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四十四
兄アレックス、悪徳貴族の扱い方を学んでしまい胃痛悪化回
――「理解してしまった者の末路」
アレックス・フォン・ヴァンサイトは、静かな人間だった。
武と防衛を司る西の公爵家の嫡男。
冷静沈着、理論派、感情を表に出さない。
弟カイザスとは正反対で、「普通に」優秀な男である。
――だからこそ。
彼は、この庭に長居してはいけなかった。
場所は、ハーベルト公爵邸の庭。
例の庭だ。木が勝手に育ち、風が意思を持ち、人間の思惑だけが、いつも遅れてくる場所。
アレックスは、端正な姿勢で椅子に座っていた。背筋は真っ直ぐ、手は膝の上。この時点で、すでに“浮いている”。
正面には、オリビア。
浮遊クッションにだらしなく寝そべり、
日光浴をしながら、木陰から半分だけ顔を出している。
「……で」
オリビアが言う。
「今日の“相談”は?」
「……“相談”というより」
アレックスは、言葉を選びながら切り出した。
「王都で問題になっている侯爵がいる。横領、虚偽申告、裏取引……証拠はあるが、決定打がない」
普通なら、ここからが政治だ。
圧をかける。
妥協点を探る。
王家や神殿と根回しをする。
アレックスは、そういう話をするつもりだった。
だが。
「ふーん」
オリビアは、欠伸混じりに言った。
「その人、まだ“役に立つ”?」
――その一言で、空気が変わった。
「……役に、立つ?」
「うん。完全に切るには早い気がする」
アレックスの眉が、わずかに動く。
「……普通は、切るか裁くかの二択だが」
「だから、普通じゃないやり方を教えてあげる」
オリビアは、楽しそうに言った。
数時間後。
問題の侯爵は、庭の端に“座らされて”いた。
拘束は、ない。
縄も、剣も、魔法陣もない。
ただ――
逃げられない。
足元の根が、常に動いている。一歩でも変な動きをすれば、そっと絡みつく準備ができている。
「……助けてください……」
侯爵は、震えた声で言った。その前に立つのは、アレックス。
――いや、立たされている、と言った方が正しい。
「証拠は、こちらで揃っている」
アレックスは、淡々と告げる。
「王家に出せば、爵位剥奪、神殿に出せば、破門と追放」
「……で、ですが……」
「だが」
その言葉を遮ったのは、オリビアだった。
「選択肢、もう一つあるわよ?」
侯爵の顔が、ぱっと上がる。
「わ、私にも……?」
「うん」
にこり。
「あなたがやってきたこと、全部、“私に”提出するの」
「取引先」
「裏金」
「仲間」
「神殿との繋がり」
「全部」
アレックスの胃が、きり、と痛んだ。
(……それ、王家の仕事では……)
「その代わり」
オリビアは、続ける。
「命と、最低限の立場は保証する。
ただし――」
声が、少しだけ冷える。
「一生、私の“情報源”」
「逆らえば?」
「王家に出す」
即答。
侯爵は、数秒沈黙し――
そして、床に額を擦りつけた。
「……お任せします」
全てが終わったあと。アレックスは、庭の隅で頭を抱えていた。
「…………」
「どうしたの?」
オリビアが、悪気なく聞く。
「……理解してしまった」
低い声。
「悪徳貴族は、切るより使った方が、被害が減る」
「証拠を握り、選択肢を限定し、自分で動かせばいい」
一拍。
「……だが」
アレックスは、顔を覆った。
「それを理解してしまった自分が、怖い」
オリビアは、きょとんとする。
「え?普通じゃない?」
「普通じゃない」
即答。
「それは、“分かってはいけない側”の思考だ」
胃を押さえる。
「……胃が、痛い」
その横を、カイザスが通り過ぎながら呟く。
「兄上、戻れなくなりましたね」
「戻りたくない」
アレックスは、弱々しく返した。
「……だが、これを知ってしまった以上、知らなかった顔は、できない」
オリビアは、満足そうに頷く。
「おめでとう。これで、あなたも“配置できる側”」
アレックスの胃が、ぐぅ、と鳴った。
(……弟を助けに来たはずなのに)
(なぜ、俺が配置されている)
その日の夜。
西の公爵家嫡男は、胃薬を三倍量飲みながら、こう記したという。
『オリビア・ヴェルトリナス・ハーベルトには長時間接触してはならない。理解が進むほど、胃が死ぬ』
なお。
翌日も、彼は庭にいた。
「……帰りたい」
そう呟きながら。
理解してしまった者は、もう逃げられない。
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