黄仁の花灯り

神様はいじわる？

第1章 3話

「憂炎ユウエン、聞いても良いかい？」
「桜綾オウリンの事か？」
桜綾が帰った後、静かになった庭で二人、お茶を飲み交わしている。
その間も、夏月カゲツ)と鈴明リンメイは椿の実を黙々と洗っている。
「確か彼女は胡家(こけ)の長女ではなかったか？胡家コけといえばこの町では豪商であろう。しかし、彼女は・・・」
「言いたいことは分かる。俺も胡家の長女だと言うことを知るまでは、どこかの使用人だと思っていたからな。しかし、さすがだな。桜綾の事をもう調べたのか？」
憂炎は茶を一口飲んでから、話を続ける。
「どこまで調べたかは知らないし、俺も大して知っているわけではない。桜綾もあまり話さないからな。しかし、噂によると、生母が死んで、生母の実家の琳家が没落すると、後妻からの嫌がらせが始まったらしい。父親もそれを知っていながら、無視を決め込んでいるみたいだな。あくまでも、噂・・・だがな。しかし見る限り、使用人よりもひどい扱いだ。傷や痣は絶えないし、暑くても寒くてもあの恰好だ。誰もあれが胡家のお嬢様だとは気づかないだろうな。」

桜綾は常に2，3枚の衣を回し着している。それもすり切れた様な有様で、時々破れた部分を憂炎の家で縫っている。
さすがに限界が来れば、使用人の誰かにもらっているらしいが。
憂炎も見かねて、新しい物を買ってやろうとしたが、義母に知られたら大変だからと断られた。
傷も痣の原因も始めは笑ってごまかしていたが、出会ってからかなり経って、こちらから義母の仕業かと聞いたとき、初めて、「うん」とだけ答えた。
「やはり、そうか。いくら母方の実家が没落したとはいえ、娘にする仕打ちではないな。彼女を見るまでは信じられなかったが・・・今日の顔の腫れも義母が原因か？」
「義母か弟か・・・確証はない。痛いとも辛いとも言わないが、きついだろうな。俺はここに来たときに、知られない程度に食べ物をやる位しかできない。」
そこで二人はしばらく沈黙した。

二人の茶が尽きる頃、やっと宇航ユーハンが口を開く。
「なぁ憂炎、朱有しゅゆうに来る気はないか？」
空になった湯飲みを回していた憂炎の手が止まる。一瞬間をおいて、
「・・・俺がいなくなったら、桜綾の逃げ場がなくなる。それに、石鹸を作る約束だ。」
正直、朱有に未練はないし、ここでの暮らしが性に合っている。眉間に皺を寄せたまま答えると、
「なら、桜綾も連れていけばいい。胡家から離れる方が、彼女のためにもなるだろう。」
と、即答する。答えを用意していたようだ。
「そんな簡単にはいかないだろう！どうやってあそこから連れ出す気だ？俺のことは、あの家の者は知らない。かといって、宇航は今日会ったばかりだろ？」
その言葉に宇航は片方だけ口角を上げる。
（この顔は何か企んでるな・・・）
「お話中、申し訳ございません。実を洗い終えましたが、次はどう致しましょうか？」
突然、背後から夏月が実の入った桶を抱えて、宇航に指示を仰ぐ。それと同時に、鈴明が家の中に入っていく後ろ姿が見えた。
「後はそこの台に綺麗に並べて干せ。」
「承知しました。」
短い返事の後、一礼して去って行く。
こんな雑用みたいな事までさせられる夏月(カゲツ)に同情する。
夏月はあくまでも護衛であって、使用人ではない。
「夏月さん、後はこちらでやるから。」
「いえ、大丈夫です。」
こちらにも即答された。主も主だが、護衛までこの調子だ。

夏月(カゲツ)が去った後、宇航はすぐさま話し始める。
「憂炎、話を戻すぞ。私は彼女の発明をこれからも見たい。しかし、ここでは頻繁には来られないし、ましてや彼女も時間がなくては、発明も進むまい。それならばいっその事、彼女をあの家から出す方がいいだろう？」
その顔に浮かべる笑みが怖すぎる。
「だとして、朱有へ行ったとしても住む場所も、発明する場所もない。まずは手はずを整えて、桜綾の意見を聞いてからでも遅くはないだろう？それに・・・俺はここ気に入っている。」
「私が無計画に言っていると思っているのかい？住む場所も、発明する場所もすでに手配している。しかも、発明品を買い取る準備も出来ているし、発明にかかる費用もこちらで負担する。憂炎も好きなだけ発明が出来る。」
（ここに来たのは、もしかしなくても、それが目的だったのか・・・）
こちらの返事を聞く前から、全て準備済みと言うことか・・・そこへ鈴明が新しいお茶を持ってやってくる。
「おじさん、私は賛成よ。これ以上、桜綾が傷つくのは見てられない。あんな家にいるくらいなら、私達と朱有へ行く方が絶対いいと思う。」
宇航にお茶を注ぎながら、怒ったような口調で憂炎を睨む。
「しかしなぁ・・・・桜綾が本当にここを離れたいのか、家を出たいのか、本人に聞いて見ないことには・・・ってお前も来る気か！それに俺はまだ・・・」
「おじさんと桜綾だけだと、絶対に桜綾が苦労するでしょ！洗濯も家事も出来ないくせに・・・」
「お前の両親が許さないだろうが！」
「今でさえ、おじさんの所に頻繁に通っているのに、今更でしょ。」
そう言うと憂炎の前へ、ドンっと湯飲みを置く。その勢いでお茶が憂炎に散るが、鈴明は気にもせず、去って行った。
（宇航も鈴明も困ったもんだ・・・俺の気持ちは二の次か・・・）
「つまり、桜綾が承知すれば良いのだな？そうしたら、憂炎も朱有へ移るかい？」
（何もかも計画した上でここへ来たとやつが今更・・・）
尚もニコニコ笑っている宇航は、きっと確信しているのだろう。憂炎も桜綾も朱有に来ることになると。
実際、友達の様にはしているが、相手は領主だ。命令されれば、どうやってでも行くしかなくなるだろう。
「憂炎、私達は友達だろう？命令なんかしない。もし、本当に行きたくないのなら、無理強いはしないつもりだ。」
時々、人の心を見透かしたようなことを言う。

宇航はお茶を一口飲むと、話を続けた。
「朱有の本家の奥は殆ど使用されていない。その一角を改築する。そこを二人・・・いや三人か？住まい兼作業場として使える。桜綾については、明日、私が胡家を尋ねてみることにしよう。」
「尋ねてみる・・・って、どうするつもりだ？いきなり領主様が訪ねれば、胡家も驚くだろう。桜綾にどんな火の粉が飛ぶか・・・」
「いきなりだから、良いんだよ。様子を探りがてら、桜綾の気持ちを聞いて見よう。その上で、次の策に出る。」
急に真顔になった宇航はじっと憂炎の目を見つめる。
「本気なんだな？もし、桜綾が朱有に行く気がなかったら、諦めてくれ。それから、桜綾がその後、そのことで家族から危害を加えられないように、気をつけて欲しい。」
「勿論、そこは心配しなくてもいい。」
宇航は残りのお茶を一気に飲み干すと、スッと席を立った。
「私はこれで失礼するよ。また明日、胡家を訪ねた後に立ち寄るとしよう。」
そう言うと、椿の実を干していた夏月も宇航の側へとやってきた。
（作業をしていても、主の行動にはしっかり気を配っているという事か。）
そして二人は静かに憂炎の家を去って行った。
憂炎は残りの椿の実を干している鈴明の横で、残りの作業を始めることにした。