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新井洋一
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「だから、誰かが原因で死んだわけでも、遺書を残さなかった事に意味があるわけでもない。ただあるのは、あなたに私と同じ、自分が悪いと思い込ませてしまった事だけは、ここに来て後悔したわ。」
長い話だった。沙織がそんなにまで自分を卑下しているとは、思っていなかった。
世の中に何の未練も残さないほどに、無になっていたことすら、知らなかった。
「僕がもっと真剣に向き合えていれば、ちゃんと、言葉で伝えていれば、こんな結果にはなっていなかったかもしれない。悪気はなかったんだ。本当に・・・」
「それはお互い様でしょ?私だって、あなたに言わなかったんだから。」
「でも・・・」
「あなたは私が死んでから、何故か分からなくて、苦しんだ。そして自分を責めることで、私の死に折り合いを付けた。でも、私の死は、あなただけが原因ではないと分かったでしょ?全く関わりがないかと言えば、それは嘘になる。けれど、死の原因は、私の中の承認欲求で、自己満足で死んだのよ。」
そんな理由で人は死ねるのか?もっと死には何かしらのきっかけや、原因があるのではないのか。
それが承認欲求でしかなかったなんて・・・
「あなたは、どうにかしようとしてくれてたんでしょ?あなたなりの精一杯で。ちゃんと分かっていた。さっきは責めるようなことも言ったけど、これはどうしようもなかった結果なの。あなたには変えられなかったの。」
「私にとって、心の内を隠す事よりも、心の内を話して理解されなかった時の方が、何倍も辛かった。だから、あなたが私の最後の気持ちを知る事はなかった。そう私が決めたことに、あなたの責任はない。」
(本当に僕は沙織をどうにかしようと思っていたのだろうか・・・)
洋一はここに来て、初めて自分の本当の気持ちを自分に問いかけた。
体調が悪いと言って休める沙織を、羨ましいと思ったことはなかったか。
自分自身が休むことは悪い事だと決めつけてはいなかっただろうか。
沙織という人間を、自分の都合の良いように見てはいなかっただろうか。
「僕は・・・沙織を、ちゃんと愛せていたのだろうか。男女というだけではなく、一人の人間として・・・」
「あなたから愛なんて言葉を聞くとは思わなかった。」
そういうと沙織はまたクスクスと笑った。
「大丈夫。ちゃんと愛を感じる場面は沢山あったわ。だから私はあなたと別れなかった。そう。夫婦に問題なら、離婚すればいいだけの話なのよ。死んだりせずにね。でも、私はあなたの妻のままで死んだのよ。それが何よりの答えじゃない?」
確かにそうだ。洋一だけが死の原因を作ったのなら、死ぬ前に、離婚の話が出てもよかった。でも、そんな話はしていない。
「死んだ私が言っても説得力はないけれど、私はあなたと結婚できて幸せだった。あなたのことを、いつまでも好きでいられたから。普通は薄れて行くものでしょ?そういう感情って。でも、私は結婚してからずっと、あなたの事が大好きだった。あなたと恋愛を始めた時の様な燃える炎ではなくても、ろうそくのように揺らめきながらも、ずっとあなたを好きだったの。もし、私に承認欲求さえなければ、きっとあなたといるだけで幸せでいられた。何も求めず、一緒にいられたらどんなに幸せだったか・・・・」
沙織は泣いた。
今まで、ずっと笑っていたのに、洋一の腕にしがみついて、子供のように声を上げて。
(あぁそうか、僕は思っていたよりも沙織を愛していたし、愛されていた。)
沙織が死んでから、ずっと自分の何がいけなかったのか、自分は沙織を支えてやれなかった、そんなことばかり考えて、自分が沙織にどう見えていたかなんて、考えてもみなかった。
沙織は確かに洋一を愛してくれていたし、だからこそ、沙織は洋一の妻であり続けたかったのだと気がついた。
それ故に、洋一に一番理解して欲しかったであろうと言うことも。
「ごめん。ごめん。本当にごめん。沙織が死んで、ここに来てやっと、沙織の気持ちが、どうしてあんなに僕に気持ちを伝えようとしていたのかも。やっと分かるなんて・・・」
洋一も号泣した。
それはきっと、沙織の葬式で流した涙の何倍も思いの詰まった熱い涙だった。
以前、沙織に生きたくても生きられない人間もいる、死にたいなんてその人たちへの冒涜だと怒鳴ったことがある。
でも沙織も生きたくても生きられない人間の一人だったのだと。
何も不治の病だけが原因ではない。
心の病だって、生きたくても生きられない理由になるのだ。
そんなことも気がつかなかった。
「私・・・死んだことよりも、あなたに、ちゃんと、伝えなかったことを、後悔しているわ。」
まだ、涙の止められない沙織は、それでも必死に言葉を吐き出していた。
「あなたの事を好きになれて良かった。生きてきた中で、唯一、私が誇れる物は、あなたを夫に出来たことだと。何も自慢できる物はないけれど、どんなにあなたがあなた自身を責めても、その責めている部分も含めてあなたを愛している。こんなに人を愛せた私は、本当に幸せだった。早く、それに気がつくべきだった。本当の意味で、私を理解していなかったのは、私自身だった。こんな私を愛してくれて、自分を責めるほどに思ってくれて、本当にありがとう。」
洋一は何も答えられず、ただ涙を流しながら、沙織を抱きしめ、うんうんと相槌を打つのが、精一杯だった。
沙織は決して、洋一を苦しめようと死んだわけではない。
洋一が嫌いになったわけでもない。
「だから、あなたは生きて。私の為に死んだりしてはいけないの。だって、あなたが死んだら、誰が私の事を思いだして,伝えてくれるの?私という人間がいたということを。私は、あなたの思い出の中でなら、いつでもあなたに会える。あなたといられる。だから・・・死ぬよりも、生きて私を沢山思い出して欲しい。」
沙織は洋一の死など望んではいない。
死んで報いるのは、それこそ洋一の自己満足にしかならない。
「思い出の中の私は色あせることはない。いつもあなたが見ていた私が、そこに留まっていられるもの。」
思い出して欲しい。
それが沙織の願いなのだ。
そう、洋一はずっと思っていた。
沙織は洋一を待っているのではないかと。
そう願っているのではないかと。
洋一が死ぬ事で、沙織に対する罪悪感を拭おうとしていたのかもしれない。
けれど、沙織の願いは、思い出の中でも一緒にいたいというものだった。
正直、思いもよらなかった。
ここに来て、沙織に会ってからも、ずっと、責められている様な気がしていた。
だからこそ、ここから出られたとしても、生きていけるか不安だった。
「僕はごめんとしか言えないよ。沙織が死んで、沙織の存在の大きさに気がついた。いつもそこにいるのが、当たり前になりすぎて、失うなんて考えてもみなかったんだ。沙織が死にたいと言ったときも、一時的な物だと思っていた。だけど、本当に死んでしまうなんて、思わなかった。僕は、僕が思う以上に沙織を愛していたんだと、気がつくのが遅すぎた。もっともっと・・・・」
そこから先は、言葉にならない。涙で喉が潰れて、声が出なかった。
「いいの。謝らなくても、もういいの。私は大丈夫。あなたがここに来てくれたことで、あなたの愛の深さを知ったから。だから、あなたは私の為に生きて。そして、戻ったら、老後のためにいい人を見つけてね。」
沙織の涙はもう止まっていた。
抱きしめていたはずの洋一が、今は沙織に抱きしめられている。
「私はあなたの元には戻れないけれど、一人の老後はさみしいから、友達でも恋人でも、妻でもいい。あなたの側で、あなたを大切にしてくれる人と一緒に人生を楽しんで欲しい。そして、暇なときにでも、私との思い出の中に会いに来て。あなたの心の中に、いつでも私はいるのだから。」
そういって、洋一の背中をポンポンと叩いて、体を引き起こす。
ようやく見えた沙織はいつもの笑顔に戻っていた。
「ほら、もう泣き止んで。私はあなたの笑顔を見たまま去りたい。」
去るという言葉を聞いて、洋一は、ハッとした。
ここは永遠にいられる場所ではないのだ。こうして沙織に話している時間も、後どのくらい残っているのかも分からない。
「本当に逝ってしまうのか?」
手のひらで必死に涙を拭い、何とか体裁を整える。
「そうね。幸い、あなたが探していた本当の物は見つかったみたいだし、そろそろ、戻らなくちゃ。あなたも、ここから出なくちゃいけない。お互いがあるべき場所へ戻るのよ。」
「僕は結局、何を探していたんだろう。沙織以外に・・・」
「ふふふっ。あなたが探していた物は単純な物よ。答えが欲しかったんじゃない?自分の何がいけなかったのか。自分の憶測ではなく、ちゃんとした答えが。あなたは答えがない物が苦手だもの。そのあなたが考えても出せなかった答えが、ここにはあったでしょ?本人から聞けたんだから、答え合わせ、出来たじゃない。後のことは、戻ってから整理すれば良い。」
(答えがないものが、苦手・・・・正解がここに・・・沙織は僕をちゃんと知っているんだな・・・)
どんなに考えても、分からなかった。
何故、沙織が死ななければならなかったのか。
自分が原因で追い込んでしまったのではないか・・・そう考えても、正解は分からなかった。
沙織はちゃんと自分が死んだことを、その理由を洋一に話してくれた。
確かに、腹も立ったし、辛くもあった。
けれど、それ故に、沙織の言葉に嘘はなく、取り繕っているわけでもないと、今なら確信できる。
嘘でも、想像でもない。本当の答えを洋一に与えてくれたのだ。
「僕は、何に感謝すべきかな?ここに来られたことを。神様か、仏様か・・・・分からないけど、お社様?に感謝すべきだな。ここに導いてくれたんだから。」
「お社様?なあに?それ?」
沙織に、ここに来るまでの経緯を簡単に話した。
死に場所を探していたこと、不思議な喫茶店のこと、かわいらしい給仕や綺麗な桔梗という女性のこと。
「私は、気がついたらここにいたのよね。流れの中から、急にここに引っ張られた感じ。ここはね、知識としては知っているの、流れの中の全ての者が。でも、決して自分から入ることは出来ない。いわば聖域の様な場所。そして、会いたい人に会える場所。だから、あなたがここにいることに、驚かなかった。でも、私をここに呼ぶほどのあなたの思いには、驚いたし、嬉しかった。」
もう二人とも泣いてはいない。その代わり、何事もなかったかのように、そして当たり前のように寄り添って、話をしている。
「沙織に会えたのは、本当に奇跡なんだな。夢でも見ているような・・・でもちゃんと、これが現実だと実感できている。不思議な場所だな。」
「そうね。人の人生だって同じよ。良い夢は長く味わっていたいし、悪夢なら早く覚めたい。そして儚い。長いようで短くもある。短いようで長いようでもある。死んでしまえば、人生も夢と同じ。」
「なんだ、その詩みたいな話。でもそうかもな。夢なら楽しい夢が良い。」
二人でクスクス笑いながら、この短い間の会話が続けば良いのに、これが夢なら覚めなければ良いのにと思った。
でも、そうはいかない事に気がつく。
体が透けていく沙織を感じたからだ。
「あなた。私達はそろそろ戻らなくちゃ。ここでの思い出も私と一緒に流れに乗っていく。だから私は幸せよ。あなた、ありがとう。元気で長生きしてね。」
「沙織、ありがとう。僕も沙織といられて、幸せだった。沙織との思い出は、ずっと僕が死ぬまで、僕が守るから。いつか、また奇跡で出会えたら・・・また一緒に・・・」
そこまで言うと沙織の笑顔ごと、手の中から消えてしまった。
もう奇跡なんて起きないかもしれない。でももし、生まれ変わりがあるなら、今度こそ、沙織を幸せにしたいと願う。
今ここにあった温もりを手のひらで、握りしめる。
「新井様・・・探し物は見つかりましたか?」
洋一のすぐ後ろで、あの声がする。桔梗という人だろう。
「ええ。僕が思っている物ではなく、自分が本当に求めていた物を見つけました。」
そう言って振り返ると、やはり桔梗が立っていた。牡丹・・・とかいう給仕も一緒だった。
「それは何よりでございました。私どももお役に立てて、幸せでございます。それと・・・牡丹!」
桔梗が名前を呼ぶと、牡丹はビクッと体を大きく震わせた後、おずおずと前へ進んできた。
「うちの牡丹がご迷惑をおかけいたしました。見慣れぬ場所で、案内もまともに出来なかったことを、ここにお詫びいたします。」
「もっ申し訳ありませんでした。」
そう言って、二人が深々と頭を下げたので、洋一も、つられて頭を下げた。
「いいえ。ここへ導いてくださったことに、こちらが感謝しています。僕はこれからも、生きて行けそうです。」
「これは、お詫びと言っては何ですが、当社のお守りでございます。新井様がこれから、良い人生を送られることを、私ども一同、願っております。」
そう言って渡してくれたのは、鈴だった。特別、変わったことはない、ただの鈴。小さく刻印がされているが、はっきりとは見えなかった。
「鈴・・・ですか?」
「はい。鈴でございます。」
またあの妖艶な笑みを浮かべる桔梗をみて、何だかこの会話が可笑しくなった。
「ありがとう。大切にします。」
そういってズボンのポケットにしまった。
「そろそろ、参りましょうか。新井様のいるべき場所へ・・・」
桔梗の声がそう聞こえ終わると同時に、洋一はまた意識を飲み込まれた。
長い話だった。沙織がそんなにまで自分を卑下しているとは、思っていなかった。
世の中に何の未練も残さないほどに、無になっていたことすら、知らなかった。
「僕がもっと真剣に向き合えていれば、ちゃんと、言葉で伝えていれば、こんな結果にはなっていなかったかもしれない。悪気はなかったんだ。本当に・・・」
「それはお互い様でしょ?私だって、あなたに言わなかったんだから。」
「でも・・・」
「あなたは私が死んでから、何故か分からなくて、苦しんだ。そして自分を責めることで、私の死に折り合いを付けた。でも、私の死は、あなただけが原因ではないと分かったでしょ?全く関わりがないかと言えば、それは嘘になる。けれど、死の原因は、私の中の承認欲求で、自己満足で死んだのよ。」
そんな理由で人は死ねるのか?もっと死には何かしらのきっかけや、原因があるのではないのか。
それが承認欲求でしかなかったなんて・・・
「あなたは、どうにかしようとしてくれてたんでしょ?あなたなりの精一杯で。ちゃんと分かっていた。さっきは責めるようなことも言ったけど、これはどうしようもなかった結果なの。あなたには変えられなかったの。」
「私にとって、心の内を隠す事よりも、心の内を話して理解されなかった時の方が、何倍も辛かった。だから、あなたが私の最後の気持ちを知る事はなかった。そう私が決めたことに、あなたの責任はない。」
(本当に僕は沙織をどうにかしようと思っていたのだろうか・・・)
洋一はここに来て、初めて自分の本当の気持ちを自分に問いかけた。
体調が悪いと言って休める沙織を、羨ましいと思ったことはなかったか。
自分自身が休むことは悪い事だと決めつけてはいなかっただろうか。
沙織という人間を、自分の都合の良いように見てはいなかっただろうか。
「僕は・・・沙織を、ちゃんと愛せていたのだろうか。男女というだけではなく、一人の人間として・・・」
「あなたから愛なんて言葉を聞くとは思わなかった。」
そういうと沙織はまたクスクスと笑った。
「大丈夫。ちゃんと愛を感じる場面は沢山あったわ。だから私はあなたと別れなかった。そう。夫婦に問題なら、離婚すればいいだけの話なのよ。死んだりせずにね。でも、私はあなたの妻のままで死んだのよ。それが何よりの答えじゃない?」
確かにそうだ。洋一だけが死の原因を作ったのなら、死ぬ前に、離婚の話が出てもよかった。でも、そんな話はしていない。
「死んだ私が言っても説得力はないけれど、私はあなたと結婚できて幸せだった。あなたのことを、いつまでも好きでいられたから。普通は薄れて行くものでしょ?そういう感情って。でも、私は結婚してからずっと、あなたの事が大好きだった。あなたと恋愛を始めた時の様な燃える炎ではなくても、ろうそくのように揺らめきながらも、ずっとあなたを好きだったの。もし、私に承認欲求さえなければ、きっとあなたといるだけで幸せでいられた。何も求めず、一緒にいられたらどんなに幸せだったか・・・・」
沙織は泣いた。
今まで、ずっと笑っていたのに、洋一の腕にしがみついて、子供のように声を上げて。
(あぁそうか、僕は思っていたよりも沙織を愛していたし、愛されていた。)
沙織が死んでから、ずっと自分の何がいけなかったのか、自分は沙織を支えてやれなかった、そんなことばかり考えて、自分が沙織にどう見えていたかなんて、考えてもみなかった。
沙織は確かに洋一を愛してくれていたし、だからこそ、沙織は洋一の妻であり続けたかったのだと気がついた。
それ故に、洋一に一番理解して欲しかったであろうと言うことも。
「ごめん。ごめん。本当にごめん。沙織が死んで、ここに来てやっと、沙織の気持ちが、どうしてあんなに僕に気持ちを伝えようとしていたのかも。やっと分かるなんて・・・」
洋一も号泣した。
それはきっと、沙織の葬式で流した涙の何倍も思いの詰まった熱い涙だった。
以前、沙織に生きたくても生きられない人間もいる、死にたいなんてその人たちへの冒涜だと怒鳴ったことがある。
でも沙織も生きたくても生きられない人間の一人だったのだと。
何も不治の病だけが原因ではない。
心の病だって、生きたくても生きられない理由になるのだ。
そんなことも気がつかなかった。
「私・・・死んだことよりも、あなたに、ちゃんと、伝えなかったことを、後悔しているわ。」
まだ、涙の止められない沙織は、それでも必死に言葉を吐き出していた。
「あなたの事を好きになれて良かった。生きてきた中で、唯一、私が誇れる物は、あなたを夫に出来たことだと。何も自慢できる物はないけれど、どんなにあなたがあなた自身を責めても、その責めている部分も含めてあなたを愛している。こんなに人を愛せた私は、本当に幸せだった。早く、それに気がつくべきだった。本当の意味で、私を理解していなかったのは、私自身だった。こんな私を愛してくれて、自分を責めるほどに思ってくれて、本当にありがとう。」
洋一は何も答えられず、ただ涙を流しながら、沙織を抱きしめ、うんうんと相槌を打つのが、精一杯だった。
沙織は決して、洋一を苦しめようと死んだわけではない。
洋一が嫌いになったわけでもない。
「だから、あなたは生きて。私の為に死んだりしてはいけないの。だって、あなたが死んだら、誰が私の事を思いだして,伝えてくれるの?私という人間がいたということを。私は、あなたの思い出の中でなら、いつでもあなたに会える。あなたといられる。だから・・・死ぬよりも、生きて私を沢山思い出して欲しい。」
沙織は洋一の死など望んではいない。
死んで報いるのは、それこそ洋一の自己満足にしかならない。
「思い出の中の私は色あせることはない。いつもあなたが見ていた私が、そこに留まっていられるもの。」
思い出して欲しい。
それが沙織の願いなのだ。
そう、洋一はずっと思っていた。
沙織は洋一を待っているのではないかと。
そう願っているのではないかと。
洋一が死ぬ事で、沙織に対する罪悪感を拭おうとしていたのかもしれない。
けれど、沙織の願いは、思い出の中でも一緒にいたいというものだった。
正直、思いもよらなかった。
ここに来て、沙織に会ってからも、ずっと、責められている様な気がしていた。
だからこそ、ここから出られたとしても、生きていけるか不安だった。
「僕はごめんとしか言えないよ。沙織が死んで、沙織の存在の大きさに気がついた。いつもそこにいるのが、当たり前になりすぎて、失うなんて考えてもみなかったんだ。沙織が死にたいと言ったときも、一時的な物だと思っていた。だけど、本当に死んでしまうなんて、思わなかった。僕は、僕が思う以上に沙織を愛していたんだと、気がつくのが遅すぎた。もっともっと・・・・」
そこから先は、言葉にならない。涙で喉が潰れて、声が出なかった。
「いいの。謝らなくても、もういいの。私は大丈夫。あなたがここに来てくれたことで、あなたの愛の深さを知ったから。だから、あなたは私の為に生きて。そして、戻ったら、老後のためにいい人を見つけてね。」
沙織の涙はもう止まっていた。
抱きしめていたはずの洋一が、今は沙織に抱きしめられている。
「私はあなたの元には戻れないけれど、一人の老後はさみしいから、友達でも恋人でも、妻でもいい。あなたの側で、あなたを大切にしてくれる人と一緒に人生を楽しんで欲しい。そして、暇なときにでも、私との思い出の中に会いに来て。あなたの心の中に、いつでも私はいるのだから。」
そういって、洋一の背中をポンポンと叩いて、体を引き起こす。
ようやく見えた沙織はいつもの笑顔に戻っていた。
「ほら、もう泣き止んで。私はあなたの笑顔を見たまま去りたい。」
去るという言葉を聞いて、洋一は、ハッとした。
ここは永遠にいられる場所ではないのだ。こうして沙織に話している時間も、後どのくらい残っているのかも分からない。
「本当に逝ってしまうのか?」
手のひらで必死に涙を拭い、何とか体裁を整える。
「そうね。幸い、あなたが探していた本当の物は見つかったみたいだし、そろそろ、戻らなくちゃ。あなたも、ここから出なくちゃいけない。お互いがあるべき場所へ戻るのよ。」
「僕は結局、何を探していたんだろう。沙織以外に・・・」
「ふふふっ。あなたが探していた物は単純な物よ。答えが欲しかったんじゃない?自分の何がいけなかったのか。自分の憶測ではなく、ちゃんとした答えが。あなたは答えがない物が苦手だもの。そのあなたが考えても出せなかった答えが、ここにはあったでしょ?本人から聞けたんだから、答え合わせ、出来たじゃない。後のことは、戻ってから整理すれば良い。」
(答えがないものが、苦手・・・・正解がここに・・・沙織は僕をちゃんと知っているんだな・・・)
どんなに考えても、分からなかった。
何故、沙織が死ななければならなかったのか。
自分が原因で追い込んでしまったのではないか・・・そう考えても、正解は分からなかった。
沙織はちゃんと自分が死んだことを、その理由を洋一に話してくれた。
確かに、腹も立ったし、辛くもあった。
けれど、それ故に、沙織の言葉に嘘はなく、取り繕っているわけでもないと、今なら確信できる。
嘘でも、想像でもない。本当の答えを洋一に与えてくれたのだ。
「僕は、何に感謝すべきかな?ここに来られたことを。神様か、仏様か・・・・分からないけど、お社様?に感謝すべきだな。ここに導いてくれたんだから。」
「お社様?なあに?それ?」
沙織に、ここに来るまでの経緯を簡単に話した。
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二人でクスクス笑いながら、この短い間の会話が続けば良いのに、これが夢なら覚めなければ良いのにと思った。
でも、そうはいかない事に気がつく。
体が透けていく沙織を感じたからだ。
「あなた。私達はそろそろ戻らなくちゃ。ここでの思い出も私と一緒に流れに乗っていく。だから私は幸せよ。あなた、ありがとう。元気で長生きしてね。」
「沙織、ありがとう。僕も沙織といられて、幸せだった。沙織との思い出は、ずっと僕が死ぬまで、僕が守るから。いつか、また奇跡で出会えたら・・・また一緒に・・・」
そこまで言うと沙織の笑顔ごと、手の中から消えてしまった。
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「新井様・・・探し物は見つかりましたか?」
洋一のすぐ後ろで、あの声がする。桔梗という人だろう。
「ええ。僕が思っている物ではなく、自分が本当に求めていた物を見つけました。」
そう言って振り返ると、やはり桔梗が立っていた。牡丹・・・とかいう給仕も一緒だった。
「それは何よりでございました。私どももお役に立てて、幸せでございます。それと・・・牡丹!」
桔梗が名前を呼ぶと、牡丹はビクッと体を大きく震わせた後、おずおずと前へ進んできた。
「うちの牡丹がご迷惑をおかけいたしました。見慣れぬ場所で、案内もまともに出来なかったことを、ここにお詫びいたします。」
「もっ申し訳ありませんでした。」
そう言って、二人が深々と頭を下げたので、洋一も、つられて頭を下げた。
「いいえ。ここへ導いてくださったことに、こちらが感謝しています。僕はこれからも、生きて行けそうです。」
「これは、お詫びと言っては何ですが、当社のお守りでございます。新井様がこれから、良い人生を送られることを、私ども一同、願っております。」
そう言って渡してくれたのは、鈴だった。特別、変わったことはない、ただの鈴。小さく刻印がされているが、はっきりとは見えなかった。
「鈴・・・ですか?」
「はい。鈴でございます。」
またあの妖艶な笑みを浮かべる桔梗をみて、何だかこの会話が可笑しくなった。
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