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第34話 第三王女の一言
しおりを挟む王城の回廊は、午後の光に満ちていた。窓から差し込む光が、白い床に長い影を落としている。第三王女リリアは、エレノアの隣を、小さな歩幅で歩いていた。授業の帰りだ。
「せんせい」
唐突に、リリアが口を開いた。
「はい」
エレノアは、歩みを緩める。
「……せんせいは、
どこに行くの?」
その問いに、意味はない。未来も、不安も、含まれていない。ただ、気になったから聞いただけの声だった。
「どこにも行きませんよ」
エレノアは、いつものように答える。
だが、リリアは首を傾げた。
「でもね」
小さな声。
「おとなって、いなくなるでしょ」
エレノアの足が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……どうして、そう思ったのですか」
「ナディアが言ってた」
あっさりした答え。
「“せんせいは、えらいひとだから、えらぶんだよ”って」
選ぶ。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。
エレノアは、表情を変えない。
「それで、リリア殿下はどう思われましたか?」
第三王女は、しばらく考えた。小さな眉を寄せ、一生懸命に言葉を探す。
そして――
「……せんせいは、まってくれるひとだとおもってた」
その一言で、すべてが揃った。待ってくれる人。それは、評価でも、期待でもない。
ただの、事実認識だ。
「でもね」
リリアは、続けた。
「まってくれるひとは、また、まってもらうの」
「だから……」
小さな手が、エレノアの袖をつまむ。
「せんせいは、えらばなくていいよ」
エレノアは、その手をそっと包んだ。温かい。迷いのない、子どもの手。
(……そうか)
その瞬間、胸の奥で、何かが静かにほどけた。第三王女は、何も知らない。噂も、妹の言葉も、王城の政治も。だからこそ、嘘がない。エレノアは、初めて理解した。
自分が「待たれる存在」である限り、どこにも行けないことを。
そして――待つことと、赦すことは、
同義ではないということを。
「リリア殿下」
エレノアは、しゃがみ込んで、目線を合わせた。
「先生は、選びます」
穏やかな声。
「でも、それはリリア殿下を置いていくという意味ではありません」
第三王女は、ぱち、と目を瞬かせた。
「ほんと?」
「はい」
「じゃあ……」
小さく、安心した笑顔。
「また、よむ?」
エレノアは、静かに頷いた。
「はい。その約束は、守ります」
回廊を吹き抜ける風が、カーテンを揺らす。光は、もう傾き始めていた。
この一言で、十分だった。説得はいらない。背中を押す言葉もいらない。第三王女は、エレノアに「行け」と言わなかった。
「留まれ」とも言わなかった。
ただ、待たれる人であり続けなくていい
と示しただけだ。
その夜。エレノアは、離縁に関する最終書類を、机の上に並べた。迷いは、もうない。
これは、逃避ではない。赦しでもない。
――選択だ。
誰かのために耐える人生ではなく。誰かを恨むためでもなく。
自分が、自分を待たせないための決断。
それを、最後に教えてくれたのは、
王でも、夫でも、妹でもなかった。
ただ、「待ってくれると思っていた」
と、正直に言った小さな王女だった。
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