19 / 50
十六
厄介な噂
最初は、ただの囁きだった。
「ねえ、聞いた?」
「王太子殿下、最近やけに外出が多くない?」
それだけなら、よくある話だ。だが、次に続く言葉が――違った。
「行き先が、いつも同じらしいのよ」
「ハーベルト公爵家……例の、オリビア嬢の」
王城の控え室。貴婦人たちの扇子が、ぴたりと止まる。
「……あの?」
「神殿と揉めてる、あの公爵令嬢?」
「そう」
「庭が勝手に動くとかいう……」
くすり、と笑いが漏れる。
冗談。
眉唾。
最初は、その程度だった。
だが。
「殿下、あの屋敷に二度行かれたそうよ」
「三度、という話もあるわ」
数が、増える。
「滞在時間が長い」
「毎回、笑って帰ってくる」
「帰城後、ご機嫌」
――ご機嫌。
その一言が、噂に“色”を与えた。
「……夢中、なんじゃない?」
誰かが、ぽつりと零す。否定は、なかった。
噂は、貴族社会を巡る。舞踏会の片隅。
お茶会の終わり。馬車の中。
「王太子殿下が、あんなに楽しそうなの、久しぶりよね」
「剣の話でも、戦の話でもないんですって」
「相手が、オリビア嬢だなんて……」
評価が、割れる。
「危険よ」
「王家に収まる器じゃない」
「強すぎるわ」
その一方で。
「……でも、魅力的じゃない?」
「誰にも従わないところとか」
噂は、加速する。事実より先に、印象が走る。神殿にも、届いた。
「……王太子が、公爵令嬢に?」
聖務官の声が、低くなる。
「“聖女問題”の最中に?」
「しかも、あの娘は……」
記録官が、帳簿を閉じる。
「これは、厄介です」
「王家が、彼女に近づいている」
噂は、警戒に変わった。そして。王城・執務室。
「……殿下」
側近が、慎重に切り出す。
「市中で」
「“王太子はオリビア嬢に夢中”という噂が」
「広まり始めております」
王太子は、書類から顔を上げた。
「へえ」
それだけ。否定もしない。驚きもしない。
「……否定なさらなくて、よろしいのですか」
「噂だろ?」
軽い口調。
「勝手に盛り上がるのが、噂ってもんだ」
側近は、言葉を選ぶ。
「ですが」
「相手は、オリビア嬢です」
一拍。
「“普通の令嬢”ではありません」
王太子は、ふっと笑った。
「知ってる」
「だから?」
肩をすくめる。
「面白いんだよ」
その一言が、側近を最も不安にさせた。
同じ頃。王の私室。報告を聞き終えた私は、静かに額を押さえた。
「……来たか」
最悪の形で。噂は、制御できるうちは無害だ。だが、王太子と結びついた瞬間――
政治になる。
「……夢中、か」
私は、苦く笑う。否定しきれないのが、
さらに厄介だ。なにしろ、
我が息子は――否定しない。
「厄介な噂だ」
独りごちる。
オリビア・ヴェルトリナス・ハーベルト。
彼女は、何もしていない。
ただ、そこに在るだけで――
王太子の心と、貴族社会の視線を、一斉に引き寄せてしまった。
「……本人が一番、無自覚なのだろうな」
それが、何よりも厄介だった。噂は、もう止まらない。王太子が否定しない限り。
そして――オリビアが、気にも留めない限り。
静かに、だが確実に。国の空気は、
彼女を中心に動き始めていた。
最初は、ただの囁きだった。
「ねえ、聞いた?」
「王太子殿下、最近やけに外出が多くない?」
それだけなら、よくある話だ。だが、次に続く言葉が――違った。
「行き先が、いつも同じらしいのよ」
「ハーベルト公爵家……例の、オリビア嬢の」
王城の控え室。貴婦人たちの扇子が、ぴたりと止まる。
「……あの?」
「神殿と揉めてる、あの公爵令嬢?」
「そう」
「庭が勝手に動くとかいう……」
くすり、と笑いが漏れる。
冗談。
眉唾。
最初は、その程度だった。
だが。
「殿下、あの屋敷に二度行かれたそうよ」
「三度、という話もあるわ」
数が、増える。
「滞在時間が長い」
「毎回、笑って帰ってくる」
「帰城後、ご機嫌」
――ご機嫌。
その一言が、噂に“色”を与えた。
「……夢中、なんじゃない?」
誰かが、ぽつりと零す。否定は、なかった。
噂は、貴族社会を巡る。舞踏会の片隅。
お茶会の終わり。馬車の中。
「王太子殿下が、あんなに楽しそうなの、久しぶりよね」
「剣の話でも、戦の話でもないんですって」
「相手が、オリビア嬢だなんて……」
評価が、割れる。
「危険よ」
「王家に収まる器じゃない」
「強すぎるわ」
その一方で。
「……でも、魅力的じゃない?」
「誰にも従わないところとか」
噂は、加速する。事実より先に、印象が走る。神殿にも、届いた。
「……王太子が、公爵令嬢に?」
聖務官の声が、低くなる。
「“聖女問題”の最中に?」
「しかも、あの娘は……」
記録官が、帳簿を閉じる。
「これは、厄介です」
「王家が、彼女に近づいている」
噂は、警戒に変わった。そして。王城・執務室。
「……殿下」
側近が、慎重に切り出す。
「市中で」
「“王太子はオリビア嬢に夢中”という噂が」
「広まり始めております」
王太子は、書類から顔を上げた。
「へえ」
それだけ。否定もしない。驚きもしない。
「……否定なさらなくて、よろしいのですか」
「噂だろ?」
軽い口調。
「勝手に盛り上がるのが、噂ってもんだ」
側近は、言葉を選ぶ。
「ですが」
「相手は、オリビア嬢です」
一拍。
「“普通の令嬢”ではありません」
王太子は、ふっと笑った。
「知ってる」
「だから?」
肩をすくめる。
「面白いんだよ」
その一言が、側近を最も不安にさせた。
同じ頃。王の私室。報告を聞き終えた私は、静かに額を押さえた。
「……来たか」
最悪の形で。噂は、制御できるうちは無害だ。だが、王太子と結びついた瞬間――
政治になる。
「……夢中、か」
私は、苦く笑う。否定しきれないのが、
さらに厄介だ。なにしろ、
我が息子は――否定しない。
「厄介な噂だ」
独りごちる。
オリビア・ヴェルトリナス・ハーベルト。
彼女は、何もしていない。
ただ、そこに在るだけで――
王太子の心と、貴族社会の視線を、一斉に引き寄せてしまった。
「……本人が一番、無自覚なのだろうな」
それが、何よりも厄介だった。噂は、もう止まらない。王太子が否定しない限り。
そして――オリビアが、気にも留めない限り。
静かに、だが確実に。国の空気は、
彼女を中心に動き始めていた。
あなたにおすすめの小説
無能と言われた守護聖女、伝説の黒龍を目覚めさせてしまう――今さら「戻ってこい」と言われても、最強の夫が許してくれません!
阿里
恋愛
「浄化もできない無能など、我が家に必要ない!」
聖女の家系に生まれながら、奇跡を起こせないエルザは、婚約者のライナスと家族に捨てられ、魔物の森へと追いやられる。
死を覚悟した彼女が出会ったのは、深手を負った伝説の黒龍――ヴィクトールだった。
エルザの本当の力は、神の獣を癒やし、従える伝説の「守護」だったのだ。
ヴィクトールの最愛の妻として王都へ凱旋したエルザの前に、没落して泥にまみれた元婚約者が現れて……。
さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~
阿里
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」
婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。
けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。
セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。
「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。
――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。
「退屈な女だ」と婚約破棄されたので去りましたが、翌日から国政が止まったそうです。え、私はもう存じませんけど?
にたまご
恋愛
公爵令嬢クラーラは、ユリウス王太子殿下に婚約を破棄された。
「退屈な女だ」「何の取り柄もない」と。
否定はしない。
けれど殿下が知らないだけで、通商条約も予算案も外交書簡も、この国の政務の大半を六年間匿名で回していたのは──この「退屈な女」だ。
婚約破棄の翌朝、宰相補佐官のレオンが焼き菓子と四十二件の緊急報告を携えて公爵邸を訪れる。
「貴女がいなくなった王宮は、控えめに申し上げて、地獄です」
──存じません。私はもう、ただの無職ですので。
ベールを上げた新郎は『君じゃない』と叫んだ
ハートリオ
恋愛
結婚式で新郎に『君じゃない』と叫ばれたのはウィオラ。
スピーナ子爵家の次女。
どうやら新郎が結婚する積りだったのは姉のリリウム。
ウィオラはいつも『じゃない方』
認められない、
選ばれない…
そんなウィオラは――
中世ヨーロッパ風異世界でのお話です。
よろしくお願いします。
婚約破棄? ありがとうございます。やっと本当の人生が始まります
たくわん
恋愛
婚約破棄された令嬢がすべきことといえば、泣くか、喚くか、復讐を誓うか——らしい。
リーナ・フォスター公爵令嬢がしたことは、荷造りだった。
「冷たくて人を愛せない」と王太子に切り捨てられた夜、リーナは一度も振り返らずに王城を出た。向かった先は辺境の荒れ地。目的は薬草の栽培と薬品事業の立ち上げ。前世の記憶から温めてきた、誰にも言えなかった計画の実行だ。
リーナはそこで不器用だが誠実な騎士ヴァルターと出会う。一方、残された王太子とその新しい婚約者は、少しずつ、静かに、取り返しのつかない方向へと歩んでいたーー。
『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』
放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」
王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。
しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!?
「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!)
怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。
死にたくないので、今世は「悪女」の看板を下ろして「聖女」の利権を奪い尽くします
あめとおと
恋愛
「死に様なら、もう八通りも見てきたわ」
公爵令嬢レオノーラは、義妹ミアを「聖女」として引き立てるための「悪役」として、九回の人生をループしてきた。
どれほど善人に振る舞おうと、どれほど婚約者の王太子に縋ろうと、最後は常に処刑台か追放。
すべては、周囲の好感度を強制的に書き換えるミアの「偽りの奇跡」のせいだった。
十度目の十六歳。
累計八十年の人生を経験し、精神年齢も魔導知識も「枯れた」域に達したレオノーラは、ついに決意する。
「いい子を演じるのは、もう飽きたわ。今世は悪役令嬢らしく、あなたの『幸運』をすべて奪い尽くしてあげる」
ミアが手に入れるはずだった【癒やしの聖杯】を先回りして献上し、
ミアの信奉者になるはずだった【最強の騎士団長】を魔導の力で救済して味方につけ、
王太子との「思い出の場所」を物理的に整地してバラ園に変える。
「あら、殿下。ゴミ(思い出)を片付けて何が悪いのかしら?」
冷徹に、そして優雅に「ざまぁ」を完遂していくレオノーラ。
そんな彼女の前に、前世では「死神」と恐れられた隣国の皇帝ギルバートが現れる。
彼は、聖女の補正が効かない唯一の男。そして、誰よりも重すぎる独占欲を抱えた男だった――。
「君は世界を奪え。私は、そんな君を奪うとしよう」
これは、九回殺された悪役令嬢が、十回目で「真の幸福」と「最強の地位」を力ずくでもぎ取る、逆転無双の物語。
【全10話+後日談 完結まで投稿済 最終投稿は3/27】
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」