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第13章 タルタロスの森 中層

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「タルタロスの森へ調査に出ていた部隊が消息を絶った。その中には、戦闘部隊所属のマレディクス・ピュールも含まれている」

 朝早く最高司令官室に呼ばれたかと思うと、ネオの口から出たのはそんな言葉だった。
 それを彼の前に立って聞いていたフォグリアは、最初何を言っているのか分からなかった。両者の間に沈黙が流れる。
 その名前に聞き覚えがなかったからではない。同じ部隊に所属しているということもあるが、その青年には嫌というほど覚えがあった。

「ありえない……それはありえないよ」

 少しして彼女が発したのは、それを否定する言葉だった。

「だが、事実だ」

 しかし、ネオは肯定する。

「ありえないって……よりにもよって、あいつがあの森に近づくなんて」

 いつもの彼女からは想像できない弱々しい声で反論するも、その事実は変わらなかった。

「君を呼んだのは、彼らの捜索をお願いしたいからだ。あの森について、組織で一番詳しいのは君だ。できれば、君に行って欲しい。だが、最終判断は君に任せる」

 部屋に沈黙が流れる。
 だいぶ時間が経過してから、フォグリアは難しい顔で頷いた。

「……分かった、行くよ」

 このもやもやした感情は、実際に自分で真意を確かめなければすっきりするものではなかった。

**** 

 決断をしてから、任務に赴く前に訪れたのは救護室で書類を整理するメディアスの元だった。
 硬い表情で入室してきたフォグリアに異変を感じ、メディアスは仕事の手を休めて彼女を招き入れる。そして、事情を聞かされたメディアスも、最初にネオから事の次第を告げられたフォグリアと同じように訝し気な表情を浮かべた。

「あいつがあの森に入っていったなんて、やっぱり信じられないよ……」

 やはり納得できない顔で、フォグリアは視線を落とす。

「任務で指名されたわけではないのか?」
「あたしもそう思って聞いたけど、自分で行くって名乗りをあげたんだってさ」
「行くのか?」
「行く」

 視線は落としたままだが、はっきりとそう答える。そんな彼女を見ながら、メディアスは思案する。果たしてこのまま彼女を行かせて良いものかと。

 マレディクスとフォグリアの間には、決して浅くない溝がある。それは、年月の経った今でも埋まってはいないのだった。
 そして、その原因となるのがあの森。立ち入った者を喰らうと言われる危険な森、タルタロス。
 あそこに彼が近づくなど考えもしなかったし、その彼を捜索する任務が彼女に降ってくるとは思っていなかった。

「いくらお前があの森に詳しいとはいえ、昔とは違うんだぞ。危険生物モンスターの動きも最近活発化しているらしい」
「あたしが行かないなら、別の隊員が行くだけだよ。それに、あたしが一番あの森では自由に動ける。探し出せる可能性が高いんだ」

 それは最もな理由であった。しかし、今回の件を引き受けたのには、もうひとつ理由がある。
 自分の過去と向き合うこと。15年近く引きずり続け、未だ正面から見ることのできなかったもの。常に頭の片隅にはあって、いつかどうにかしないといけないと思いつつ、先延ばしにしていたもの。この機会を逃せば、また先送りしてしまうだろう。

「もう、あたしも子どもじゃないんだ。どこかで腹くくらないとね」

 決心した顔のフォグリアに、メディアスは一度目を閉じて息を吐く。
 それから、再び口を開いた。

「それなら止めない。ただ、子どもであることと、頼るのを止めることは違うからな。相談くらいには乗る」
「うん、ありがと。なんだかんだで、やっぱりだよね、君も」

 フォグリアの言葉に、メディアスは軽く眉を上げる。

「どんな形であれ、けじめはつけてこい」

 メディアスはそれだけ言い残すと、再びデスクに向かって書類の整理を再開した。
 フォグリアは立ち上がり、救護室を後にする。気持ちは、少し落ち着きを取り戻していた。


 救護室から正門へ移動すると、捜索部隊がすでに編制されていた。
 あの危険な森に行くことを了承してくれる隊員も珍しいので、決して数が多いとは言えない。しかし、無駄に数を増やして別の隊員が迷子になったのでは話にならないので、これでいいのだろう。

 フォグリアとしては、自分ひとりだけでも問題はなかった。しかし、いくらあの森に詳しいとはいえ過信するのも良くない。救援信号が上がっていないというのも引っかかる。
 戦闘部隊の中でも、フォグリアはかなりの実力者。今回、少数での編制に留めたのも、その存在が大きかった。
 
 メンバーは十数名ほど。そのほとんどが、フォグリアほどではないにしろ、あの森に関して心得のある隊員たちばかりだった。そのうち、諜報部隊が半数ほどを占めている。
 しかし、その中に自分と同じ隊に所属する後輩の姿を見つけ、フォグリアは目を丸くした。

「ありゃ、弟君? 何でここにいるのさ。前回ので危険な場所なのはよく分かってるだろうし、エイドからも止められてたんじゃないの?」

 聞き覚えのある声に顔を向ければ、フォグリアが腑に落ちない顔で首を傾げていた。
 彼女の言うことも尤もだろうと思う。前回の任務であの森が危険なことは分かっているし、エイドにも昔から耳が痛くなるほど聞かされている。その状況でまた行こうなどと言うのは変わり者なのだろう。事実、俺は普通ではないのだから。

「いたら止められただろうけど、今あいついないし。それに、俺は事情を分かってて同行してくれる隊員がいないと任務に出られないから、行ける時に慣れておこうと思って。フォグリアが断るって言うなら、もちろん無理に参加はしないけど」
「あたしは別にいいけどさ。前回、思いっきり蹴っちゃったじゃん?」
「あれは助かった。気にしなくていい」

 あれは俺が頼んだことだったのだが、気にしていたのか。アンヴェールを蹴り飛ばすだけの力を持っていることには正直驚いた。
 本当に何かあったら止められるのだろうかと疑っていた自分が恥ずかしくなった。さすがは、戦闘部隊の中でも相当上位の実力者といったところか。

「今回も、何かあったら蹴っちゃうかもしれないけどいいの?」
「ああ、そうしてくれ。自力で抑え込めるのが一番いいんだけどな」
「その体質って生まれつきなの?」

 ふと、フォグリアが疑問を漏らす。
 そういえば、どうだっただろうか。幼いころから、俺の中にはアンヴェールというもうひとつの人格がある。
 エイドの家に来てからはすでにいたはずだから、その前からなのだろう。しかし、幼少期の記憶はひどく曖昧だ。ソワンたちに引き取られてからも、俺は引き取られる前のことをほとんど何も思い出せなかったらしく、どういった生活をしていたのか話すことはなかったらしい。

 いつから俺の中にるのか。どうしてるのか。
 昔のことを思い出そうとすると、頭が痛くなる。まるで、思い出すことを身体が拒否しているように。

「たぶん違うんだけど……でも、そうとも言い切れなくて。俺、小さい頃の記憶が曖昧なんだ。エイドの家に来る前のことは、ほとんど覚えてなくて」
「そうなんだ……何か悪いこと聞いたね」
「いや、別に平気だ」
「あたしもさ……ううん、何でもないや」

 何か言いかけたが、すぐにその言葉は飲み込まれ、外に出ることはなかった。何だろうと思ったが、フォグリアは話題を切り替える。

「今日のリーダーは一応あたしだから、指示出すよ。テミスの監視員から報告は上がってないみたいだから、テミス領の方には行かずに別な方面を捜そうと思う。そっちで見つかったら、監視員さんから連絡がくるだろうし。作戦部隊の隊員さんから別意見はある?」

 メンバーの中に二名ほど作戦部隊員も含まれていたが、彼らも反論はないらしく、その方向性でいくことになった。

「見つからないようだと中層まで行くことになると思う。その覚悟はある?」
「行く前に誓約書書かされてるしな」

 万が一に備えて、今回は立ち入らないだろうがテミスの入国許可証受諾と、任務中の怪我諸々に関して、何かあっても自己責任ですという誓約書を書かされている。他の隊員たちも頷いた。

「覚悟が決まってるなら、行こうか」

 それは俺たちに向かって言っているようであって、自分に言い聞かせているようにも見えた。

「本当に……何を思ってあの森に行ったんだろうね、あいつは」

 悲しさと苦しさが入り混じったような顔で呟くと、フォグリアはタルタロスの森へ向かうためフェニックスに乗り込む。隣にいた俺の耳は、その言葉を拾っていた。
 その言葉の意味は分からなかったが、その様子はいつもと明らかに違っていた。
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