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第1章 囚われの神子編

神子、倒れる

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「リュシオン様、リュシオン様!」
「どうした、朝から騒がしいな」
「光の神子が……」

 サラに食事を運んでいった召使いが、慌ててリュシオンに事情を説明する。
 それを聞いたリュシオンは、仕事の手を止めて地下牢へと急いだ。

 ──光の神子が、倒れた。


「まったく……本当に飲まず食わずで耐え続けたのか」

 囚われてから三日目の朝、サラは床に伏して動かなくなっていた。微かに胸は上下しているため生きているのだと分かるが、リュシオンに食って掛かってきた時と比べると恐ろしいほど静かだった。呼びかけても、返事はない。新緑の瞳も、瞼の裏に隠されて見ることができなかった。
 飲まず食わずでは三日と保たない、そう言ったのはリュシオンだ。しかし、実際に目の当たりにすると背筋が凍るのを感じた。
 いかに光の神子といえど、いかに強い魂の輝きを放っていようと。彼女は普通の人間と何ら変わらなかった。特別な力を持っていても、まだ十五歳の幼さの残る少女だった。

「お前に死なれては困るんだ‥‥‥しっかりしてくれ」

 倒れるサラを抱き起こし、再び声をかける。触れた頬は白く、冷たくなっていた。少し前まで、あんなに元気に叫んでいたのに。自分のことを睨みつけてきたのに。今のサラはリュシオンを見てはいなかった。
 まさか、このまま――

「こりゃあ、点滴でもした方がよさそうですねぇ」
「‥‥‥マキディエル、いつからそこにいた?」

 場の空気を読まない、のほほんとした声でリュシオンは我に返る。
 リュシオンの背後からサラの顔を覗き込むようにして、マキディエルと呼ばれた男は立っていた。
 マキディエル・ダグラス、リュシオンと同期の闇の守護騎士で、若いながらも非常に優秀な男だ。普段の言動からは想像し難いが、剣術のみならず、頭も切れる。
 彼は、サラを襲った刺客の中のひとりで、その後の事情を知っている協力者でもある。

「死なれては困る、ってあんなに熱烈に見つめちゃって。リュシオン様にも、ちゃんと感情あったんですねぇ。って、また無表情に戻っちゃって。あ、俺のせいか。まぁまぁ、そう怒らないでくださいよ。その子なら助けられますから」
「本当か?」
「こう見えて、元は医者志望でしたからねぇ。うちは代々騎士の家系ですから親父が許しちゃくれませんでしたけど、どうしても諦めきれなくて。騎士の訓練をサボらないっていう条件で、医学の勉強もしてたんです。結局は騎士の道に進みましたけど」

 ダグラス子爵家は、代々優秀な守護騎士を輩出している名家だ。王家からも一目置かれており、今回のルクシア王国との戦闘でも最前線を任されている。
 家訓は筋肉第一。脳筋家系の中で、勉強したいなどと言い出したマキディエルは、大層家族から心配されたそうだ。マキディエルも相当な剣の使い手だが、それは勉強の邪魔をされたくないが故に、文句のつけようがないレベルまで努力した結果である。
 騎士は嫌ではないけど、特別好きでもない。彼の中では、そういう位置づけだった。

 マキディエルから思わぬことを聞かされたリュシオンは、少し悩んでから頷いた。

「必要な物はあるか? お前に任せるぞ、マキディエル」
「こんなところで俺の知識が役に立つなんて、人生分からないもんですねぇ」

 どこか嬉しそうに、マキディエルは指示を出しながら治療に取り掛かる。
 すると、先ほどまでとは一変、見たこともないような真剣な顔つきになるのだった。


 ここは治療に適していないからと場所を移動したが、地下牢に入れておくよう命令されているので、勝手に光の神子を移動させたことがばれれば大変なことになる。国王に事情を説明しても、そこまでして助ける意味があるのかと取り合ってもらえないことが想像できた。話している時間も惜しいので、リュシオンの独断で空き部屋を使わせてもらっている。
 点滴を受け、少し顔色の戻ってきたサラを見て、リュシオンはほっと胸を撫で下ろした。

「もう大丈夫でしょう。お嬢ちゃんの部屋の見張りなら、俺が引き受けますよ。だから、リュシオン様は安心してお休みを。リュシカ様のこともあって、ろくに眠れてないんでしょう?」

 治療の一段落したマキディエルは、リュシオンにも休息を促す。彼の指摘は的確だった。

「すまない、礼を言う。彼女のことは任せたぞ」
「いーえ、俺も守護騎士なんで、神子様を守るのは仕事のうちですから」

 守護騎士といっても、マキディエルは「闇の」守護騎士。「闇の」神子を守る騎士だ。「光の」神子であるサラは護衛対象に入らない。
 彼が冗談で口にしたのか、はたまた他の意図があったのかは、その表情から読み取ることはできなかった。

「そうそう、伝え忘れるところでした。明日の朝あたりに、姉君がお戻りになられますよ。それまでに顔色戻しといてくださいね。あなたまで倒れたら、笑いごとになりませんから」
「姉上が?」
「さすがに陛下が絡んでくると、俺にはどうにもできません。リュシオン様にお任せします。フェリシア様は俺たちの希望なんですから、しっかり守ってくださいよ」
「ああ、分かっている」

 しばらく城を離れていた姉フェリシアが戻ってくる。それを素直に喜ぶことはできなかった。会いたくないからではなく、戻ってくれば姉が苦しむためだ。
 マキディエルの言葉を胸に刻み、もう一度サラの寝顔を確認してから、リュシオンは部屋を後にした。
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