【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ

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第9話  第三王女視点 このせんせいはいや

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王妃の居室には、午後のやわらかな光が差し込んでいた。

第三王女リリアは、小さな机の前に座り、
開かれた本を前にしている。

その向かいに立つのは、王城付き教師――
アーベル・フォン・クラウゼン伯。

由緒ある文官貴族の家系に生まれ、王立学院を首席で卒業した人物だ。礼儀正しく、言葉遣いも整っている。王城での評判も悪くない。

「では、殿下。先日の続きから参りましょう」

低く落ち着いた声。無駄のない所作。

その姿は、“教師としては正しい”ものだった。

けれど、リリアは本を開かなかった。

小さな指が、膝の上でぎゅっと握られている。

「……殿下?」

教師が穏やかに声をかける。

リリアは、視線を落としたまま、小さく首を振った。

「どうされましたか」

困惑をにじませながらも、教師は膝を折り、視線を合わせようとする。
その時だった。

「このせんせい、いや」

ぽつりと、けれどはっきりとした言葉。

空気が、一瞬で止まった。

侍女たちが息を呑み、教師は言葉を失う。

「……殿下、それは――」

教師が口を開きかけた瞬間、王妃が静かに手を上げた。

「リリア。どうして、そう思ったの?」

叱る声ではない。理由を聞く声だった。

リリアは、少し震えながらも、顔を上げる。

「……できないっていうと、ためいき、つくの」

教師は、思わず眉をひそめた。

「殿下。それは、学びの場において――」

「おにいさまたちは、できるって、いう」

リリアは、途中で言葉を切り、小さく続ける。

「リリアのときは、むずかしいって、いう」

それは、責める言葉ではない。事実を並べただけの、幼い告白だった。

教師は、少しだけ視線を逸らす。

彼に悪意はない。ただ、能力差を前提にした教え方が、無意識に出ていただけだ。

「殿下。王族として、学びに厳しさは必要でして」

その言葉に、リリアは首を振った。

「ちがう」

そして、小さな声で、けれど迷いなく言った。

「エレノアおねえさまは、ちがった」

王妃の指先が、わずかに止まる。

「……どう違ったの?」

「まちがえても、おこらなかった」

「できないって、いわなかった」

少し考えてから、リリアは付け加える。

「ちゃんと、リリアのはなし、きいてくれた」

教師は、何も言えなくなった。

否定できない。それは、自分が“していなかったこと”だからだ。

王妃は、しばらく沈黙したあと、静かに告げる。

「本日の授業は、ここまでにしましょう」

責める声ではない。だが、教師は理解した。

――役目が、ここで終わったのだと。

深く一礼し、部屋を下がる。



部屋に残ったのは、王妃とリリア、そして数人の侍女だけ。

王妃は、リリアの前に膝をつき、そっと手を取った。

「リリア。あなたは、とても大切なことを話してくれました」

「……おこらない?」

「ええ。怒りません」

王妃は、やさしく微笑む。

「人には、合う先生と、合わない先生がいるのです」

リリアの肩から、少し力が抜ける。

「エレノアさまに、また、あいたい」

その一言で、王妃の迷いは消えた。

立ち上がり、侍女に告げる。

「王城文官局へ。正式に話を進めなさい」

第三王女の、小さな拒絶。

それは、気まぐれでも、我儘でもない。

信頼できる大人を、自分で選んだ証だった。

この日、王城は静かに動き出した。

エレノア・リーヴェルトという名を、
第三王女の教師として迎えるために。






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