【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ

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第55話  ――娘になる、という選択

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エリーゼの夫と会う夜

公爵邸の応接室は、想像していたよりも質素だった。

重厚な調度はある。だが、威圧するためのものではない。長く使われ、磨かれ、必要な場所にだけ置かれている。

「……どうぞ」

扉を開けたのは、レグナール公爵――
現・第三国第二王子にして、エリーゼの夫だった。

背は高いが、威圧感はない。声も低く、静かだ。エリシアは、一礼した。深くもなく、軽すぎもしない。

“客”ではなく、
“立場のある人間”としての礼。

それを見て、公爵はほんのわずか、目を細めた。

「噂通りだな」

それだけ言って、先に椅子を勧める。向かい合う形。机一つ分の距離。

エリーゼは、すでに席に着いていたが、
口は開かない。今日は、彼女が導く場ではない。


「単刀直入に聞こう」

公爵は、遠回しな言い方をしなかった。

「君は、この家の“娘”になる覚悟があるのか」

エリシアの指先が、一瞬だけ、膝の上で強張る。逃げ場のない問いだ。だが、だからこそ、答えは決まっていた。

「……はい」

声は、震えなかった。

「ですが」

一拍。

「私は、守られるために来たのではありません」

エリーゼが、視線を上げる。だが、公爵は遮らない。

「私は、判断を引き受ける立場にいます
その重さを、誰かの名の下に隠すつもりはありません」

公爵は、黙って聞いている。否定もしない。肯定も、しない。

「もし、娘になることで、“引くべき位置”を与えられるなら」

エリシアは、はっきり言った。

「私は、それを選びません」

空気が、静かに張り詰める。しばらくして、公爵は、ふっと息を吐いた。

「……なるほど」

それは、試しを終えた声だった。

「君は、“娘”という言葉を、保護の意味で捉えていない」

エリシアは、頷く。

「逃げ道としてなら、欲しいですが、立つ理由としては、使いません」

公爵は、椅子に背を預けた。

「エリーゼが、なぜ君を選んだか、分かった」

その言葉に、エリーゼは何も言わない。
ただ、静かに聞いている。

「勘違いするな」

公爵は、エリシアを見据える。

「娘になるというのは、楽になる選択じゃない」

一拍。

「この家に入れば、君は“切れない存在”になる。同時に、この家の判断にも、責任を持つことになる」

それは、庇護ではなかった。拘束でもない。共有だ。

「それでもか?」

エリシアは、一瞬だけ、目を閉じた。幼い頃のこと。守られていた時間。失われた背中。そして今。自分で立ち。自分で選び、
それでも一人ではない場所。目を開ける。

「……それでも、です」

今度は、迷いがなかった。公爵は、ゆっくりと頷いた。

「ならば」

椅子から立ち上がり、エリシアの前に立つ。威圧ではない。儀式でもない。ただ、一人の大人として。

「この家は、君を“使わない”逃げ道としても、盾としてもな」

エリーゼが、静かに言葉を継ぐ。

「名を与えるのは、あなたが望んだ時だけ」

エリシアは、二人を見た。押されていない。縛られてもいない。
選ばされているのではなく――
選んでいる。

「……お願いします」

その言葉は、初めてだった。誰かに、
“受け取ってもいい”と言う言葉。公爵は、短く頷いた。

「ようこそ」

それだけ。

「我が家へ。エリシア」

名を呼ばれた瞬間、胸の奥で、何かが静かに落ち着いた。その夜。エリシアは、窓辺に立つ。港の灯り。人の声。変わらない世界。

だが――立つ場所だけが、変わった。

守られる娘ではない。
使われる駒でもない。

判断を引き受ける娘として。

エリーゼは、隣に立ち、何も言わなかった。

それが、母になる人の距離だった。エリシアは、初めて思った。

(……帰る場所が、できた)

それは、前に立つための場所だ。逃げるためではない。

彼女は、その場所を、自分の足で引き受けた。

――娘になる、という選択を。









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