【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ

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第22話   善意という名の踏み越え

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それは、良かれと思ってしたことだった。

だからこそ――取り返しがつかなかった。

第三王女の授業がある日。

ディートリヒは、王城に迎えに来ていた。

正式な役目ではない。王妃からも、エレノアからも、何の要請もなかった。

――ただ、「見てみたい」と思った。

それだけだ。



学習室の扉は、わずかに開いていた。
中から聞こえるのは、静かな声。

「……この絵は、どんなお話だと思いますか?」

エレノアの声だった。第三王女リリアの、
少し弾んだ声が返る。

「……えっとね。
この子、ひとりだけど、こわくなさそう」

「どうしてそう思いました?」

「だって、空が明るいから」

――答えを急がせない。
――正解を与えない。

ただ、待っている。

ディートリヒは、そのやり取りを、息を詰めて見ていた。

(……なるほど)

思わず、理解した気になる。そのとき。ディートリヒは、一つの“閃き”を得た。

――自分も、こうすればいいのではないか。


授業が終わり、リリアが部屋を出る。

「せんせい、またね」

「はい。また次に」

そのやり取りのあと、ディートリヒは、
自然な顔で中へ入った。

「……授業、見事だった」

エレノアは、驚いた様子を見せない。
ただ、一瞬だけ視線を上げた。

「いらしていたのですね」

咎めも、歓迎もない。その距離感を、
ディートリヒは読み違えた。


「第三王女は、随分と落ち着いていた」

「……ええ」

「絵本も、よく考えられている」

一拍置き、彼は続ける。

「――俺も、何か手伝えるのではないかと思ってな」

それは、提案のつもりだった。

「例えば、次回の授業に、少し難しい話を入れてみるとか」

「王族として、必要な教養もあるだろう」

エレノアの指が、わずかに止まった。

だが、ディートリヒは気づかない。

「戦史や、王家の系譜なら、俺が説明できる」

「第三王女も、いずれ知ることになる」

――“正論”。

あまりにも、正しい言葉だった。


エレノアは、ゆっくりと顔を上げた。その表情は、怒っていない。
だが――完全に、閉じていた。

「それは、殿下が“望まれた場合”に限ります」

静かな声。

「今は、その段階ではありません」

「だが――」

ディートリヒは、一歩踏み出す。

「王妃も、結果を見ているはずだ」

「半年という期限もある」

「成果を示さなければ――」

その瞬間。

エレノアは、はっきりと遮った。

「成果は、私が示すものではありません」

室内の空気が、凍りつく。

「第三王女殿下が、“学びたい”と思われたかどうか」

「それだけです」



ディートリヒは、言葉を失った。

(……間違ったことは言っていない)

そう思う自分が、どこかにいる。

それが、決定的だった。



「……善意で言っているのは、分かります」

エレノアは、穏やかに続ける。だが、その穏やかさが、一番残酷だった。

「ですが、今のお言葉は――」

一拍。

「第三王女殿下のためではなく、あなたの不安を解消するためのものです」

刺さった。正確すぎて、言い返せない。



「私は、誰かに“結果”を見せるために教えているわけではありません」

「そして――」

エレノアは、静かに、決定的な一言を置いた。

「この授業に、介入されることは、望んでおりません」

拒絶ではない。境界線の提示だった。



その場に、王妃がいなくて、よかったのかもしれない。

第三王女が、いなくて、本当によかった。


ディートリヒは、一歩下がった。

「……すまない」

その謝罪は、遅すぎた。謝ったことで、
許される種類のことではなかった。
廊下に出たあと、彼は気づく。

――自分は、“一緒にやろう”としてしまった。それが、最大の過ちだった。
エレノアが守っているのは、自分の仕事ではない。第三王女の、「選ぶ権利」だ。そこへ、自分の善意で踏み込んだ。



その夜。エレノアは、何も言わなかった。距離は、元に戻ったわけではない。

――一段、遠くなった。

ディートリヒは、ようやく理解する。

善意は、免罪符ではない。変わろうとすることは、許可証でもない。相手が築いている世界に、入っていいかどうかを決めるのは、自分ではない。その事実を、彼は身をもって学んだ。

だが――

この“失敗”は、まだ序章にすぎない。







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