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第2章 神子の旅立ち編

あなたの傍に

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 別室でソルの無事を祈っていたリュシカは、部屋の扉が開かれる音に素早く反応した。
 振り返れば、そこにはソルの無事な姿があった。だが、それに安堵するより早く、ソルに続く男性の姿が目に入ってくる。

 呆けている場合ではない。リュシカは慌てて礼をとった。
 ソルと共にやってきたのは、実の兄であるリュシオンだった。

「突然の訪問をお許しください、殿下」
「驚いた、が……この男を心配してのことだったのだろう。顔を上げてくれ」

 仕方ないとはいえ、実の妹に殿下呼びされるのは慣れなかった。
 ゆるゆると視線を上げたリュシカの瞳は、不安げに揺れていた。

「質問をお許しください。陛下は、なぜお呼びだったのでしょうか?」
「ソルの記憶が戻ったかどうか、それが知りたかったらしい。まだ戻っていないということを聞いて、切り捨てようとなさっていたようだが……三ヶ月だけ、猶予をいただいた」

 それを聞いたリュシカの表情が強張る。

「ごめんな、サラ。三ヶ月で思い出せるように頑張るよ」

 申し訳なさそうに、ソルは頭を下げた。

「いえ、私のことはお気になさらないでください。私もお手伝いいたします。一緒に頑張りましょう」

 口ではそう言いつつも、記憶を取り戻せば済む問題ではないと薄々感づいているリュシカは、ソルに残された時間があと三ヶ月だけだということに胸が痛んだ。
 記憶が戻っても、戻らなくても、その期限が揺らぐことはないだろう。
 たとえ記憶が戻っても、内容だけ聞いたらソルの存在は必要なくなる。まして、自分が光の国の人間だということまで思い出されては面倒なことになる。
 今はまだうまくいっているものの、頃合いを見て切り捨てようという考えは、前からあったのだろう。

 尤も、それが今の国王が言い出したことなのか、王妃が裏で操っているのかは判断できないところだが。

「そのことだが。ソルには、記憶を取り戻してもらうために、所縁のある場所を巡ってもらうことになった」

 思いがけない言葉に、リュシカは息をのんだ。

「それは……あの塔から出る、ということでしょうか?」
「ああ。しばらくの間、記憶を取り戻す旅に出てもらうことになる」

 猶予はあと三ヶ月。泣いても笑っても、それは揺らがない。
 結末が分かっているのなら、ここで距離をおいてしまった方が楽かもしれない。
 ソルが旅に出ている間は、自分も城に戻り、リュシオンの傍にいることができる。以前の生活に戻ることができるのだ。

 気づけば勝手に口が動いていた。

「私も一緒に行かせてください」

****

 リュシオンを通して、リュシカの決意は国王に伝えられた。はじめは旅に同行することに反対していたリュシオンだったが、リュシカの意志は固く、仕方がなくリュシオンが折れたのだった。
 国王は、「リュシカの気の済むようにすればいい」とその申し出を了承した。
 ただし、リュシカの身の安全を確保するためという名目のもと、騎士が何人か追加で配属されることになった。怪しい動きがないか、念のため監視するためだろう。リュシカの行動が、リュシオンの入れ知恵ではないかと疑う王妃の思惑があるようでならなかった。

 二人きりになると、国王は王妃に胸の内を明かした。

「あの男に猶予を与えたのは、このまま何の成果も得られなければ、リュシカが気に病むだろうと思ったからだ。尤も、今回は失敗に終わっても咎めはしないがな」

 王族でありながら、いつもリュシオンの陰に隠れて目立った成果をあげてこなかったリュシカ。そんな娘に自信をつけさせる目的もあった。
 残り三ヶ月で記憶を取り戻すところまでいければ最高だが、そこまではいかなくとも、実の妹のふりをして取り入ることには成功している。それだけでも自信をもっていいと、国王は考えていた。

「陛下、この仕事を最後までやり遂げた暁には……リュシカの王位継承の件も考えてくださいませ」
「しかし、あの子には荷が重いのでは」
「私も最初は危惧しておりました。ですが、こうして立派に自分の務めを果たしているではありませんか。子どもの成長は早いものです」

 国王は悩む素振りを見せたあと、この仕事を最後までやり遂げた時には検討しよう、と頷いた。
 その返答に、王妃は満足げに口元を歪める。自分の思い通りに国を動かすには、リュシオンよりリュシカが王になった方が都合がいい。

 あと三ヶ月ーー猶予は刻々と迫ってきていた。
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