金盞花の光

鳥崎蒼生

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新井洋一

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「気づいたら、自分の価値が分からなくなったの。」
思い出を切り裂くように、沙織が話し始めた。
「価値なんて、考えても仕方ないって今なら分かるけれど、あの時は、私は何の為に生きているのか、わからなくなっていた。」
「そんなこと・・・」
「そんなこと、なのよ。普通の人には。価値なんて毎日考えて生きている人なんていない。そりゃ、たまには思うかもしれないけれど、落ち込んだときとか、失敗したときとか。でも、私はそれをずっと考えて生きてきた。」
自分の価値なんて考えたところで、どうしようもない。価値があろうがなかろうが、生きていれば良いではないか。
価値なんて考えていたら、誰だって生きづらいし、本来はそんなこと毎日考える時間はない。
「私は、ひたすら誰かに尽くす人生だった。でもそれは、尽くすことで自分の価値を認めて欲しいという思いの裏返しだったの。私は誰かの特別になりたかった。」
「僕の特別では、だめだったのか?」
「あなたの特別・・・ではない。少なくとも私は、あなたが私を特別だと思っているとは感じていなかった。生きている時は。」
特別とは何なのか。
大切に思っているだけではだめと言うことなのか。
「じゃあ、僕が沙織を特別に思わなかったから・・・・」
「少し正解で大半は違う。確かに、あなたに求めた物を理解してもらえなかった辛さはあるわ。でも死んだのはそのせいじゃない。」
(少しは僕のせいなのか・・・)
面と向かって言われると、少しショックで少し腹立たしい。
「特別だったというなら聞くけれど、あなたは私が苦しんでいるときに、何を考えて、何をした?」
苦しんでいるときとは?病名が分かった時か?それとも死にたいと言っていたときか?
「僕は沙織の話を聞いたし、アドバイスもした。沙織が無理なときは、何かして欲しいとも言わなかったし、仕事の復帰だって、せかしたわけじゃない。僕なりに気を遣ったつもりだよ。」
そう、洋一なりに気を遣った。
沙織が前向きになれるように。
「私が仕事を休みたいとき、あなたの顔色をうかがっていたことに、気がついていた?私はいつも、自由に休む事なんてなかった。必ず、あなたに休んでいいか聞いていたでしょ?」
確かに、そうだった。
いつも、休みたいときは、洋一に聞いてから休んでいた。
「何故だと思う?」
なぜ?考えたこともない。
聞いてくるから、それに答えていただけで、何故かなんて考えなかった。
「あなたに見放されたくなかったからよ。あなたに、失望されて、私を否定されたくなかったから。でも、否定されるんだけど」
ふふっと笑いながら沙織が答える。
「いい大人が、自分の休みも決められないわけないの。休みたいから、それに賛同して欲しくて聞いていたのよ。でも、あなたは正論ばかりで私の気持ちを考えてはいなかった。」
「それは!沙織の立場とか、色々考えて!」
「そうね。分かってる。だって正論だもの。間違ってはいないのよ。だけど、私はもう十分無理をして仕事をしているとは思わなかった?骨折しても、救急車で運ばれたその日でも仕事をしていた私が、休みたい、もう行きたくないって言ってるのに、異常だとは思わなかったんでしょ?しかもそれが理解出来なかった。」
確かに沙織は、怪我や少々の痛みなら、どうにかしてでも仕事に出ていたと思う。
でもそれは誰もがやっていることだ。
「倒れた私を放置して、仕事に行ったこともある。仕事に遅れたら迷惑がかかるから。それも正論。でも、もし、そのまま私が死んだら?」
そんなこと言われても、時と場合という物がある。倒れても、意識があれば何とかなるだろうし、大人なんだからそこらへんは理解している物だと思っていた。
「あなたが私の病名を聞いたとき、あなたが医者の話を聞いたとき、あなたは否定ばかりしていた。でも、私は何も言わなかった。だってあなたには、私がそう見えていたのだから、それも間違っていないの。人の考え方は簡単には変わらない。あなたが鬱を否定していたように、あなたの前向きな考えを聞いても、私の考えは簡単には変わらない。それを理解出来ていた?」
理解しようとはした。同僚にそれとなく相談したり、ネットで調べたりして、洋一は出来る範囲のことをしたし、何もしなかった訳ではない。
沙織が怒っているわけではないのは表情で理解出来たが、まるで自分だけが責められているようで不快な気分だ。
「だから、私はあなたの特別ではないと感じたのよ。特別なら、もう少し私を気にしてくれたはずだから。私はあなたの一番ではないと思ったのよ。責めようって気はないの。ただあなたが、私を特別だと言ったから、私の思いを言っているだけ。」
どう聞いても、責められているような気しかしない。洋一が沙織の気持ちを理解していないと否定されつづけているだけだ。
「私はいろんな意味で、何でもない存在だと、ある日気がついたの。仕事をしても、大勢いる中の1人に過ぎず、家にいても、女でも母親でもない。誰かの子供でもない。そんな私がここにいて、なんの意味があるのかなって。誰かの何かではない。ただ息をして、人の顔色をうかがっているだけで、どんなに努力をしても、私の欲しいものは手に入らない。」
「僕だって、沙織に不満がなかったわけじゃない!でもそれは、言っても仕方ないことだろ。俺だって沙織の特別を求めたわけじゃない。ただ、側にいるだけじゃ、だめだったのか?」
責めてはいないと言いながら、沙織の口から出てくる言葉は、全て恨み言の様に聞こえる。
結局は洋一のせいだと言いたいのではないかと、腹が立った。
「そうよね。あなたはいつも何も言わない。ただ、黙るだけ。それが私には余計に不安だった。何を考えているのか、理解出来ないから。夫婦なんて、時が経てば、どこも同じで、良い意味で空気のような存在になる。
なければ困るけれど、普段はそれを意識したりはしない。けれど会話のなくなった夫婦は、夫婦でいる意味があるのかしら。同じ空間を所有しているだけなら、友人でも、他人でもかまわないのよ。」
確かに洋一は、答えに詰まると黙る癖があった。沙織に腹が立っても、それを口に出して沙織を傷つけると思っていたから、押し黙る事もあった。しかしその気持ちを沙織は理解してくれていると思っていたし、口に出さなくても、分かるだろうと思っていた。
「あなたの話ばかりしていたら、まるであなたが原因みたいになってしまうわね。あなたは要因の一部分に過ぎない。でも、あなたに会ってしまったら、つい、あなたへの不満をぶちまけてしまったわ。これじゃあ責めてるのとかわらないわね。」
そう言って、またクスクスと笑った。
洋一は責められて、笑う気持ちにもなれないというのに。
確かに、洋一が原因で沙織が死んでしまったと思い込んで、死に場所まで探していたが、本人から突きつけられる言葉は、洋一が思うよりも辛辣で、何よりもショックだった。
「怒ってるの?」
洋一をのぞき込むようにして、沙織が聞いてくるが、何も返事を返さなかった。
「仕事もね、楽しかったのよ。少しずつ、自分の力で階級を上がって行く事が、うれしかった。でもその分、苦しい思いも沢山したわ。同僚の裏切りや、板挟み、理不尽なクレームに上司からの無茶な要求。そして沢山失敗もした。その度に、打ちのめされ、上手くいかずに焦り、自分を責め続けた。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「それも人に認められることで、私という存在を特別に感じて欲しかったから。私がいないと困ると思ってもらえるほどに。だから、より完璧を求めた。人は、そんなに無理をしなくてもいいって、会社にそこまで尽くす必要はないって言ってくれたけど、それが出来なかった。怖かったのよ。私の存在を否定されるのが。」
「完璧な人間なんて、この世にはいない。僕だって完璧ではない。沙織が言うとおりなら、僕は一番側にいながら、沙織すら幸せに出来なかった、最低な人間と言うことになる。」
「卑屈ね。そういう意味じゃない。私の価値観の問題の話よ。人それぞれ、価値のある物は違う。うーん・・・説明は難しいけど、お金が大切な人、愛が大切な人、自分が大切な人。それだけでも、人の価値観は変わってくる。お金が大切な人に愛の大切さを説いても、愛が大切な人にお金の大切さを説いても、自分が大切な人に他人の大切さを説いても、理解は出来ても、腑に落ちない。それと同じ。」
価値観の違い・・・。そんなこと深く考えたこともない。考えたとしても、それは本人が自由にすれば良いことで、人に求める物ではない気がする。
「私が間違えたのは、その価値が承認欲求だった事よ。それは人からしか与えてもらえない物。自分では満たせない物。それを求めたから、どんどん追い詰められた。」
洋一は何も言えず、ただ黙って沙織の次の言葉を待った。
「注意される度、否定される度、失敗する度に、価値がなくなるような感覚に陥った。そして空回りして、更に悪い方へと転がっていく。でもあなたはちゃんとそれを分かっていたから、正論で私を戒めていた。それも分かっていた。頭ではあなたの言っている事が理解出来ても、気持ちが付いて行かなかった。」
「私が死んだのは、誰にも責任はないの。誰にも・・・ね。このままじゃあなたを責めるために会ったみたいになってしまうから、あの日、何で私が死んだのか話しておくべきね。遺書を残せなかった理由も。」
洋一は何を言われても、やはり責められている様な気持ちを消せないでいた。それでも、沙織の話を、これで最後になるであろう話を聞くことに決めた。
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