【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ

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第31話 武の女神の届かなかった剣

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――おかしい。

最初にそう思ったのは、夜会の喧騒が一段落した頃だった。私は、いつも通りの場所にいた。
アイゼンヴァルト伯爵――ディートリヒの隣。

戦場の話。訓練の愚痴。互いに言葉を選ばなくていい会話。それは、心地よい距離だった。誰もが「親しい」と言う。否定はしない。事実だから。



視線を感じた。

――正妻だ。

エレノア・アイゼンヴァルト。

伯爵夫人として、完璧な立ち姿。姿勢も、微笑も、言葉の運びも、一分の隙もない。

(……またか)

正直に言えば、これまでは、気にも留めていなかった。争ってこない。張り合ってこない。視線すら合わせない。

――つまり、脅威ではない。

そう思っていた。だが、今夜は違った。
彼女は、こちらを見ていない。

それなのに――空間が、彼女を中心に整っている。私が一歩動けば、自然と彼女との距離が測られる。割り込めない。けれど、拒まれてもいない。

(……何だ、この感覚は)

剣を握ってきた手が、無意識に緩む。私は、戦ってきた。前に出て、勝って、立場を掴んできた。女だからと侮られれば、
力で黙らせた。だから、分かる。

――これは、戦いではない。

そして、私の得意な土俵でもない。エレノアは、何もしない。近づかない。主張しない。奪おうともしない。

それなのに――私は、“彼女の場所”に入れない。

(……ああ)

そこで、初めて理解した。これは、
誰が隣に立つかの勝負ではない。誰が退かずに立ち続けているかの話だ。私は、剣を抜けば勝てる。声を上げれば、周囲は振り向く。

だが――この場で、彼女は剣を必要としていない。

必要なのは、「正妻であること」を証明する行為ですらない。ただ、そこにいるだけで成立している。胸の奥に、はっきりとした違和感が落ちた。悔しさではない。怒りでもない。

――敗北感だ。

しかも、相手は私を見てすらいない。私は、気づいてしまった。もし、この場で
一歩踏み出せば。もし、伯爵の隣に立とうとすれば。それは、“奪いに行く側”になる。そして彼女は、それをしない。

(……負けたな)

小さく、心の中で呟く。剣を抜く前に、
勝負は終わっていた。視線の先。エレノアは、変わらぬ微笑で、誰かと会話している。私と、伯爵の存在すら、評価の対象にしていない。

――正妻とは、こういうものか。

初めて、そう思った。夜会の終わり。
私は、一人でグラスを置いた。敗因は、明白だ。私は、「選ばれたい側」だった。
だが、彼女は――

選ばれる必要のない場所に立っている。

そこに、剣は届かない。





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