皆様覚悟してくださいませ。偽聖女の義妹から全て取り戻します。今まで受けた仕打ちは倍にしてお返し致します。

くろねこ

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三十五

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王太子、姉妹両方に詰められて精神的に死ぬ

――セドリック受難の日

その日は、穏やかな天気だった。

 雲一つない空。
 風は緩く、木々は気持ちよさそうに葉を   
 揺らしている。

だからこそ、
セドリック・フォン・ヴェルトリナスは――完全に油断していた。

 場所は、ハーベルト公爵邸の庭。いつもの木陰。いつもの、半ば私物化されつつある浮遊クッション。

 ――ただし。

 正面に、二人いる。

オリビア・ヴェルトリナス・ハーベルト。

 浮遊クッションに深く沈み込み、背もたれに体重を預け、片脚をだらしなく投げ出している。長い金髪がクッションの縁から零れ落ち、陽光を反射してきらきらと揺れていた。

 半目。
 完全に気を抜いた顔。

 そして――

 その横。

背筋をぴんと伸ばし、両手を膝に揃えて座る少女。

 マリエル・フォン・ハーベルト。

姿勢は完璧。表情は柔らかく、微笑みすら浮かべている。マリエル・フォン・ハーベルトは、決して派手な美しさではない。

髪は淡い金色。
強い光を放つというより、朝の陽だまりのようにやわらかく、触れればそのまま溶けてしまいそうな色合いだった。かつては手入れも行き届かず、重たく垂れていたそれは、今では丁寧に整えられ、背中に静かに流れている。

 瞳は、蜂蜜を薄く溶かしたような琥珀色。見る者を拒まない、穏やかな色だ。初めて会う相手ですら、理由もなく「この人は嘘をつかない」と思わせてしまう、不思議な柔らかさがある。

顔立ちは可憐で、どこか幼さが残る。
鋭さも、威圧もない。
それなのに――今の彼女には、目を逸らせなくなる何かがあった。

 背筋はまっすぐに伸び、肩は自然に落ち着いている。
かつてのように怯えて縮こまることはない。
静かで、落ち着いていて、余計な動きをしない。

その佇まいは、祈る者ではなく、向き合う者のものだった。

 微笑めば優しい。
 声も柔らかい。
 けれど、その奥には揺るがない芯がある。

 ――逃げない、と決めた人間の目。

オリビアの隣に立つと、その違いはより鮮明になる。
姉は環境そのもののような存在で、空気を支配する。
対してマリエルは、人の心に触れる。

 同じ金髪でありながら、同じ公爵家の娘でありながら、その光り方はまったく異なる

 前に会った時と目が、違った。

 穏やか。
 丁寧。
 礼儀正しい。

 ――それなのに、逃がさない。

(……あ、これ駄目なやつだ)

セドリックは、王太子としてではなく、
   一人の人間として本能的に察した。

「で」

オリビアが、ゆっくり欠伸をする。小さく口を開き、指先で目尻を拭いながら、気だるげに声を落とした。

「あなた、最近さ、“王太子を降りる可能性”とか考えてるでしょ」

 ――直球。

 心臓が、嫌な音を立てた。

「……なぜ、それを」

 喉が、わずかに引き攣る。

 オリビアは、半目のまま、ちらりとこちらを見る。

「顔に書いてある」

 即答。

 慈悲、ゼロ。

 逃げ道は、庭の土に埋められた。

 セドリックが言葉を探して視線を彷徨わせた、その瞬間。

 マリエルが、静かに口を開いた。

「殿下」

 声音は、驚くほど丁寧。

「それ、とても無責任です」

 ――ぐさ。

 笑顔で、的確に刺してくる。

(……お前が言うな)

 思わず浮かんだ本音を、必死で飲み込む。ついこの前まで、責任という言葉から全力で逃げていたのは――誰だ。

「え、いや、でも……」

 反論しようとした声は、弱い。

 マリエルは、責めるような表情一つ見せず、淡々と続けた。

「国の安定。王家の責務。継承順位」

 一つ一つ、指を折ることもなく、“当然の前提”として並べていく。

「それらを“すべて考えた上で”なら、悩むこと自体は、理解できます」

 一拍。

 そして、にこりと微笑む。

「でも、今の殿下は、“逃げたい気持ち”を」
選択に見せかけているだけです」

 ――ごふっ。

 目に見えない何かが、胸に突き刺さった。

(ま、待って)
(君、引きこもってたよね?)

 その思考を読んだかのように、マリエルは少し誇らしげに微笑んだ。

「姉様に、教わりました」

 横で、オリビアがゆっくりと身体を起こす。

 半目が、完全に開く。その瞳は、どこか陶酔したように、マリエルを映していた。

「よく言えました」

 そう言って、何の躊躇もなく、マリエルの頭に手を伸ばす。

 指先が、髪を撫でる。

マリエルは、びくりと肩を震わせ――
次の瞬間、頬を赤く染めて、嬉しそうに目を細めた。

「……ありがとうございます」

その様子は、誰がどう見ても仲の良い姉妹。

 だが。

(……違う)

 セドリックの背中に、冷たいものが走る。

マリエルの目は――
姉を見ているというより、信仰対象を仰いでいる。

 崇拝。
 依存。
 あるいは、それに近い何か。

姉妹の連携は、もはや芸術的だった。セドリックは、最後の望みを託すようにオリビアを見る。

「君は、どう思う?」

「んー」

 オリビアは、少しだけ考える素振りをしてから言った。

「別に、降りてもいいと思うわよ?」

 ――救い?

 いや、違う。

「ただし」

 人差し指が、軽く上がる。

「“降りた後”、あなた、何するの?」

 空気が、凍った。

「王太子を降りるって、“楽になる”ことじゃないのよ。肩書きを捨てた瞬間。あなたはただの人」

 一拍。

「国にも、王家にも。私にも何の価値も、保証されない」

 にこり。

「それでも、来る?」

 ――それは質問じゃない。

(……お前に、何の価値がある?)

 そう言われた気がして、
 喉が鳴った。

 マリエルが、容赦なく追撃する。

「殿下は、“選ばれる側”でいることに、慣れすぎています」

「選ぶ覚悟」
「選ばれない可能性」
「拒否される前提」

「それ、考えましたか?」

 完全包囲。

 逃げ場、皆無。

(……詰んだ)

 セドリックは、額を押さえた。

「……待ってくれ。一気に来すぎだ」

「姉様」

 マリエルが小さく首を傾げる。

「手加減、必要ですか?」

「いらない」

 即答。

「王になる人間には、このくらい、普通」

 ――死刑宣告。

 セドリックは、深く息を吐いた。

「……君たち、自覚はある?」

「何が?」

 二人同時。

「人の精神を、じわじわ壊す才能」

 オリビアは、肩をすくめる。

「壊してないわよ。余計な幻想を、剥がしてるだけ」

 マリエルも、真顔で頷いた。

「殿下、壊れているのは元々の認識です」

 ――完全論破。

 セドリックは、しばらく黙り込み。

 そして。

「……降りるかどうかはもう少し、考える」

 弱々しく言う。

 オリビアは、目を閉じたまま言った。

「それでいいわ。考えた上で来るなら拒まない」

「でも」

 一拍。

「“肩書きのまま来る”なら、私は、あなたを見ない」

 その言葉は、剣よりも、王命よりも、深く刺さった。

 マリエルが、優しく締める。

「殿下、選ばれる準備ができたら、また、来てください」

 にこり。

「その時は、ちゃんと、人としてお話しましょう」

 ――精神的、完全敗北。

 セドリックは、よろよろと立ち上がった。

「……今日は帰る」

「はい」

 姉妹、同時返事。

 背を向けた瞬間。

(……俺、王太子だよな?)

 その自信が、音もなく崩れていくのを感じながら、庭を出る。

 背後で、オリビアがぽつり。

「……良い素材ね」

「はい」
 マリエルが、即座に頷く。
「まだ、育ちます」

 セドリックの背中が、びくっと跳ねた。

(……育成対象だったのか、俺)

 こうして。

王太子はこの日、姉妹連携・完全論破コンボにより、精神的に一度、死んだ。

 なお、この後しばらく王城での彼は――

「……庭、行きたい」

 とだけ呟く、非常に扱いづらい王太子になったという。
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