【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ

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第23話  剣を置ける相手

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酒場ではなかった。

ディートリヒが向かったのは、
王城の片隅にある、小さな詰所だった。

そこには、鎧を脱ぎ、剣を壁に立てかけ、
書類ではなく湯気の立つ茶を前にしている男がいた。

「……珍しいな」

顔を上げた男が、片眉を上げる。

長年の戦友。
軍学校時代からの腐れ縁で、
ディートリヒに対してだけは、肩書きを忘れて話す男。

「団長殿が、こんな顔で来るとは思わなかった」

「……その呼び方はやめろ」

ディートリヒは、重く椅子に腰を下ろした。男はそれ以上詮索せず、黙ってもう一杯、茶を注ぐ。

――それができる相手だった。



「……俺は」

ディートリヒは、言葉を探すように視線を落とした。

「変わろうとしている」

男は、何も言わない。

「だが、やればやるほど、距離が広がる」

そこでようやく、親友は口を開いた。

「……奥方の話か」

否定しなかった。

「善意だった」

ディートリヒは、低く続ける。

「間違ったことは言っていない。だが――」

拳が、自然と握られる。

「完全に、踏み越えた」

親友は、茶を一口飲んでから言った。

「……で、怒鳴られたか?」

「いや」

「泣かれた?」

「違う」

「なら、余計にきついな」

即答だった。

ディートリヒは、顔を上げる。

「分かるのか」

「分かるさ」

男は、苦く笑った。

「怒鳴られるのは、まだ期待されてる証拠だ」
「泣かれるのも、感情を向けられてる」

一拍置く。

「一番きついのは――線を引かれることだ」

ディートリヒは、言葉を失った。

まさに、その通りだった。



「……俺は、どうすればいい」

それは、戦場で一度も口にしたことのない問いだった。親友は、少し考えてから言った。

「お前さ」

「“何をしてやれるか”ばっかり考えてないか」

ディートリヒは、否定できなかった。

「それ、全部お前目線だ」

刺すような言葉ではない。ただ、事実だった。

「奥方は、“してもらう側”でいたい人間じゃないだろ」

「……ああ」

「なら答えは簡単だ」

男は、はっきり言った。

「何もしようとするな」

「……は?」

思わず、声が漏れる。

「正確に言うとだな」

親友は指を一本立てる。

「“何かを足そうとするな”」

「代わりに、奪わないことに全力を使え」


「奪う?」

「そうだ」

男は、淡々と並べる。

「時間」
「判断」
「成果」
「安心」
「主導権」

「善意ってやつはな、たいていこのどれかを奪う」

ディートリヒは、はっとする。

――授業への口出し。
――成果の話。
――期限を持ち出したこと。

全部、彼女の“守っているもの”だった。

「……俺は」

「怖かったんだろ」

親友は、はっきり言った。

「置いていかれるのが」

沈黙。

否定しなかった。

「だから、一緒にやろうとした」
「追いつこうとした」
「横に並ぼうとした」

男は、少し声を落とす。

「でもな」

「並ぶのは、相手が止まってる時だけだ」

「前に進んでる人間に、横から手を出すのは――」

一拍。

「邪魔だ」


ディートリヒは、深く息を吐いた。

「……じゃあ、俺は」

「待て」

即答だった。

「徹底的に」

「評価も、結果も、反応も」

「全部、期待せずに」

それは、彼にとって一番難しい命令だった。

「戦場じゃ、待つのが一番きついだろ」

「……ああ」

「でも今回は、剣を抜いたら負けだ」

親友は、そう言って立ち上がる。

「お前が戦う相手は、奥方じゃない」

「自分の焦りだ」


帰り際。

ディートリヒは、ぽつりと言った。

「……遅いか?」

親友は、少しだけ考えた。

「さあな」

「だが一つだけ言える」

振り返って、はっきり言う。

「今ここで聞きに来たこと自体は、間違ってない」

それだけを残して、男は去った。



一人残された部屋で、ディートリヒは天井を仰ぐ。

――何もしない。
――奪わない。
――待つ。

それは、これまでの人生で一度も選んだことのない戦い方だった。

だが、それしか道がないことも、今は分かっている。

「……まずは」

低く呟く。

「剣を、置くところからだな」

それが、彼にとっての本当の戦いの始まりだった。






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