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第4章 高天原の神様会議
3.因縁の再会
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買い物を終えて呉久呉服店を出た後、ミズハは用事があると言って一人どこかへ行ってしまった。そのため百代は一人で神木通りを散策していた。
呉服屋の他にも、神楽や儀式で使う楽器や祭具を扱う店もあれば、料亭や甘味屋なども並んでいる。店先には鳥居がある店もちらほらあり、呉久呉服店のように社を兼ねている店が多いようだった。
巫女の資格を得られなかった全ての人生でも、神木通りは百代にとって縁のない場所だった。九度も人生を繰り返していれば通りがかったことはあるとはいえ、こうしてじっくり見るのは初めてで、あらゆるものに視線を奪われてしまった。
だがそのとき、背後から嘲笑うような声が聞こえた。
「あら、お姉様じゃない」
よく知っている、聞きたくなかった声。いつかは向き合うだろうと思ってはいたが、こんなに早くなるとは思わなかった。百代は深呼吸をし、おもむろに振り返った。
「櫻子……久しぶりね」
美輪家で散々百代をいじめ倒し、全てを奪っていった妹は、真っ赤な唇を釣り上げた。
「お姉様こそ、追い出されたあの日振りね。草田瀬にいると聞いたけれど、どうして都にいるのかしら? しかも、木刀なんて下品なものを腰に差して……まさかあの田舎でも使い物にならないと捨てられたの?」
きっと環から話を聞いたのだろう。この様子だと、あの時環が見たものや話したことは、全て美輪家に伝わっていると考えた方がよさそうだ。
「別に捨てられてなんかいないわ。今日はたまたま都にいるだけ。あなたこそどうしてこんなところにいるのよ。家とシグレ様が大好きなくせに」
にらみつけながら言い返すと、櫻子は顔をゆがめて舌打ちをした。
「シグレ様がこの通りにある店の水ようかんが食べたいと仰ったから、買いに来たのよ」
「あらそう、残念だったわね。使い走りにできる私がいなくなって」
「ふん、相変わらず生意気ね。無能の落第巫女のくせに……」
櫻子は憎々しげに百代を睨んだ後、ぱっと表情を明るくした。
「でもいいのよ。こうしてシグレ様の為に働いていれば、あの方から愛してもらえるもの。それに私、あと少しで正式な祝の巫女になれるのよ。今頼まれている大きな仕事が終わったら、シグレ様が祝の巫女にする儀式をしようと言ってくださったの!」
櫻子は恍惚としたように微笑んだ。その顔に浮かんでいるのは、シグレに対する思慕や恋情ではない、別の歪んだ何かのように思えた。それにシグレの言動も、気に掛かる。
「あなた、騙されてない? 祝の巫女は、互いの信頼と情を以て成立するものよ。頼まれ事をしたからなれるものじゃないわ」
「なによ、私たちを疑うの? 言っておくけれど、私はあの方にちゃんと選ばれたのよ。落ちこぼれの出来損ないで捨てられたお姉様と違ってね」
「そうかもしれないけれど、祝の巫女の成立条件は巫女学校で習っているでしょう。それと照らし合わせてみれば、おかしいことくらいすぐわかるわ」
「うるさいわね……いい加減黙ってちょうだい!」
櫻子は激昂しながら、水の異能で自分の周囲にビー玉ほどの水球を数個生み出した。百代は咄嗟に腰に差した木刀を抜いた。
「シグレ様は私を思ってくださっているわ。だって毎日、愛しいと囁いてくださるもの。だから私は、祝の巫女になれるのよ!」
「怒りにまかせて暴れる癖、どうにかした方がいいと思うわ。祝候補のあなたがここで騒いでいたら、愛するシグレ様に迷惑がかかると思うけど」
「お姉様が悪いのよ。シグレ様と私の仲を疑うから!」
櫻子は水球を指ではじくようにして次々と飛ばしてくる。百代は冷静に水球の動きを目で追った。動きは速いが、捉えられないものではない。木刀の柄を固く握り、接近する水球を切り裂いた。刀身に当たった水の塊は、次々と小さな水音を立てて弾けていく。
「なによ、うちにいた頃は抵抗しなかったくせに」
櫻子は次々と新たな水球を作り出し、百代の方へ飛ばしてくる。それらを全て裁きながら、百代は叫んだ。
「あの時は反撃したらお父様やお母様を呼ばれて、もっと面倒なことになったでしょう。でも今は、周りにたくさん証人がいるもの。あなたが先に手を出したっていう証人がね」
百代と櫻子の周囲には、神々や巫女たちが集まっていた。皆、百代と櫻子に好奇の視線を浴びせかけ、ひそひそと何やら囁いている。
「この辺りで終わりにしましょう。これ以上は、互いの神様の評判に関わるわ」
櫻子の水球をすべて裁いた百代は、木刀をおろして構えを解いた。しかし櫻子は、再び水球を発生させる。
「嫌よ。出来損ないの癖に賢い振りなんてしないで。お姉様に従うなんて死んでも嫌だわ」
「はぁ? わがまま言ってないで、自分の立場を考えて――」
「無能なお姉様が私に指図しないでちょうだい」
人の顔ほどの大きさに成長した水球が五つ、風を切りながら百代に飛んでくる。再び木刀を構え、水球を切り裂こうとした時――
「誰? 僕の巫女に手を出してるのは」
水の結界が、百代の目の前に張り巡らされた。結界にぶつかった水球は、弾けるようにして形をなくす。
百代の横に並んだミズハは、周囲を眺めてにやりと笑った。
「僕がいない間に、面倒事になってたみたいだね。無茶はしてない?」
「全く。でもごめんなさい。もう少しで片付きそうだったんだけど」
「いいよ、残りは二人でやれば早く終わるでしょ」
ミズハは結界を解いた後、愕然とする櫻子を顎で指した。
「で、アレはなに?」
「妹の櫻子よ」
「ああ……実家で君を苛めてたっていう? なら遠慮はいらなかったかな」
ミズハは歪んだ笑みを浮かべ、櫻子を紅の眼光で射貫いている。櫻子は目に恐怖を滲ませて、小さく悲鳴を上げながら尻餅をついた。周りの野次馬たちも、じりじりと後ずさりしている。
ミズハの気迫は、邪神と呼ばれていた頃よりも邪神らしかった。このままでは本当に、櫻子をどうにかしてしまいかねない。百代はミズハの背を軽く叩いた。
「やめなさい。人を傷つけるなんて神様らしくないわよ」
「はぁ……わかったよ。本当に百代は甘いなぁ」
ミズハは櫻子を睨むのを止めてため息をついた。途端に張り詰めていた空気が元に戻る。
櫻子は尻餅をついたまま、震える指でミズハを指さした。
「な、なによそいつ……!」
「水を司る蛇神、ミズハよ。言ってなかったけれど、私はミズハの巫女になったの」
「お姉様に巫女の資格なんてないでしょう!? だからシグレ様の祝候補から外されたのに。それにミズハって……草田瀬にいた邪神の名前じゃない! そんなの、環は言っていなかったわ!」
櫻子は叫ぶ。今の言動からすると、環を送り込んできたのは美輪家だったのだろう。百代を見張るためか、それ以外の目的があるのか。どのみち、ある程度は予想していたことだ。知り合いに裏切られたからといって、百代の感情が揺らぐことはない。
「失礼よ、櫻子。ミズハはもう、正式な神に戻ったんだから。次の高天原の会議も出席するわ。ミズハと私、二人でね」
「ちなみに百代も、巫女としての実力は十分だ。この僕のために信仰を集めて、神に戻してみせたんだから。そこらの巫女より、百代はよっぽど有能だよ」
しかし櫻子は引き下がることなく、百代とミズハを睨み返す。
「そんなはずないわ、異能を使えないお姉様は私よりも、ずっとずっとずうっと下の、落ちこぼれなのよ」
百代は内心ため息をつく。いい加減、堂々巡りの罵倒を受けるのも疲れてきてしまった。
「別にあなたからなんと言われようと構わないわ。神であるミズハから求められている、それが全てでしょう。巫女は神に求められてこそなのだから。分かったらこれ以上恥をさらしていないで、家に帰りなさい!」
「っ、シグレ様に言いつけて、お姉様を捕まえるようお願いしてやるんだから!」
櫻子は真っ赤な顔で捨て台詞を吐いた後、野次馬を押しのけて通りの向こうに走っていった。集まっていた神々は、祭りが終わったとでも言うように散っていく。
通りが元に戻った後、百代はようやく木刀を腰に挿した。
「お疲れ、大変だったね。色々と」
「まあね。でも来てくれて助かったわ」
途中で怪しい空気になりかけたが、彼が脅してくれたからこそ早く片付いた節はある。それは素直にありがたかった。
「どういたしまして。あと資格の件は大丈夫だよ。もう根回しは済んでるから。例え高天原に連絡されても、百代が捕まることはない」
「もう何かしていたの? 早いわね」
「ま、大事なことだからね。というか、それより」
ミズハは眉間に皺を寄せながら、ずいっと顔を近づけてくる。
「櫻子って女、百代がどこぞの神の祝候補だったって言ってたんだけど、ほんとなの?」
「ええ、まあ一応。家を出る直前までは水を司る龍神、シグレ様の祝候補だったわ。巫女の資格試験に落ちて、候補は櫻子に変わったけど。それがどうかした?」
百代は頭に疑問符を浮かべながら問いかける。神が祝候補を持つことは、別に珍しくはない。それは今朝も話したし、ミズハも分かっていると思ったが。
「どうしたもこうしたも、僕にとっては一大事だよ? しかもよりによってシグレの……百代は、シグレが好きだったの?」
「なんでそういう話になるのよ!?」
思いも寄らない方向に話が飛躍し、百代は思い切り首を横に振った。
「ただ祝候補になってたってだけよ。美輪家は代々長女がシグレ様の祝候補になる決まりがあったから」
当時の百代は、ただ単に与えられた役目を受け入れていただけだ。祝候補として一緒に過ごすうちに好きになったとか、そういう話は全くない。
それにシグレは家族と同様、百代が能なしと分かった後に蔑んできたし、そうでなくともあの神は、どこか好きになれなかった。美しい微笑みの裏に何かが隠されていそうだと、回帰をする前からずっと思っていたからだ。
「シグレ様には、今も昔も恋愛感情なんて抱いていないわ。だからミズハが何かを気にする必要はないの」
百代がきっぱり宣言すると、ミズハは深い安堵の息をついた。
「よかった……シグレが好きって言われたら、いろんな意味でどうしようかと……」
「あら、なにかあったの?」
「まあ、うん……ひとつは、これ」
ミズハは手にした小さな木の箱を、百代の方へ差し出してきた。
「なに、これ?」
「開けてみて」
促されるままに木箱の蓋を開けると、中にはかんざしが入っていた。先の部分には白い小さな花の飾りと、紅の玉があしらわれている。柄の部分は金属製で、先端は鋭利に尖っていた。
「これって……?」
箱を持ったままうろたえてしまう。ミズハは照れたように微笑んでいる。
「その、百代に買ってきたんだ。今まで助けてくれたお礼と、これからよろしくって意味で。さっきはこれを取りに行ってたんだよ。髪も伸びたし……会議で使えればと思って」
「そ、そうなの……?」
かんざしを女性に渡す意味。それをミズハは知っているのだろうか。
けれどミズハは二百年間封印されていたし、その前も祝の巫女という人との婚姻関係に興味がないと言っていた。だからこのかんざしに、深い意味はないのだろう。きっと言葉の通り、感謝と挨拶をかねて、会議用の礼装に合わせて買っただけかもしれない。
だがかんざしの意味を知る百代は、平静ではいられなかった。緊張のような喜びのような、訳の分からない感情が心の奥から湧き上がってくる。
無言のままかんざしを見つめていると、ミズハは不安そうな目を向けてきた。
「気に入らない?」
「そ、そんなことないわ! 綺麗だし、先端が鋭いから、いざって時は武器になりそうで……」
混乱のあまり、訳の分からないことを口走ってしまった。
しかしミズハは笑顔で頷く。
「そうそう。さっきみたいに、変に絡まれたら使ってよ。危ないことに巻き込まれないのが一番だけど、百代ならうまく使いこなせる気がするし」
やはりミズハに他意はなさそうだ、と百代は幾分緊張が和らぐ。ほんの少しばかり残念な気持ちになったりもしたが、これ以上混乱したくなくて、自分の気持ちについて考えるのは止めにした。それに百代なら使いこなせると、自分のことを思って贈り物をしてくれたのは純粋に嬉しい。
「ありがとう、大事にするわね」
「ふふ、たくさん付けてくれたら嬉しいよ」
百代は蓋を閉じると、かんざしの木箱を胸に抱く。
今日はミズハの色んな面を知れた気がした。不意打ちでかんざしを贈ってきたこともだが、櫻子との争いで周囲を圧倒する威圧感を出したこと。そして、クレヒサにとても敬われていたこと。すべて社の日常の中では、見ることができない一面だった。
百代はふと、ミズハに聞こうとしていたことを思い出す。
「ミズハって、もしかして結構偉い神だったりするの?」
「さあね。僕は元邪神で、ただの水を司る蛇神だよ」
ミズハはただ、飄々と笑っているだけだった。
***
呉服屋の他にも、神楽や儀式で使う楽器や祭具を扱う店もあれば、料亭や甘味屋なども並んでいる。店先には鳥居がある店もちらほらあり、呉久呉服店のように社を兼ねている店が多いようだった。
巫女の資格を得られなかった全ての人生でも、神木通りは百代にとって縁のない場所だった。九度も人生を繰り返していれば通りがかったことはあるとはいえ、こうしてじっくり見るのは初めてで、あらゆるものに視線を奪われてしまった。
だがそのとき、背後から嘲笑うような声が聞こえた。
「あら、お姉様じゃない」
よく知っている、聞きたくなかった声。いつかは向き合うだろうと思ってはいたが、こんなに早くなるとは思わなかった。百代は深呼吸をし、おもむろに振り返った。
「櫻子……久しぶりね」
美輪家で散々百代をいじめ倒し、全てを奪っていった妹は、真っ赤な唇を釣り上げた。
「お姉様こそ、追い出されたあの日振りね。草田瀬にいると聞いたけれど、どうして都にいるのかしら? しかも、木刀なんて下品なものを腰に差して……まさかあの田舎でも使い物にならないと捨てられたの?」
きっと環から話を聞いたのだろう。この様子だと、あの時環が見たものや話したことは、全て美輪家に伝わっていると考えた方がよさそうだ。
「別に捨てられてなんかいないわ。今日はたまたま都にいるだけ。あなたこそどうしてこんなところにいるのよ。家とシグレ様が大好きなくせに」
にらみつけながら言い返すと、櫻子は顔をゆがめて舌打ちをした。
「シグレ様がこの通りにある店の水ようかんが食べたいと仰ったから、買いに来たのよ」
「あらそう、残念だったわね。使い走りにできる私がいなくなって」
「ふん、相変わらず生意気ね。無能の落第巫女のくせに……」
櫻子は憎々しげに百代を睨んだ後、ぱっと表情を明るくした。
「でもいいのよ。こうしてシグレ様の為に働いていれば、あの方から愛してもらえるもの。それに私、あと少しで正式な祝の巫女になれるのよ。今頼まれている大きな仕事が終わったら、シグレ様が祝の巫女にする儀式をしようと言ってくださったの!」
櫻子は恍惚としたように微笑んだ。その顔に浮かんでいるのは、シグレに対する思慕や恋情ではない、別の歪んだ何かのように思えた。それにシグレの言動も、気に掛かる。
「あなた、騙されてない? 祝の巫女は、互いの信頼と情を以て成立するものよ。頼まれ事をしたからなれるものじゃないわ」
「なによ、私たちを疑うの? 言っておくけれど、私はあの方にちゃんと選ばれたのよ。落ちこぼれの出来損ないで捨てられたお姉様と違ってね」
「そうかもしれないけれど、祝の巫女の成立条件は巫女学校で習っているでしょう。それと照らし合わせてみれば、おかしいことくらいすぐわかるわ」
「うるさいわね……いい加減黙ってちょうだい!」
櫻子は激昂しながら、水の異能で自分の周囲にビー玉ほどの水球を数個生み出した。百代は咄嗟に腰に差した木刀を抜いた。
「シグレ様は私を思ってくださっているわ。だって毎日、愛しいと囁いてくださるもの。だから私は、祝の巫女になれるのよ!」
「怒りにまかせて暴れる癖、どうにかした方がいいと思うわ。祝候補のあなたがここで騒いでいたら、愛するシグレ様に迷惑がかかると思うけど」
「お姉様が悪いのよ。シグレ様と私の仲を疑うから!」
櫻子は水球を指ではじくようにして次々と飛ばしてくる。百代は冷静に水球の動きを目で追った。動きは速いが、捉えられないものではない。木刀の柄を固く握り、接近する水球を切り裂いた。刀身に当たった水の塊は、次々と小さな水音を立てて弾けていく。
「なによ、うちにいた頃は抵抗しなかったくせに」
櫻子は次々と新たな水球を作り出し、百代の方へ飛ばしてくる。それらを全て裁きながら、百代は叫んだ。
「あの時は反撃したらお父様やお母様を呼ばれて、もっと面倒なことになったでしょう。でも今は、周りにたくさん証人がいるもの。あなたが先に手を出したっていう証人がね」
百代と櫻子の周囲には、神々や巫女たちが集まっていた。皆、百代と櫻子に好奇の視線を浴びせかけ、ひそひそと何やら囁いている。
「この辺りで終わりにしましょう。これ以上は、互いの神様の評判に関わるわ」
櫻子の水球をすべて裁いた百代は、木刀をおろして構えを解いた。しかし櫻子は、再び水球を発生させる。
「嫌よ。出来損ないの癖に賢い振りなんてしないで。お姉様に従うなんて死んでも嫌だわ」
「はぁ? わがまま言ってないで、自分の立場を考えて――」
「無能なお姉様が私に指図しないでちょうだい」
人の顔ほどの大きさに成長した水球が五つ、風を切りながら百代に飛んでくる。再び木刀を構え、水球を切り裂こうとした時――
「誰? 僕の巫女に手を出してるのは」
水の結界が、百代の目の前に張り巡らされた。結界にぶつかった水球は、弾けるようにして形をなくす。
百代の横に並んだミズハは、周囲を眺めてにやりと笑った。
「僕がいない間に、面倒事になってたみたいだね。無茶はしてない?」
「全く。でもごめんなさい。もう少しで片付きそうだったんだけど」
「いいよ、残りは二人でやれば早く終わるでしょ」
ミズハは結界を解いた後、愕然とする櫻子を顎で指した。
「で、アレはなに?」
「妹の櫻子よ」
「ああ……実家で君を苛めてたっていう? なら遠慮はいらなかったかな」
ミズハは歪んだ笑みを浮かべ、櫻子を紅の眼光で射貫いている。櫻子は目に恐怖を滲ませて、小さく悲鳴を上げながら尻餅をついた。周りの野次馬たちも、じりじりと後ずさりしている。
ミズハの気迫は、邪神と呼ばれていた頃よりも邪神らしかった。このままでは本当に、櫻子をどうにかしてしまいかねない。百代はミズハの背を軽く叩いた。
「やめなさい。人を傷つけるなんて神様らしくないわよ」
「はぁ……わかったよ。本当に百代は甘いなぁ」
ミズハは櫻子を睨むのを止めてため息をついた。途端に張り詰めていた空気が元に戻る。
櫻子は尻餅をついたまま、震える指でミズハを指さした。
「な、なによそいつ……!」
「水を司る蛇神、ミズハよ。言ってなかったけれど、私はミズハの巫女になったの」
「お姉様に巫女の資格なんてないでしょう!? だからシグレ様の祝候補から外されたのに。それにミズハって……草田瀬にいた邪神の名前じゃない! そんなの、環は言っていなかったわ!」
櫻子は叫ぶ。今の言動からすると、環を送り込んできたのは美輪家だったのだろう。百代を見張るためか、それ以外の目的があるのか。どのみち、ある程度は予想していたことだ。知り合いに裏切られたからといって、百代の感情が揺らぐことはない。
「失礼よ、櫻子。ミズハはもう、正式な神に戻ったんだから。次の高天原の会議も出席するわ。ミズハと私、二人でね」
「ちなみに百代も、巫女としての実力は十分だ。この僕のために信仰を集めて、神に戻してみせたんだから。そこらの巫女より、百代はよっぽど有能だよ」
しかし櫻子は引き下がることなく、百代とミズハを睨み返す。
「そんなはずないわ、異能を使えないお姉様は私よりも、ずっとずっとずうっと下の、落ちこぼれなのよ」
百代は内心ため息をつく。いい加減、堂々巡りの罵倒を受けるのも疲れてきてしまった。
「別にあなたからなんと言われようと構わないわ。神であるミズハから求められている、それが全てでしょう。巫女は神に求められてこそなのだから。分かったらこれ以上恥をさらしていないで、家に帰りなさい!」
「っ、シグレ様に言いつけて、お姉様を捕まえるようお願いしてやるんだから!」
櫻子は真っ赤な顔で捨て台詞を吐いた後、野次馬を押しのけて通りの向こうに走っていった。集まっていた神々は、祭りが終わったとでも言うように散っていく。
通りが元に戻った後、百代はようやく木刀を腰に挿した。
「お疲れ、大変だったね。色々と」
「まあね。でも来てくれて助かったわ」
途中で怪しい空気になりかけたが、彼が脅してくれたからこそ早く片付いた節はある。それは素直にありがたかった。
「どういたしまして。あと資格の件は大丈夫だよ。もう根回しは済んでるから。例え高天原に連絡されても、百代が捕まることはない」
「もう何かしていたの? 早いわね」
「ま、大事なことだからね。というか、それより」
ミズハは眉間に皺を寄せながら、ずいっと顔を近づけてくる。
「櫻子って女、百代がどこぞの神の祝候補だったって言ってたんだけど、ほんとなの?」
「ええ、まあ一応。家を出る直前までは水を司る龍神、シグレ様の祝候補だったわ。巫女の資格試験に落ちて、候補は櫻子に変わったけど。それがどうかした?」
百代は頭に疑問符を浮かべながら問いかける。神が祝候補を持つことは、別に珍しくはない。それは今朝も話したし、ミズハも分かっていると思ったが。
「どうしたもこうしたも、僕にとっては一大事だよ? しかもよりによってシグレの……百代は、シグレが好きだったの?」
「なんでそういう話になるのよ!?」
思いも寄らない方向に話が飛躍し、百代は思い切り首を横に振った。
「ただ祝候補になってたってだけよ。美輪家は代々長女がシグレ様の祝候補になる決まりがあったから」
当時の百代は、ただ単に与えられた役目を受け入れていただけだ。祝候補として一緒に過ごすうちに好きになったとか、そういう話は全くない。
それにシグレは家族と同様、百代が能なしと分かった後に蔑んできたし、そうでなくともあの神は、どこか好きになれなかった。美しい微笑みの裏に何かが隠されていそうだと、回帰をする前からずっと思っていたからだ。
「シグレ様には、今も昔も恋愛感情なんて抱いていないわ。だからミズハが何かを気にする必要はないの」
百代がきっぱり宣言すると、ミズハは深い安堵の息をついた。
「よかった……シグレが好きって言われたら、いろんな意味でどうしようかと……」
「あら、なにかあったの?」
「まあ、うん……ひとつは、これ」
ミズハは手にした小さな木の箱を、百代の方へ差し出してきた。
「なに、これ?」
「開けてみて」
促されるままに木箱の蓋を開けると、中にはかんざしが入っていた。先の部分には白い小さな花の飾りと、紅の玉があしらわれている。柄の部分は金属製で、先端は鋭利に尖っていた。
「これって……?」
箱を持ったままうろたえてしまう。ミズハは照れたように微笑んでいる。
「その、百代に買ってきたんだ。今まで助けてくれたお礼と、これからよろしくって意味で。さっきはこれを取りに行ってたんだよ。髪も伸びたし……会議で使えればと思って」
「そ、そうなの……?」
かんざしを女性に渡す意味。それをミズハは知っているのだろうか。
けれどミズハは二百年間封印されていたし、その前も祝の巫女という人との婚姻関係に興味がないと言っていた。だからこのかんざしに、深い意味はないのだろう。きっと言葉の通り、感謝と挨拶をかねて、会議用の礼装に合わせて買っただけかもしれない。
だがかんざしの意味を知る百代は、平静ではいられなかった。緊張のような喜びのような、訳の分からない感情が心の奥から湧き上がってくる。
無言のままかんざしを見つめていると、ミズハは不安そうな目を向けてきた。
「気に入らない?」
「そ、そんなことないわ! 綺麗だし、先端が鋭いから、いざって時は武器になりそうで……」
混乱のあまり、訳の分からないことを口走ってしまった。
しかしミズハは笑顔で頷く。
「そうそう。さっきみたいに、変に絡まれたら使ってよ。危ないことに巻き込まれないのが一番だけど、百代ならうまく使いこなせる気がするし」
やはりミズハに他意はなさそうだ、と百代は幾分緊張が和らぐ。ほんの少しばかり残念な気持ちになったりもしたが、これ以上混乱したくなくて、自分の気持ちについて考えるのは止めにした。それに百代なら使いこなせると、自分のことを思って贈り物をしてくれたのは純粋に嬉しい。
「ありがとう、大事にするわね」
「ふふ、たくさん付けてくれたら嬉しいよ」
百代は蓋を閉じると、かんざしの木箱を胸に抱く。
今日はミズハの色んな面を知れた気がした。不意打ちでかんざしを贈ってきたこともだが、櫻子との争いで周囲を圧倒する威圧感を出したこと。そして、クレヒサにとても敬われていたこと。すべて社の日常の中では、見ることができない一面だった。
百代はふと、ミズハに聞こうとしていたことを思い出す。
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