【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ

文字の大きさ
65 / 67

最終話

しおりを挟む
――同じ場所へ

夜明け前の港は、ひどく静かだった。

昼の喧騒も、夜のざわめきも抜け落ち、
残っているのは、波が岸壁に触れる規則正しい音だけ。

エリシアは、ゆっくりと歩いていた。

急ぐ理由はない。
迷う理由も、もうなかった。

背中に、名がある。
戻れる場所がある。

それでも――
それに縋る気持ちは、不思議と湧かなかった。

(……行く、と決めた)

誰かに連れられるのではない。
選ばれるのでもない。

自分で、行く。

その選択を、
自分自身に誇れる形で。



帝国使節団の滞在区画は、まだ眠っているようだった。

警備の配置は変わらない。
だが、通されるまでの時間が、以前より短い。

それが意味することを、エリシアは理解している。

彼女はもう、
「判断を運ぶ人間」ではなく、
「判断を並べて置く人間」として見られていた。

扉の前で、足を止める。

一度、息を吸う。

(……ここから先は)

戻れない。

だがそれは、
何かを失うということではない。

立ち続ける場所を、
自分で選ぶということだ。

エリシアは、扉を叩いた。

控えめで、
それでいて迷いのない音。



「……入れ」

アレクシスの声は、すぐに返ってきた。

扉を開けると、
彼は窓際に立っていた。

帝国の夜明けを背に、
剣も、書類も持たず、
ただ一人の男として。

振り返ったその目に、
驚きはなかった。

むしろ、
待っていた人間の目だった。

「来ると思っていた」

それだけ。

その言葉に、
胸の奥が、わずかにほどける。

エリシアは、ゆっくりと中へ入る。

「約束は、していません」

「していないからだ」

短いやり取り。
だが、そこに戸惑いはない。

視線が、まっすぐ交わる。

王子と、調整役。
帝国と、第三国。

けれど今、そこにあるのは
肩書きではなかった。

「……話があるのか」

「はい」

エリシアは、立ち止まり、はっきりと言った。

「私は――
 戻れない場所を、選びました」

アレクシスは、動かない。

遮らない。
否定もしない。

ただ、受け取る。

「守られるためではありません」
「名を借りるためでもありません」

一拍。

「自分の判断を、
 自分のまま引き受けるためです」

彼は、ゆっくりと頷いた。

「知っている」

それは、試す言葉ではなかった。
確認でもない。

――理解だった。

「だから、来た」

エリシアは、続ける。

「あなたの隣に立つために、ではありません」

彼女は、一歩だけ前に出る。

距離は、ほんのわずか。
だが、その一歩に、覚悟が詰まっている。

「あなたと、
 同じ場所に立つために」

沈黙。

だが、それは重くない。

むしろ、
静かに満ちていくものがあった。

アレクシスは、初めて、ほんの少しだけ笑った。

それは、
肩書きを脱いだ笑みだった。

「……それを言われるまで、
 俺は待つつもりだった」

エリシアは、目を伏せない。

「愛している、とは言いません」

「だろうな」

その返しに、
口元がわずかに緩む。

「ですが」

もう、言葉を選ぶ必要はなかった。

「あなたの隣でなら、
 この選択を後悔しないと思った」

それは、告白だった。

甘い言葉ではない。
誓約でもない。

それでも確かに、
心を差し出す言葉だった。

アレクシスは、静かに息を吐く。

そして、一歩前に出る。

王子としてではなく、
判断を引き受ける一人の人間として。

「……なら」

彼は、はっきりと言った。

「二人で戻らない」

それだけ。

だが、その一言に、
すべてが含まれていた。

妥協しない。
逃げない。
どちらかが背負うこともしない。

同じだけ、前へ進む。



二人は、並んで窓の外を見る。

港の先。
帝国へ続く航路。
第三国へ伸びる交易線。

人も、国も、
これからも衝突し、選択し続けるだろう。

それでも――

その中心に、
二つの視線が、同じ方向を向いている。

キスはない。
抱擁もない。

だが、肩の距離は、確かに近い。

ただ、並ぶ。

それが、二人の結び方だった。

エリシアは、静かに思う。

(……私は、一人じゃない)

そして同時に。

(……私は、誰かの後ろにもいない)

アレクシスもまた、
同じ結論に辿り着いていた。

夜明けの光が、
ゆっくりと部屋に差し込む。

祝福するようでもなく、
ただ、当たり前の朝として。

二人は、その光を受けながら、
同じ場所に立っていた。

――選び合う、ということは。

同じ未来を見ることではない。
同じ覚悟を、引き受けることだ。

そしてその覚悟は、
静かに、
だが確かに、
二人の間で結ばれていた。





夜明けの光の中で、
どちらからともなく伸びた指先が、
確認するように、静かに触れ合った。

握らない。
絡めない。
ただ、離さない位置にあるだけ。

(――この人は、もう守る存在じゃない。
それでも、隣にいてほしいと願ってしまった)

二人は言葉を交わさないまま、
同じ光を見ていた。

それで十分だと、
互いに知っている顔で。

――選び合う、ということは。

同じ未来を夢見ることではない。
同じ覚悟を、引き受け続けることだ。

そのことを、
二人はもう、
触れた手の温度だけで分かっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人
恋愛
【「愛さない」と言ったのはあなたです。私はもっとハイスペックな次(夫)と幸せになりますので、どうぞお構いなく!】 侯爵令嬢リディアは、建国記念舞踏会の最中に、婚約者である王太子レオンハルトから婚約破棄を宣言される。 「君を愛することはない!」という王太子の言葉は、国中に響く『公的拒絶誓約』となってしまった。 しかし、リディアは泣かなかった。 「承知しました。私も愛しません。次いきます」 彼女は即座に撤退し、その場で慰謝料請求と名誉回復の手続きを開始する。その潔さと有能さに目をつけたのは、国の行政を牛耳る『氷の宰相』アシュ・ヴァレンシュタインだった。 「私の政治的盾になれ。条件は『恋愛感情の禁止』と『嘘がつけない契約』だ」 利害の一致した二人は、愛のない契約結婚を結ぶ。 はずだったのだが――『嘘がつけない契約』のせいで、冷徹なはずの宰相の本音が暴走! 「君を失うのは非合理だ(=大好きだ)」「君は私の光だ(=愛してる)」 隠せない溺愛と、最強の夫婦による論理的で容赦のない『ざまぁ』。 一方、リディアを捨てた王太子は「愛さない誓約」の呪いに苦しみ、自滅していく。 これは、悪役令嬢と呼ばれた女が、嘘のない真実の愛を手に入れ、国中を巻き込んで幸せになるまでの物語。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」 王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。 しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!? 「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!) 怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

【完結】転生したら断罪イベントの真っ最中。聖女の嘘を暴いたら、王太子が真っ青になりました

丸顔ちゃん。
恋愛
王太子は私――エリシアに婚約破棄を宣言し、 隣では甘ったるい声の“聖女”が「こわかったんですぅ♡」と泣き真似をしている。 だが私は知っている。 原作では、この聖女こそが禁術で王太子の魔力を吸い取り、 私に冤罪を着せて処刑へ追い込んだ張本人だ。 優しい家族を守るためにも、同じ結末は絶対に許さない。 私は転生者としての知識を武器に、 聖女の嘘と禁術の証拠を次々に暴き、 王太子の依存と愚かさを白日の下に晒す。 「婚約は……こちらから願い下げです」 土下座する王太子も、泣き叫ぶ聖女も、もう関係ない。 私は新しい未来を選ぶ。

婚約破棄してくださって結構です

二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。 ※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています

笑う令嬢は毒の杯を傾ける

無色
恋愛
 その笑顔は、甘い毒の味がした。  父親に虐げられ、義妹によって婚約者を奪われた令嬢は復讐のために毒を喰む。

処理中です...