに伏せた。

「……澄空は、大切だよ」

 声がくぐもっていた。泣くだろうなと思った。

「でも、たまに……、もうどうでもいいって思う」

 野田は床をじっと見下ろしている。

「澄空のことだけじゃなくて、全部、もうどうでもいいやって思うことがあった。先生が助けてくれなかったら、私はどうにかなってた」

「どうにかって!?」

「……どうにかだよっ!!」

 野田が喚いた。
 彼女は靴も履かず玄関を飛び出してしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...