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第2章 神子の旅立ち編

婚約者

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 レイリア国王に呼ばれ、何事か伝えられた後、自室へ戻るまでのリュシオンの足取りは重かった。
 護衛として付き添っていたマキディエルは、いつにも増してリュシオンの表情が厳しいことに気がついていた。だが、玉座の間の前で待機していた彼には、国王からどんな話があったのかは分からない。

「リュシオン様、陛下と何の話をされたんです?」
「‥‥‥私に婚約者を、と」

 重々しく吐き出された言葉に、マキディエルも珍しく眉を寄せる。

「お相手は?」
「リーゼロッテ嬢だ。先日の健国祭でしつこく付きまとわれた」
「パヴェル侯爵家のご令嬢ですか」

 その名前を聞いたマキディエルは、すぐに状況を察したようだった。
 リーゼロッテ自身もリュシオンに好意を抱いているのだろうが、この婚約を後押ししたのはティリア王妃だろう。実家であるクイン公爵家と繋がりのあるパヴェル家の人間を王家に迎え入れるとなれば、ますます王妃の力は強くなる。

「それで、どうするんです?」
「この歳まで婚約者をつくらなかったのが仇になるとはな‥‥‥断ろうにも、すでに決定事項だ。私の知らないうちに話が進んでいたようだ。断ったところで別の婚約者を探さねばならない」

 今年で十八歳になるが、リュシオンにはこれまで婚約者がいたことはなかった。色々とごたごたしていてそれどころではなかったというのもあるが、単純に興味がなかったというのも大きい。見目麗しい王子と周りは評価しているのだが、当の本人は全く気づかない。好意を寄せられることは多々あるものの、リュシオンは軽くあしらうばかりだった。
 用心深い彼は、純粋な好意というものを信じていない。王族という立場を利用しようとしているのではないか、など一番最初に考えるのはそんなことばかりだ。そして、あながち間違いでもないからますます警戒してしまう。
 その警戒心が仇となり、黒い思惑が渦巻いているであろう渦中に放り込まれることになったわけなのだが。

「パヴェル侯爵家のご令嬢を振ったとなれば、他の婚約者に誰を選んでも騒ぎになりそうですからねぇ」

 強い権力を持つパヴェル侯爵家のご令嬢――しかも、リーゼロッテ自身はリュシオンに好意を抱いている――との婚約を棒に振り、他の家の令嬢を迎えたとなれば、パヴェル侯爵家やクイン公爵家からの圧力が婚約者の家にかかる恐れがあった。自分たちの都合でよく知りもしない令嬢に迷惑がかかることは避けたかった。

「リーゼロッテ様がリュシオン様のことを嫌ってくれていれば、それを理由に断れたんでしょうけどねぇ」
「こんな冷血漢を好むなど、変わっているとは思うがな」
「あなたは自分の評価を改めないといけませんよ。それはともかく、今以上に身動きがとり辛くなりそうで心配です」

 国王の命令を無視してまでサラを助けたことを棚に上げ、冷血漢とは面白い冗談だ。
 それはさておき、ただでさえ王妃の妨害でフェリシアへの協力が思うようにできない中、リュシオンがリーゼロッテと婚約したとなれば、パヴェル侯爵家からも圧力がかかる恐れがある。
 クイン公爵家も、パヴェル侯爵家も、レイリア王国の中で大きな力を持つ貴族だ。その繋がりがより強固なものになれば、今以上に王妃の力を抑えられなくなってしまう。

「次はリュシカ様に、とはならないといいんですがねぇ」
「今の仕事を続けている限りは、さすがに大丈夫だろう‥‥‥あの子が、サラである限りは」
「まぁ、王女っていう身分は隠しているわけですからね。ティリア王妃としても、リュシカ様は実の娘ですし。まぁ、あの方の場合は実の娘になら何もしないと言い切れないのが不安なところですが」

 王位継承権を剥奪されているフェリシアは別として、リュシオンに婚約者が決まれば次はリュシカに、というのは自然な流れだろう。しかも、リュシカは現国王と現王妃の血を引いている。血筋を重要視するのであれば、王族としてリュシオンよりもふさわしい。今はまだ、リュシオンの方が王位継承権は上だが、入れ替わることはあり得るかもしれないと考えていた。
 ただ、今はまだその時ではない。リュシカがサラを演じている限り、彼女が王家のドロドロとした争いに参加する必要はない。
 争いなど似合わない妹。たとえ仮初のものだとしても、穏やかな生活を送らせてやりたかった。

「あの光の守護騎士は、何か思い出したのか?」
「いいえ、そのような話は一言も」
「そうか‥‥‥」

 直接手の届く範囲で守ることは叶わない。自分の代わりに、別な男が兄として妹の傍にいる。
 幸いにして、ソルはリュシカと円満にやっているようだ。その報告を聞いて安心しつつも、モヤモヤした感情を抱えていた。
 自分以外の男がリュシカの兄として振る舞っていること。本当のサラの元へソルを帰すことができないこと。その感情の原因はひとつではない。

「あの光の守護騎士が記憶を失った原因は、俺にもあります。指示を出していた俺の監督不足でした。そんな自分が言うのもどうかと思いますけど、記憶が戻ったにしろ、そうでないにしろ、お嬢ちゃんにはいずれ会わせてあげてください――お嬢ちゃん、ちゃんと約束を果たしてくれたみたいですから」
「!」

 少し前、光の守護騎士を伴って、ノアがレイリア王国に秘密裏に戻って来ていた。
 その目的は、ティリア王妃の実家であるクイン公爵家の噂の真偽を確かめるため。その際、マキディエルとも接触しており、サラが無事にルクシア王国に辿り着いたこと、国王にフェリシアの件を掛け合ってくれたことなどを報告された。

「あの子は、本当に……」
「上手くいけば、あなたの婚約の件もどうにかなるかもしれません。パヴェル侯爵家も無関係ではなさそうですから。だから、今は上手く時間稼ぎをしておいてくださいよ」
「ああ、それを聞いて頑張れそうだ」

 信じて送り出したものの、本当に協力してくれるのだろうかと疑う自分もいた。サラには、あれほど酷いことをしたし、現在も兄は囚われの身のままだ。
 それなのに、サラは協力を惜しまなかった。疑ってしまった自分を深く恥じる。
 ああ、本当に――あの子は「希望の光」なのだ。
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