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第二部 プロローグ

記憶⑥

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 翌日、予定通り俺とラウディは目的の場所へ向かうことにした。幸いなことに天気は快晴だ。
 家を出る前、母親との長いから解放されたルーテルとも合流し、一緒に行くことになった。俺はまだ単独での行動が制限されているので、ラウディがいるとはいえ、彼女もいた方が心強い。
 アムールから三人分の昼食を受け取り、ちょっとしたピクニック気分で目的地へと向かう。そうは言っても、これから行く場所には安全対策のためにロープが張り巡らされた大穴があるだけなのだが。

 ここでの生活が長い者にとっては一度は見たことがあるし、まぁ穴があるなくらいで気にも留めない場所だ。ラウディがいなければ、再び訪れるなど考えもしなかっただろう。面白みはない場所だ。
 しかし、彼にとっては長年探し続けてきた場所かもしれないのである。どことなく、そわそわしているような気がした。

「悪いな、つき合わせて。俺としては助かるが、別に興味があるわけでもないだろう」
「まぁ、この辺りじゃ気に留めるやつはいないだろうな。でも、ずっと探してた場所かもしれないんだろ? 確かめてすっきりするなら、いいんじゃないか。案内するくらい、大した手間でもないし」
「ありがとう、助かる」

 道中、詳しい事情を知らないルーテルに昨日の話をしながら、住宅街の外れに向かう。ぽつりぽつりと家同士の間隔が開きだし、やがて緑が視界を埋め尽くす。
 途中でお昼になったため、そこで適当に座って昼食をとることになった。持たされたのはサンドウィッチの詰め合わせだ。

「はい、ファスはこれ好きだったよね?」

 そうルーテルから渡されたのは卵が挟んであるものだ。頷いてそれを受け取る。好物だと言ったことはないが、サンドウィッチを食べるときは卵が入っているものを最初にとるので、ばれていたのだろう。

「ラウディさんは、どれにしますか?」

 サンドウィッチの入ったバスケットを彼の方へ寄せながら、ルーテルが尋ねる。それを覗き込み、彼は薄切りの肉と葉野菜が挟んであるものを選んだ。
 俺たちが取り終わると、ルーテルも卵が具のサンドウィッチを口に運ぶ。

「おすすめは卵のやつなのか? ……いや、これもうまいな」

 二人ともこれを選んだからそう思ったのかラウディがじっと見てきたが、自分のサンドウィッチを口に運んでそんな感想を零す。
 アムールの作る物はどれも美味しい。一つ目をあっという間に食べきってしまった俺は、今度は別の味に手を伸ばした。

「それにしても、仲いいよな」

 俺とルーテルの方を見ながら、ラウディがぽつりと言う。俺は思わずむせかえった。

「ゴホッ……そりゃ、幼なじみだしな」

 若干涙目になりながら応える。慌てたようにルーテルが水筒からお茶を注いで渡してくれた。

「ふぅん、幼なじみね」

 何か考えるように彼は顎に手をやる。

「ファスとは、五歳の頃から一緒にいましたから」

 ルーテルも俺に続くようにそう言って笑った。
 彼女は幼なじみ。その通りだ。ただ、それ以外の感情が俺の中にあるのも確かなのである。
 彼女は人気者だ。今までだって、彼女に声をかけてくる男性は後を絶たなかった。それでも、彼女がそれをことごとく断っているのを知っている。声をかけてきたひとの中には、お似合いだろうなと思う人物もいた。だが、彼女が誰も選ばなかったことに安堵する自分もいた。

「これぐらいの距離感でもいいと思うんだよな。でも、あいつはなぁ……」

 俺たちを見ながら、ラウディはひとつため息をついた。

「何か悩み事ですか?」

 ルーテルがそう尋ねれば、ラウディは食事の手を止めて話し出す。

「ちょっとな……知り合いの妹に、この休みを使って遊びに来てくれって言われて困ってるんだ」
「気が進まないんですか?」
「ただ遊びに行くだけなら悩みもしないが……かなりでな。あいつの兄貴の友人っていう立場を崩したくない俺としては、毎度困ってるんだよ」

 つまり、友人の妹からアプローチを受けているということか。
 確かに知り合いの妹ともなれば思うところもあるんだろう。だが、本人が本気なら、立場に執着することもないのではないだろうか。彼が乗り気でないなら、それはどうこう言えたものではないが。
 そう応えれば、ラウディは少し考えた後にこう続けた。

「俺はアブソリュートの隊員だ。危険なことだってたくさんある。あいつは一般市民だ、巻き込みたくない。でも、いくら言っても諦めようとしないんだ」

 それを聞いて、俺はルーテルと顔を見合わせる。彼の様子から、本音はこちらなのだろうと感じた。
 その子のことが嫌いなのではなく、大切だからこそ遠ざけようとしている。どんな子なのかは知らないが、アブソリュートの仕事のことを聞かされても気持ちが揺らがないくらい、彼のことが好きなのだろう。

「本気なんですね、その子。ラウディさんにとっても、大事なひとなんですよね?」
「大事かどうかは置いておくとして……俺にもしものことがあった時、傷つけたくない」

 ルーテルの問いに、「はい」でも「いいえ」でもない答えが返ってくる。

「傷つけても、いいんじゃないでしょうか」

 その言葉に、はっ、とラウディと俺はルーテルを見た。彼女の表情は至って穏やかだ。

「もし傷ついたとして、その子は立ち上がれなくなるようなひとですか? 何度アブソリュートのことを聞かされても、諦めなかったひとですよ」

 そう問われ、ラウディはその子のことを想像しているのだろう、顎に手を当てて視線を下げる。
 ルーテルは、さらに続けた。

「アブソリュートの隊員じゃなくても、危険に巻き込まれることや、予想もしなかった悲しい出来事に見舞われることはあります。一時だけでも、好きなひとと一緒にいたい。そう思うのは、いけないことでしょうか?」

 一呼吸おいて、ルーテルが再び口を開く。

「私は、傷ついてもいい。それでも、一緒にいるって決めたんです」

 そう言い切って、ルーテルが俺を見た。……え? 
 彼女の顔を見ながら、俺は思考停止する。

 ──うん、状況を整理しよう。
 彼女は、以前にも同じような事を言っている。新入隊員として、インダストリア氏の遊園地の警備をしていた時だ。あの時は、アンヴェールと入れ替わった後、俺のことが怖くないのかと尋ねたところ、今回のようなことを言われたのだった。

 それで、今回だ。
 ラウディに好意を寄せている子の相談を受けていたところで、ルーテルはまたしても同じようなセリフを口にした。
 厳密には、ルーテルの言う傷つくは物理的、ラウディの言う傷つくは精神的なもので、意味合いは異なる。
 だが、話の流れとしてでいいんだろうか?

 その後は、すぐにラウディの話に戻ってしまったので、彼女の言葉がに対してなのか、それ以上のものなのかは分からなかった。しかし、そのやり取りを見ていたラウディから、何か言いたげな視線を向けられていたのは気のせいではないだろう。
 自惚れても、いいんだろうか。幼なじみ以上の想いを抱いているのは、俺だけではないと。

 口にしてしまえば今までの関係が壊れてしまいそうで、その場で尋ねることはできなかった。何とも情けない話だが、それを確かめるには時間が欲しい。

 でも、近いうちに改めて聞いてみようと思う。……いや、自分から伝えるべきだな。それで、思うような結果にならなくても。傷つくことを──傷つけることを怖れていたら、僅かな可能性でさえ失ってしまう。
 密かな決意を胸に抱きながら、サンドウィッチ最後の一口を飲み込んだ。
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