敵将を捕虜にしたら夫になって、気づけば家族までできていました

蜂蜜あやね

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戦いの終わりを告げる風が吹いていた。
 陽が傾くたびに赤く染まる戦場は、まるでまだ血を求めているかのように、熱と煙を吐き続けている。
 その只中を、深紅の外套をまとった女将軍イサナがゆっくりと歩いた。
 視線の先には、青い軍衣を裂かれながらもなお立とうとする男がいる。
 肩に矢傷、腹部に深手。
 それでも部下たちの方へ体を向け、最後まで庇うように剣を掲げていた。
 ――敵国の将、ソウガ。
 戦場で“青狼”と呼ばれる策士。
 幾度も対峙し、ときには策を読み合い、ときには刃の交差だけで意思を通わせた男である。
(また、お前か……)
 イサナは胸の奥に広がる熱を押さえつけるように息を吐いた。
 単なる敵ではない。
 憎しみより先に、「倒しがたい強者」への敬意が湧く、戦場で唯一と言っていい理解者だった。
 だが今、その青狼は部下を逃がすためにひとり残り、撤退の時間を稼いでいる。
「退け! 俺が囮になる!」
「将軍、しかし――!」
「命令だ。走れ!」
 敵の包囲が迫る中、彼の声は強く迷いがなかった。
 部下たちは泣きながら走り、ソウガはただ一人背を守るように剣を振るう。
 やがて兵の影が遠ざかる頃には、彼はもう動けないほど傷を負っていた。
 イサナが駆け寄るより先に、味方の兵が彼を取り囲み縄をかける。
「捕らえました、将軍!」
 ソウガは抵抗するでもなく、静かに剣を落とした。
 諦めでも恐怖でもない、不思議な受け入れ方だった。
「殺すなら早くしろ……」
 後ろ手に縛られ、跪いたまま吐き出すその声音には、部下を逃した達成感だけが宿っていた。
 満足げで、どこか解放されたようですらある。
 イサナはその男を、上から見下ろした。
 何度も剣を打ち合った相手。
 戦場では男女の区別も、敵味方の情もない。
 ただ剣士として互いの技量で語り合ってきた。
 戦で顔を合わせる度に、イサナは彼に一騎討ちを挑んだ。
 まるで剣の稽古を楽しむかのように。
 ソウガの剣は真っ直ぐで、ぶつかる度に心地よかった。
(この時間がずっと続けばいい、なんて……思っていたのに)
 その男が今、「殺せ」と言っている。
 イサナの胸が大きく揺れた。
(殺す? この男を……?)
 本来であれば、殺すに値する敵国の将。
 だがどうしても、刃を向けることができなかった。
 イサナは、答えを先延ばしにするように言った。
「殺さないわよ。あなたがどうなるかは……会議で決まるわ」
 言いながら、自分でも分かっていた。
 ――処刑だけは選べない、と。

 その夜、野営地に設けられた軍議の間へ、鎖につながれたソウガが連れてこられた。
 幕舎の中は将校たちの怒声で満ちていた。
「こいつは敵国の英雄だぞ! 生かしておけば再び脅威となる!」
「この場で処刑するべきだ!」
「情けをかければ国が滅びる!」
 老練の武人から若い士官まで、声の勢いは増すばかり。
 だがイサナは黙し、昼間の光景だけを思い返していた。
 ――死地へ飛び込み、部下を逃がした背中。
 ――あの静かな横顔。
(……どうして、こんな男を処刑などできる?)
 胸奥から湧いたざわめきは、喉へとせり上がり、
 気づけば口をついていた。
「――こいつのことなら分かる」
 放たれた言葉に、幕舎の空気が凍りついた。
 ざわつきが止まり、すべての視線がイサナへ向く。
「処刑するよりも生かす価値がある男だ。
 懐柔し……我が軍の将にした方がいい」
 一瞬、誰も息をしていなかった。
 そして次の瞬間――
「正気か!?」
「敵将を将にだと!? 裏切られたらどうする!」
「例え将軍の命令でも納得できん!」
 怒号が爆ぜるように広がった。
 先ほどより激しい反発だ。
(……しまった。軽率だったか)
 この男を死なせる選択肢だけは避けたかった。
 ただそれだけなのに、場はどんどん悪化していく。
 どう収拾を――そう考えた、その瞬間だった。
「なら!」
 自分でも驚くほど大きな声が出た。
「なら、私が夫にする!」
 幕舎がしんと静まり返る。
 ろうそくの炎が揺れ、その音が聞こえそうなほどだった。
「私がこいつを縛れば……誰も、文句はないだろう……!私はこの戦の功労者だ!誰か文句はあるか?」
 吐いた瞬間、イサナの顔から血の気が引いた。
(――言った。なんで私……!!)
 将校たちすら口を閉ざす“爆弾”だった。
 静寂の中、鎖につながれたままのソウガだけが、
 かすかに目を見開き、そして……困ったように、しかしどこか穏やかに微笑んだ。

軍議の間の奥から、楽しげに笑う男の声がした。
その声を聞いた瞬間、家臣たちは一斉に姿勢を正し、深々と頭を下げる。
ただ一人――イサナだけは違った。
その声の主を、真正面から見据える。
深く玉座に腰掛けた男は、背筋をまっすぐに伸ばし、
肩へさらりと流れる金の長髪と、深紅の瞳を愉快そうに細めていた。
形の良い唇は、笑みを湛えている。
歳はイサナより少し上――二十代後半。
「陛下……」
イサナは小さく呟く。
ロウファン国皇帝――エンジュ。
幼い頃から彼女を見守ってきた幼馴染でもある。
エンジュは、低くよく通る声でイサナへ告げた。
「その捕虜――ザンザの将軍を、お前の“夫”にすると言ったな。
 二言は……ないな? イサナ」
確認というより、覚悟を問う声音。
イサナは真っ直ぐ頷いた。
エンジュは満足げに口角を上げる。
「私は構わぬ。いや――お前がその男を“夫”にするというのなら、むしろ大歓迎だ。」
軍議の間がざわめき立つ。
敵国の将を夫に?
前代未聞だ。
家臣たちは互いに顔を見合わせ、ざわざわと反対の声を上げる。
「しかし陛下!」「敵将を夫など――」「示しがつきませぬ!」
その中の一人、エンジュの側近が一歩前へ出て、慎重に口を開く。
「陛下……。
 いくらイサナ殿と幼き頃より親しい仲であられようとも、
 この判断は……いささか……」
その言葉を断ち切るように、エンジュは手を上げた。
赤い瞳が静かに細められる。
「示しがつかぬ?」
静かな声だが、強い。
「イサナはこの戦の最大の功労者だ。
 その判断を否定するというのなら……
 私の判断も否定するということか?」
軍議の空気が凍った。
家臣たちは一斉に沈黙し、誰も反論できなくなる。
エンジュはゆっくりと立ち上がり、軍議の中央へ歩む。
「よく聞け。
 私は、イサナが選んだ男との婚姻を“認める”。」
そして、柔らかく――しかし強く告げた。
「……ただし一つ、条件がある」
イサナの眉がわずかに動く。
エンジュはその反応にうっすら笑みを浮かべた。
「イサナが結婚する以上――子を成せ。
 アマツキの血を絶やすな。
 それが条件だ。」
イサナの胸がわずかに震える。
だが否定はしない。
エンジュは幼馴染の顔で、低く続けた。
「……お前の家は代々、この国を支えてきた。
 お前の代で終わらせるには惜しい。
 皇帝としても……幼馴染としても、な」
赤い瞳が一瞬柔らかく揺れる。
「……あの広い屋敷に、いつまでもお前一人というのは……見ていて気分が良くない」
イサナは言葉を失う。
エンジュはソウガに視線を向ける。
「ザンザの将、ソウガよ。
 イサナの“夫”として生きる覚悟はあるか?」
ソウガはわずかに頭を垂れた。
「……俺に残された道は一つだけだ。
 イサナ将軍が望むのなら……逆らわない」
淡々とした声。
だが静かな諦念と、どこか温かいものがまざる。
エンジュは頷き、軍議に向かって宣言する。
「ならばここに裁可する。
 イサナとソウガの婚姻を――正式に認める!」
こうして、
二人の奇妙な、けれど確かに始まってしまった夫婦生活が幕を開けた。



軍議の間に残っているのは、もう二人だけだった。
ざわめいていた家臣たちは引き、扉が閉まった途端に室内はしんと静まり返る。
「……イサナ、少し待て」
低く名前を呼ばれ、イサナは足を止めた。
振り返ると、玉座から降りたエンジュがゆっくりと歩み寄ってくる。
皇帝らしい威厳を纏いつつも、どこか昔のままの気安さが滲む表情だった。
「まさかお前が、敵国の将を“夫”にするなどと言うとはな」
「……自分でも驚いています」
素直な答えに、エンジュはふっと笑った。
まるで兄が妹を見るような、そんな懐かしい笑い方だ。
「だろうな。お前は真面目そうに見えて、こういう時やけに短絡的なところがあるからな」
「……私の分析はやめてください」
むくれたように返すと、エンジュは肩をすくめる。
「いや、事実だろう?
 昔から“思い立ったら一直線”だった。
 子供の頃のことを思い出すよ」
イサナは黙るしかなかった。
エンジュは少し真顔になり、イサナの正面に立つ。
「私はな、皇帝として……アマツキ家の血を絶やしたくないんだ」
イサナの胸が、ほんの少しだけ痛んだ。
続く言葉は静かだったが、その奥に温度があった。
「お前は両親を亡くしてから、一人娘なのに……
 “結婚しない、子は産まない”と言い張っていた」
「……」
「その気持ちは分かる。
 お前は強すぎるんだよ。誰にも頼らずに立ててしまうから、
 より一層、一人でいようとする」
エンジュの赤い瞳が穏やかに細められる。
「だがアマツキは、ロウファンを支える右腕だった家だ。代々、皇帝の背中を守ってきた重臣を輩出してきた。その血の優秀さは他に代えがたい」
イサナは視線をそらした。
誇りでもあり、負担でもあった。
エンジュは続ける。
「お前がその気がないなら……
 本気で、家がここで終わる覚悟をしていたよ」
言いながら、エンジュは小さく息をついた。
「だが――
 捕虜の将を“夫にする”と言い出したのだからな。
 こちらとしては願ってもない話だ」
「……子を成せ、とは……そういう意味でしたか」
エンジュはにやりと笑い、そのままの仕草でイサナの肩に軽く手を置いた。
「打算的だと、思うか?」
イサナは何も言えない。
エンジュは皇帝の顔に戻り、しかし言葉は誰よりも優しかった。
「皇帝としては……アマツキの血を守りたい。それは本音だ。ただし…………」
そして、さらに声を落とす。
「――幼馴染としては、どんな形であれ
 “家族”ができるお前を……嬉しく思っているよ。イサナ」
イサナは胸にじんと熱いものが広がるのを感じた。
ソウガを選んだ理由を、まだ誰にも言わないまま。
ただ、静かにエンジュへ頭を下げた。
「……ありがとうございます。陛下」
皇帝は満足げに頷き、
「さっさと帰れ。夫がお前を待っている」
と、いつもの茶化すような声音に戻った。
イサナは思わず顔を赤くし、そのまま軍議の間を後にした。
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