白蛇の無能な祝巫女

紅林オト

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第3章 災厄の蛇神

1.予期せぬ来訪者

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 雨期の終わりに覗いた久々の晴れ間の下、百代は額の汗を拭った。
「おじさん。なすの収穫、終わったわよ!」
 キュウリの畑で収穫をしていた中年の男が、百代の声に顔を上げる。
「おお、ありがとう! 百代ちゃんは仕事が早くて助かるねぇ。なら次は、キュウリの方も手伝ってくれるかい?」
「はーい!」
 百代はなすでいっぱいになった籠を畑の端に置きに行く。すると近くを通りがかった筋肉質の若い男が百代に気付いて片手をあげた。
「おう百代ちゃん、精が出るねぇ。また俺たちにも罠猟の仕方を教えてくれよ!」
「いいわよ、また恭平さんに道具を借りられるか頼んでおくわ」
「やりぃ! 他の若い衆にも声かけとくわ!」
「はーい。日が決まったらまた教えてちょうだい」
 男は「約束だからな!」と手を振りながら立ち去っていく。その背中を眺めていると、横から苛立ちの声が飛んできた。
「おい、巫女! 早くキュウリの手伝いに来い!」
「百代さま、早く助けて……」
「ごめーん、今行くわー!」
 急ウズとカガチに返事をしてから、百代はキュウリの畑へと向かった。
 水不足を解決してからふた月ほど。百代と村人たちの距離は、以前よりも縮まっていた。食糧不足の際に猪の肉を振る舞ったことで、村に害をなす存在ではないと分かってもらえたらしい。
 水不足の件で出番のなかった農業知識と、剣術で鍛えた体力を使って農作業の手伝いをしたり、他の村人たちと猟に出て、獲れた獲物で食事を作って振る舞ったりした。他にも何かと村人たちを手伝いながら、ゆっくりと信頼を得ていった。
「邪神の巫女っていうけど、百代ちゃんは全然怖くねぇな」
「もしかしたら邪神の方も、本当は悪い奴じゃないのかも」
 今ではそういう声もちらほら聞こえてきており、ミズハに対する誤解も少しずつ解けているようだった。残り時間はあとひと月。だが着実に前進している。
 百代は籠の中に増えていく艶やかなキュウリを見てふと笑った。
「それに生贄も、来なかったしね」
 ひと月前、かつての人生で百代が生贄に選ばれた時期。数日の間、百代は夜の山を見張っていた。山賊はミズハによって追い払われていたものの、理不尽に生贄になった誰かがいるのなら、逃がしてやりたいと思ったのだ。
 しかし、どれだけ待っても生贄は来なかった。
 思えば今までの人生では、高天原にミズハの討伐依頼が出され、同じ水を司る神のシグレが主導で討伐が行われた、という流れだった。それを考えると、討伐依頼が出されるきっかけとなったのは、水不足の件だったのだろう。今回の人生では、水不足を百代たちが解決していたため、何も起こらなかったのだ。
 百代が起こした行動で、少しずつ未来は変わっている。
 だからきっと、ミズハの運命を変えることもできるはずだ。
 一人で意気込んでいると、隣のカガチがじっとりとした目で見上げてくる。
「にやにやしてないで、キュウリをとれよ」
「わかってるわよ」
 百代は軽く咳払いをして、また一本キュウリを籠に入れた。
 畑仕事の手伝いを一通り終え、ウズとカガチと共に社へ戻ると、珍しくミズハが鳥居の外まで出てきていた。彼は鳥居の柱の陰から、境内の様子を窺っている。
 体の周りを漂っていた穢れの黒霞は、もうほとんど消えていた。日々百代が行っている清めの儀式の効果もあるが、一番は村人たちからの誤解が解消されつつあり、新たな穢れが溜まりにくくなっていることが大きいのだろう。
 ミズハの回復を嬉しく思いつつ、百代は彼に声をかける。
「珍しいわね、社の外にいるなんて」
「いや、なんだか変な人がいてさ……」
 ミズハは困惑した顔で境内の方を指さした。百代はミズハに倣って身を隠しつつ、境内の中をのぞき込む。
 社殿の前に、一人の女が立っていた。年齢はおそらく二十代後半から三十代前半。くたびれてはいるが上品さのある着物姿は、華族の使用人を思わせる。境内のあちこちを見回し落ち着かない様子は、ミズハの言うとおり確かに怪しい。
 けれど振り向いた彼女の顔を見て、百代は小さく声をあげた。
「あれ、たまきだわ」
「百代、知り合いなの?」
 首をかしげるミズハに、百代は頷く。
「ええ、美輪家に住み込みで働いていた使用人よ」
 環は美輪家で、唯一百代を仲間外れにしなかった人物だ。櫻子からのいじめから守ってくれる訳ではなかったが、傍にいても文句や嫌味を言ってこない彼女の存在は、美輪家にいた頃の百代にとってはありがたかった。
 しかし、どうして彼女がここにいるのだろう。自分の知る限り環は都生まれで、草田瀬とは縁もゆかりもなかったはずだが。
「とりあえず、私が声をかけてみるわ。ミズハたちは隠れて待っていて」
 百代は一人鳥居の後ろから出て、環へ近寄り声をかけた。
「ここで何をしているのかしら?」
 振り向いた環は一瞬ぎょっとしたような顔をしたが、すぐに瞳に涙を浮かべて駆け寄ってきた。
「百代様! こんなところにいらっしゃったのですね!」
 環は百代の手を取ると、安堵の表情を浮かべている。
「出て行かれたと聞いて、ずっと心配していたのです。今はこちらにお住まいなのですか?」
「ええ、草田瀬の村でお世話になっているわ。畑仕事を手伝ったりして、生活しているの。環はどうしてここへ?」
「その……この辺りで、百代様らしき方を見かけたという話を聞いて」
 環は少し言いよどみながら答えた。
 その物言いに、百代は直感する。彼女はなにかを隠していると。
 彼女は以前から、何かを隠したり嘘をついたりするのが得意ではなかった。きっと、ここにいるのも何か理由があるのだろう。
 百代の警戒心が上昇していく。たとえ一度心を許した相手でも、下手に情報を漏らすべきではない。水不足の件で、ミズハが何者かに狙われているとわかった以上は。
 とにかくミズハから引き離さなければ。
 百代は本心を笑顔に隠して返答する。
「そう、私は元気だから大丈夫よ。せっかくだから、村を回りながら話さない?」
「ええ、是非」
 百代は環と一緒に境内を出る。後ろから不安げな視線を投げかけてくるミズハに、口だけで「大丈夫」と答えつつ、百代は環を村へ案内した。
 青々とした田畑が広がる草田瀬の村を見た環は、驚いたように目を見張った。
「すごくのどかで豊かな場所ですね。水不足と聞いていたのですが」
「それは二月くらい前の話ね。今はもう、水の量も元に戻ってこの通りよ」
「戻ったのですか? それは、その……なにがあったのです?」
 環はやけに硬い表情で問いかけてきた。
 やはり彼女には何かある。確信した百代は事実を隠すことにした。
「別に普通よ。少し雨が降って、その後元通りになったわ」
「そう、なのですね……」
 環はうなずいたものの、表情は一層硬くなり、それからほとんど話さなくなってしまった。
 やがて一通り村を案内し、村の外れの山道の入り口にさしかかったところで、環は都に帰ると言い始めた。
「百代様がお元気そうで安心しました。慣れない場所で、何かと大変なことはあるでしょうが、ご無理はなさらないでくださいね」
「ありがとう。環も元気でね。それと……」
 百代は一度言葉を切り、環の顔をじっと見つめる。
「困ってることがあるなら、相談に乗るわよ」
「あ……」
 環は視線を少し彷徨わせ、何かを言おうと口を開く。けれどもすぐに閉じてしまい、不格好な笑顔を作った。
「ありがとうございます。お気持ちだけ、もらって行きますね」
 そのまま環は踵を返し、一人山道へと姿を消した。
 環の消えた場所に視線を留めたまま、百代は背後に感じた気配の名を呼ぶ。
「ウズ、カガチ」
「……気づいてたのかよ」
 木陰から、ウズとカガチが姿を現す。村を巡っている間も、彼らはずっと百代たちの後をつけてきた。用心棒の経験から、自分に集まる視線や背後に感じる気配には敏感なのだ。
「用事でもあるのか」
「ええ、環の後を追ってほしいの」
 明らかに環は何かの目的でここに来ていた。それがなんなのかは分からないが、ミズハを狙う者が絡んでいたら厄介だ。カガチは少し躊躇った後に、言葉を返した。
「言われなくてもそうするつもりだったけどよ。おまえはいいのか? あの女、知り合いだったんだろ?」
「あら、気遣ってくれるのね」
 そう言ってカガチを見下ろすと、彼は「うるさい」と顔をそらす。
 いつも通りの彼を微笑ましく思いつつ、百代は続けた。
「いいのよ。確かに環には昔の支えではあったけれど……今の私はミズハの巫女だもの。ミズハを守るのが最優先だわ」
 カガチは小さく鼻を鳴らしながら踵を返す。
「……ま、おまえの巫女としての心がけは、褒めてやるよ」
「行ってくるね、百代さま」
 そして二人は環を追い、山道へと姿を消していった。


 二人は夕方過ぎに戻ってきた。だが彼らによると、環は道中どこにも寄らず、まっすぐ美輪家に戻ったようで。抱えていた事情があったのか、本当に百代のことが心配だっただけなのか。その真相は分からずじまいだった。
 その日の夜。百代は、もやもやとしたものを抱えたまま床についた。
 外では星空が薄雲に覆われていく。
 ぽつぽつと雨が降り始めた。

   ***
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