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四十七
――交渉失敗速度・史上最短
その日、第二王子パトリックは決意していた。
――行かなければならない。
――あの庭へ。
兄と話した夜から、頭の片隅にずっと引っかかっていた言葉がある。
(兄上は……あそこに行くたび、削られてる)
精神的に。
概念的に。
場合によっては、人間性ごと。
問題は分かっている。原因も分かっている。
分かっているが――
放置できない。
ハーベルト公爵邸の庭。
相変わらず、植物は勝手に整列し、風は都合よく吹き、人間の都合だけが無視されている。
浮遊クッションの上で、オリビアは今日もだらけていた。
昼。
完全な昼寝姿勢。
そこへ。
「……失礼します」
パトリックが、きちんと礼をして立つ。
オリビアは片目だけ開けた。
「あら、今日は弟の方」
その一言で、
すでに“兄の付属物扱い”されていることに気づき、
パトリックの胃が、きゅっと縮む。
「……今日は、お願いがあって来ました」
「へえ」
興味なさそうに、欠伸。
「三行以内でどうぞ」
制限付き交渉。
不利。
だが、引き下がれない。
「兄の精神をこれ以上削らないでください」
言った。
勇気は出した。誠意もあった。
――が。
オリビアは、一秒も考えなかった。
「無理ね」
即答。
秒殺。
「……え?」
思わず、間抜けな声が出る。
「理由、言います?」
にこり。
その笑顔が、なぜかものすごく怖い。
「お願いします……」
「じゃあ」
オリビアは、指を一本立てた。
「まず前提。あなたの兄、私の所有物じゃない」
ぐさ。
「次」
二本目。
「私、呼んでない」
ぐさぐさ。
「三つ目」
三本目。
「削ってるつもり、ない」
――致命傷。
「むしろ」
少しだけ首を傾げる。
「今まで“削られてなかった部分”を露出させてるだけ」
パトリックは、言葉を失った。
「……それは……」
「あなたが言いたいのは多分」
淡々と続く。
「『兄が壊れそう』『王太子として不安定』」
「『国にとって危険』」
全部、正解。
だからこそ。
「でもね」
オリビアは、完全に目を開けた。
「それ、“王家の都合”でしょう?」
――あ。
理解した瞬間、背中に冷たい汗が流れる。
「私は、王家を安定させるために、兄を育ててるわけじゃない」
一拍。
「“人間として成立させる”ために、話してるだけ」
反論できない。
「削られてるんじゃないの。余計な肩書きが、剥がれてるだけ」
パトリックは、拳を握った。
「……それでも、兄は、苦しんでいます」
声が、少しだけ震える。
「なら、いいことじゃない」
オリビアは、あっさり言った。
「苦しまない人間は、変わらない。王になる人間なら、尚更」
冷たい。
正しい。
逃げ場がない。
「……兄を」
最後の抵抗。
「返してください」
オリビアは、ふっと笑った。
「返す?」
「どこに?」
間。
「“王太子”に?」
その一言で、
全てが崩れた。
パトリックは、気づいてしまう。
兄を返してほしいのではない。
元の、安心できる兄に戻ってほしいだけだ。
でも。
それは。
「……戻れない、ですよね」
小さく呟く。
「ええ」
即答。
「もう、見ちゃったから。王じゃない自分」
。選ばれる側じゃない自分。それを知った人は、元には戻れない」
残酷で、だが、事実だった。
パトリックは、深く息を吐いた。
「……じゃあ、僕にできることは?」
オリビアは、ようやく少しだけ柔らかく笑った。
「簡単よ」
「兄を、王太子として見るのをやめなさい」
一拍。
「兄として見て、人として叱って、逃げそうなら、殴りなさい」
――教育方針、雑。
「それ、弟の役目でしょう?」
パトリックは、思わず苦笑した。
「……ひどい人だ」
「今さら?」
オリビアは、再び目を閉じる。
「安心して、壊れないわよ、あなたの兄」
「素材、いいもの」
背後から、植物がさわりと揺れる。
肯定。
パトリックは、頭を下げた。
「……分かりました。もう、返してなんて言いません」
「それでいいわ」
立ち上がる。
庭を出る前に、振り返る。
「……一つだけ」
「なに?」
「兄を、完全に持っていかないでください」
一瞬。
オリビアは、目を閉じたまま答えた。
「心配しなくても、選ばなければ、誰のものにもならない」
――重い。
パトリックは、庭を後にした。
そして確信する。
(……詰んでる)
(兄も)
(俺も)
(この国も)
なお、この後。
セドリックが庭から戻った際、パトリックは真顔で一言だけ告げた。
「兄上」
「?」
「……逃げ場は、もうない」
セドリックは、なぜか納得できた。
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