15 / 26
第三章 赤黒き指輪
深淵からの接触
しおりを挟む
2026年8月30日。7時48分。
新宿ワシントンホテル1203号室。
――目が覚めた。どうやら長いこと眠っていたらしい。僅かだが、まだ昨夜のアルコールが残っている気がする。
頭がぼーっとする。なんだか長い夢を見ていたような気がするが、内容がさっぱり思い出せない。
真っ白な空間の中で、誰かと話していたような気がする。だが、それが誰なのか、何の話をしていたのかはさっぱりだ。
ふと部屋の時計を見ると、既に07時50分を過ぎている。まずい。完全に遅刻だ。配属三日目にして遅刻するなど、室長に何を言われるか分からない。もっとも定時があるわけでもなく、いつ出勤しようと構わないのだが、流石に正当な理由無く『寝過ごしました』ではまずすぎる。只でさえ、昨日の夜に哲也と会食だったのは皆が知っている。変な誤解は与えたくない。
手ぐしで髪を整え……。
その時、違和感を感じた。何か感触がおかしい……。
「何これ……」
思わずそう呟いてしまう…… 私の右手の中指に、それは嵌まっていた。
赤黒い宝石が嵌められた指輪…… リングには奇妙な彫刻が彫られており、女性物の指輪にしては少し大きい。これはルビーだろうか? ただルビーの割には少し黒すぎるような気もする……。
そしてそれは、とても不気味な光を放っているようにも感じる…… とても禍々しい。そんな気がする……。
『――どんな願い事も叶えてくれる夢見の魔女という都市伝説があるんです。女性の夢の中に現れて、願い事が叶う魔法のアクセサリーを授けてくれる。14日以内に願い事をすると、何でも願いが叶う……と言われています。ただひとつ、気をつけないといけない事があって――』
思い出す、北條さんの言葉。
□被害者は必ず見晴らしの良いビルの屋上で完全に白骨化している。
□被害者全員が女性である。
□年齢は15歳以上から20代に限られている。
当てはまっている…… まだ白骨化はしていないが、女性であること。そして年齢も……。
何故だ……? 願い事を叶えてくれる魔法のアクセサリー…… 何故私に……?
『哲也…… 神蔵の空白の一年間。何があったのか私は知りたい。それが分からない限り、彼は救われない気がするの。――あなたの力を貸してほしい』
……まさか、この言葉が…… 呼び寄せてしまったのか……?
――取れない。どんなに強く引っ張っても、指輪を捻っても取れる気がしない…… まるで体の一部を侵食するように、がっちりと指輪が皮膚に喰い込んでいる……。
流石にこの指輪は、目立ちすぎる。この事を正直に話したら、私はどうなるだろう……?
第三者的視点からすると、私はこの時点でAWから接触を受けていることになる。つまりは、この事件の解決への大きな突破口の可能性を秘めていることになる。
ただ、あくまでそれは常識的な観点で物を言えば……だ。
『身の丈に合わない願い事をすると、その代償として魂を奪われてしまう……と、言われています……』
白骨化した人々は、身の丈に合わない願い事をして殺された…… とすれば、身の丈に合う願い事なら、命は助かると言うことになる。
神蔵の過去に何があったのか…… この答えが、私の身の丈に合った願い事だとしたなら…… 哲也をこれ以上巻き込むことも無くなる。
だが――それが身の丈に合わない願い事だとしたら……?
分からない…… どうしたらいい? このまま2週間、願い事を唱えなければ指輪が消失し、わたしは解放されるのだろうか?
『光の女神アルサードよ。邪を払い清め、正しき道へ誘い給え。邪を払い清め、正しき道へ誘い給え。光あれこの者へ。光あれこの者へ。正しき道へ誘い給え』
『アルサード教会に伝わる、清めの祈りです。何か暖かな変化を感じ取られたのでしたら、それは良いことだと思いますよ』
北條さんの言葉を次々に思い出す…… まさか彼女は、わたしにAWが迫ってきている事を察知していたのか?それで清めのおまじないをかけた?
考える…… 背中に寒気が走っている…… わたしはこの後、どういう行動を取るのが正解なのか……?
とりあえず…… 正直に話すしかない。とも思ったが……。
そもそもこの指輪は、他人から識別出来るものなのだろうか……?
今までの情報を精査してみる。夢見の魔女は、願いが叶う魔法のアクセサリーを授けてくれる。だが、それがネックレス、もしくはイヤリングなのか、それとも指輪なのかは単語としては一切出てきていない。
……このことから考えると、他者からは見えない。認識できていない可能性が高い。
時間が刻一刻と過ぎている。私はグランドベースへと急いで出発した。
2026年8月30日。9時34分。
UCIA日本支部捜査基地グラウンドベース。オペレーションルーム。
「遅いわよ姫宮」
オペレーションルームに入るなり、室長からの一言。確かに時刻はもうすぐ10時。今回のことは非常に反省したい。
「申し訳ありません。以後気をつけます」
椅子に座り、テーブルの上で両手を組む。この禍々しい指輪が見えているなら、ここで何かしらの反応があるはずだ。
「それでは、ミーティングを始める――」
室長が今までの調査内容を話し始める。室長、神蔵、葉山、そしてクリスもいつも通りだ。つまりこの指輪は見えていない。そう断言できる。
「姫宮、透鴇からデータを預かったはずよ。出してもらえるかしら?」
「今出します」
哲也から預かったデータ。朝ホテルから出る前に確認すると、鞄の中にメモと一緒にUSBメモリが入っていた。メモリを右手でクリスに手渡し、データを出してもらう。指輪が見えているなら、間違いなくここで気づくはずだ。だが全くその様子がない。
「ほう。これが例の6人ね」
聞き込みを行った北條さんを初め、哲也からきいた霧峰結衣花、あとの4人は皆女学院の生徒のようだ。フルートを吹いていたあの女学生の顔もある。
「松雪彩奈、黒川千里、黒川千鶴、橘蒼依、この4人が女学院組か。松雪が一年生、黒川は双子で三年生。橘が四年生か……」
興味深そうに神蔵がデータを見つめる。
「橘蒼依は、聞き込みの帰りに偶然会いました。フルートの上手な物静かな子でしたね」
「橘のASSP実施者というのは?」
橘のデータにそのような表記がある。私も気になった。
「アルサードスペシャルサポートプログラムの略です。貧しい家に生まれた性同一性障害(性別違和・性別不合)の入学生に対して、独自の診断基準を満たしたものだけに適用されるプログラムです。ASSPの診断基準はもの凄く厳しい事で有名ですけど、適用されれば性別適合手術が無料で受けられ、その後も教会から精神面と肉体面で良質なサポートが受けられます。ちなみにこれは男性から女性になるMTF(Male To Female)だけの制度ですね」
「……違和感が全くなかったな。立ち振る舞いからして」
「まあASSPが適用される人ってほんとに極僅かなんですけど、適用されれば声帯から骨格調整、顔の女性化整形まで全てやってくれますからね。ある意味普通の女子より綺麗になる可能性が高いんで、ASSP実施者と分かると周りからの嫉妬も結構酷いらしいです。ASSP実施者は、教会へのインターンが義務づけられているので発覚しやすいみたいですね……」
改めて思い返すが、何処かしら音色が悲しい感じを受けたのは、彼女の色々な苦悩が現れていたのかもしれない……。
「松雪彩奈…… 高等学部では成績は常に上位。スポーツもこなせて、部活は教会剣術……? そんなものがあるのかい? なかなか物騒だねぇ」
と葉山。
「俺も噂くらいは聞いたことがある。アルサード教会剣術は、長めの剣を使う長剣術、短剣がメインの短剣術、そして聖杖術の3つがあるらしい。武術を通じて健全な心と強い精神を養うという事らしい」
「見た目は綺麗なお嬢さんだが、案外怖いのかもねぇ」
葉山が笑いながら言う。
「まあ各自それくらいにするとして―― この中には霧峰重工の令嬢、霧峰結衣花の姿もあるわ。世界的に有名な霧峰重工の令嬢、となると性的搾取の可能性はほぼ無くなると言っていい。この6人はアルサード女学院、そして高等学校の中から選ばれた何かしらのエリート。恐らく教会の中で重要な責務を負っている6人と私は見るわ」
「――同感だ」
室長と神蔵はそう判断したようだ。葉山、そしてクリスもうなずく。
「ちなみに北條さん、あと黒川姉妹、橘さんもだけど。他の二人と比べて運動能力はそう高く無いようですね。北條さんに関してはEマイナスの最低ランク…… もし、この6人がある能力で選抜されていると仮定すると、それは……」
私の直感が告げる。この6人は…… 一呼吸置いて言った。
「霊的感応力……でしょうか」
一瞬その場が静まりかえる。
「……間違いないだろう。他に共通する事と言えば学力の高さくらいだが、学力の高さだけで言えばまだ上はいる。俺も北條のあの異様なまでの神聖な雰囲気には正直驚いた。姫宮の推測は正しいと思う」
神蔵はそう言った。表情がいつもより険しいような気がする。
「で、結局どうするんだい? この6人からは恐らく情報は聞き出せないだろうし、面会も通らない。教会内部での被害者の情報は公安もまだ掴んでいないんだろう?」
葉山の言うとおり、現時点では突破口が見当たらない。唯一の可能性はクリスだが――。
「――情報攻勢の件はどうなっている?許可は下りたのか?」
「上に掛け合ってるけど、すぐには難しいわ……」
室長が首を振る。やはりそう簡単にはいかないらしい。
となると、どうする……? この右手の禍々しい指輪について話すべきだろうか?
仮に願いを唱えると、どうなるのだろう? もし身の丈に合わない願いだとしたら……。
わたしは何処かのビルの屋上に飛ばされるのだろうか……?
今までの例で考えると、何処かのビルの上に飛ばされると考えた方が良い。いずれも一般女性や学生が簡単に入れる場所じゃない。施錠もされているし物理的に侵入は不可能なはずだ。
そうなると、私一人が孤立することになる……。
犯行現場の目撃情報も一切無い…… とするとその屋上は一時的に別次元ということもあり得る…… 常識を考えなければ、一番筋が通っている……。
「姫宮」
神蔵が私を見つめ声をかける。いけない。考えに没頭してしまっていた……。
「……どうかしたのか?」
「いや、なんでもない。ごめんなさい、昨日のアルコールが抜けてないのかな……」
苦笑いで取り繕う。まずい、神蔵には様子がおかしいことを察知されたかもしれない……。
その時、室内にビープ音が鳴った。
〈電子捜査にて不審者を検知しました。繰り返します。電子捜査にて不審者を検知しました。該当データを表示します〉
「さすがVARIS! でかしたー!」
途端にクリスが上機嫌になる。
「VARISに事件現場周辺の監視カメラデータを電子捜査させてたんです!」
クリスが素早く端末を操作すると、ある街灯に仕込まれた監視カメラらしき画像が大型モニターに映し出された。
「誰だ…… この女性は」
人混みの中、何処かの方向を見つめたまま、立ち止まっている女性の姿が捉えられている。
「動画データもありますね」
クリスがデータを再生する。人混みの中で突然立ち止まったかと思うと、何処かを不穏な表情で見つめている。時間にしては8秒ほどだろうか。
「で、VARISが弾きだした視線の先が、ここです」
大型モニターにその女性の視線の先にある地点がマップに表示された。
「品川エリアB-13A2。恐らくこの女性はこのビルの屋上を見つめていたのでは無いかと思われます」
「さすがクリス! 困ったときのクリス様々だ!」
はしゃぎ出すクリスと葉山。
「二人とも落ち着きなさい。犯人を捕まえたわけじゃ無いのよ。この女性の身元は割り出せる?」
「透鴇さんから警察庁のデータベースへアクセスが許可されたので、今後は身元の特定が簡単になりますし、日本全国の監視カメラ映像も参照できます」
〈身元が判明しました。朝霧真由。年齢25際、女性。アンティークショップ”プリンセスメーカー”でアルバイトとして勤務。犯罪歴なし〉
「VARISありがとー。うんうん、上手くシステムは動きだしたみたい」
クリスはニコニコと笑い端末を操作している。
「警察庁とのデータリンクが可能になったことで、VARISの捜査支援機能がやっと使えるようになりました。日本のNシステム(自動車ナンバー検知システム)とも連携しています。今後は自発的に捜査への提言も行ってくれるようになりますよー」
「おお、これで大分捜査が捗るんじゃ無いかな。クリスは流石だ」
持ち上げる葉山。
「ありがとう、クリス。すごく助かる」
「いえいえー。麻美が透鴇さんにぞっこんされてるおかげだよー。アクセス許可が出たの今日の朝だったからねー」
ウインクし、そう言うクリス。特に何も無かった…… のだが、それを信じてはくれないだろう……。
「とりあえず、神蔵と姫宮で朝霧への聞き込みをお願い。恐らく何か重要なことを知っているような気がするわ。ただし相手は民間人、手荒な真似はしないようにね」
そして私と神蔵は、朝霧の勤務先であるアンティークショップへと向かった。
新宿ワシントンホテル1203号室。
――目が覚めた。どうやら長いこと眠っていたらしい。僅かだが、まだ昨夜のアルコールが残っている気がする。
頭がぼーっとする。なんだか長い夢を見ていたような気がするが、内容がさっぱり思い出せない。
真っ白な空間の中で、誰かと話していたような気がする。だが、それが誰なのか、何の話をしていたのかはさっぱりだ。
ふと部屋の時計を見ると、既に07時50分を過ぎている。まずい。完全に遅刻だ。配属三日目にして遅刻するなど、室長に何を言われるか分からない。もっとも定時があるわけでもなく、いつ出勤しようと構わないのだが、流石に正当な理由無く『寝過ごしました』ではまずすぎる。只でさえ、昨日の夜に哲也と会食だったのは皆が知っている。変な誤解は与えたくない。
手ぐしで髪を整え……。
その時、違和感を感じた。何か感触がおかしい……。
「何これ……」
思わずそう呟いてしまう…… 私の右手の中指に、それは嵌まっていた。
赤黒い宝石が嵌められた指輪…… リングには奇妙な彫刻が彫られており、女性物の指輪にしては少し大きい。これはルビーだろうか? ただルビーの割には少し黒すぎるような気もする……。
そしてそれは、とても不気味な光を放っているようにも感じる…… とても禍々しい。そんな気がする……。
『――どんな願い事も叶えてくれる夢見の魔女という都市伝説があるんです。女性の夢の中に現れて、願い事が叶う魔法のアクセサリーを授けてくれる。14日以内に願い事をすると、何でも願いが叶う……と言われています。ただひとつ、気をつけないといけない事があって――』
思い出す、北條さんの言葉。
□被害者は必ず見晴らしの良いビルの屋上で完全に白骨化している。
□被害者全員が女性である。
□年齢は15歳以上から20代に限られている。
当てはまっている…… まだ白骨化はしていないが、女性であること。そして年齢も……。
何故だ……? 願い事を叶えてくれる魔法のアクセサリー…… 何故私に……?
『哲也…… 神蔵の空白の一年間。何があったのか私は知りたい。それが分からない限り、彼は救われない気がするの。――あなたの力を貸してほしい』
……まさか、この言葉が…… 呼び寄せてしまったのか……?
――取れない。どんなに強く引っ張っても、指輪を捻っても取れる気がしない…… まるで体の一部を侵食するように、がっちりと指輪が皮膚に喰い込んでいる……。
流石にこの指輪は、目立ちすぎる。この事を正直に話したら、私はどうなるだろう……?
第三者的視点からすると、私はこの時点でAWから接触を受けていることになる。つまりは、この事件の解決への大きな突破口の可能性を秘めていることになる。
ただ、あくまでそれは常識的な観点で物を言えば……だ。
『身の丈に合わない願い事をすると、その代償として魂を奪われてしまう……と、言われています……』
白骨化した人々は、身の丈に合わない願い事をして殺された…… とすれば、身の丈に合う願い事なら、命は助かると言うことになる。
神蔵の過去に何があったのか…… この答えが、私の身の丈に合った願い事だとしたなら…… 哲也をこれ以上巻き込むことも無くなる。
だが――それが身の丈に合わない願い事だとしたら……?
分からない…… どうしたらいい? このまま2週間、願い事を唱えなければ指輪が消失し、わたしは解放されるのだろうか?
『光の女神アルサードよ。邪を払い清め、正しき道へ誘い給え。邪を払い清め、正しき道へ誘い給え。光あれこの者へ。光あれこの者へ。正しき道へ誘い給え』
『アルサード教会に伝わる、清めの祈りです。何か暖かな変化を感じ取られたのでしたら、それは良いことだと思いますよ』
北條さんの言葉を次々に思い出す…… まさか彼女は、わたしにAWが迫ってきている事を察知していたのか?それで清めのおまじないをかけた?
考える…… 背中に寒気が走っている…… わたしはこの後、どういう行動を取るのが正解なのか……?
とりあえず…… 正直に話すしかない。とも思ったが……。
そもそもこの指輪は、他人から識別出来るものなのだろうか……?
今までの情報を精査してみる。夢見の魔女は、願いが叶う魔法のアクセサリーを授けてくれる。だが、それがネックレス、もしくはイヤリングなのか、それとも指輪なのかは単語としては一切出てきていない。
……このことから考えると、他者からは見えない。認識できていない可能性が高い。
時間が刻一刻と過ぎている。私はグランドベースへと急いで出発した。
2026年8月30日。9時34分。
UCIA日本支部捜査基地グラウンドベース。オペレーションルーム。
「遅いわよ姫宮」
オペレーションルームに入るなり、室長からの一言。確かに時刻はもうすぐ10時。今回のことは非常に反省したい。
「申し訳ありません。以後気をつけます」
椅子に座り、テーブルの上で両手を組む。この禍々しい指輪が見えているなら、ここで何かしらの反応があるはずだ。
「それでは、ミーティングを始める――」
室長が今までの調査内容を話し始める。室長、神蔵、葉山、そしてクリスもいつも通りだ。つまりこの指輪は見えていない。そう断言できる。
「姫宮、透鴇からデータを預かったはずよ。出してもらえるかしら?」
「今出します」
哲也から預かったデータ。朝ホテルから出る前に確認すると、鞄の中にメモと一緒にUSBメモリが入っていた。メモリを右手でクリスに手渡し、データを出してもらう。指輪が見えているなら、間違いなくここで気づくはずだ。だが全くその様子がない。
「ほう。これが例の6人ね」
聞き込みを行った北條さんを初め、哲也からきいた霧峰結衣花、あとの4人は皆女学院の生徒のようだ。フルートを吹いていたあの女学生の顔もある。
「松雪彩奈、黒川千里、黒川千鶴、橘蒼依、この4人が女学院組か。松雪が一年生、黒川は双子で三年生。橘が四年生か……」
興味深そうに神蔵がデータを見つめる。
「橘蒼依は、聞き込みの帰りに偶然会いました。フルートの上手な物静かな子でしたね」
「橘のASSP実施者というのは?」
橘のデータにそのような表記がある。私も気になった。
「アルサードスペシャルサポートプログラムの略です。貧しい家に生まれた性同一性障害(性別違和・性別不合)の入学生に対して、独自の診断基準を満たしたものだけに適用されるプログラムです。ASSPの診断基準はもの凄く厳しい事で有名ですけど、適用されれば性別適合手術が無料で受けられ、その後も教会から精神面と肉体面で良質なサポートが受けられます。ちなみにこれは男性から女性になるMTF(Male To Female)だけの制度ですね」
「……違和感が全くなかったな。立ち振る舞いからして」
「まあASSPが適用される人ってほんとに極僅かなんですけど、適用されれば声帯から骨格調整、顔の女性化整形まで全てやってくれますからね。ある意味普通の女子より綺麗になる可能性が高いんで、ASSP実施者と分かると周りからの嫉妬も結構酷いらしいです。ASSP実施者は、教会へのインターンが義務づけられているので発覚しやすいみたいですね……」
改めて思い返すが、何処かしら音色が悲しい感じを受けたのは、彼女の色々な苦悩が現れていたのかもしれない……。
「松雪彩奈…… 高等学部では成績は常に上位。スポーツもこなせて、部活は教会剣術……? そんなものがあるのかい? なかなか物騒だねぇ」
と葉山。
「俺も噂くらいは聞いたことがある。アルサード教会剣術は、長めの剣を使う長剣術、短剣がメインの短剣術、そして聖杖術の3つがあるらしい。武術を通じて健全な心と強い精神を養うという事らしい」
「見た目は綺麗なお嬢さんだが、案外怖いのかもねぇ」
葉山が笑いながら言う。
「まあ各自それくらいにするとして―― この中には霧峰重工の令嬢、霧峰結衣花の姿もあるわ。世界的に有名な霧峰重工の令嬢、となると性的搾取の可能性はほぼ無くなると言っていい。この6人はアルサード女学院、そして高等学校の中から選ばれた何かしらのエリート。恐らく教会の中で重要な責務を負っている6人と私は見るわ」
「――同感だ」
室長と神蔵はそう判断したようだ。葉山、そしてクリスもうなずく。
「ちなみに北條さん、あと黒川姉妹、橘さんもだけど。他の二人と比べて運動能力はそう高く無いようですね。北條さんに関してはEマイナスの最低ランク…… もし、この6人がある能力で選抜されていると仮定すると、それは……」
私の直感が告げる。この6人は…… 一呼吸置いて言った。
「霊的感応力……でしょうか」
一瞬その場が静まりかえる。
「……間違いないだろう。他に共通する事と言えば学力の高さくらいだが、学力の高さだけで言えばまだ上はいる。俺も北條のあの異様なまでの神聖な雰囲気には正直驚いた。姫宮の推測は正しいと思う」
神蔵はそう言った。表情がいつもより険しいような気がする。
「で、結局どうするんだい? この6人からは恐らく情報は聞き出せないだろうし、面会も通らない。教会内部での被害者の情報は公安もまだ掴んでいないんだろう?」
葉山の言うとおり、現時点では突破口が見当たらない。唯一の可能性はクリスだが――。
「――情報攻勢の件はどうなっている?許可は下りたのか?」
「上に掛け合ってるけど、すぐには難しいわ……」
室長が首を振る。やはりそう簡単にはいかないらしい。
となると、どうする……? この右手の禍々しい指輪について話すべきだろうか?
仮に願いを唱えると、どうなるのだろう? もし身の丈に合わない願いだとしたら……。
わたしは何処かのビルの屋上に飛ばされるのだろうか……?
今までの例で考えると、何処かのビルの上に飛ばされると考えた方が良い。いずれも一般女性や学生が簡単に入れる場所じゃない。施錠もされているし物理的に侵入は不可能なはずだ。
そうなると、私一人が孤立することになる……。
犯行現場の目撃情報も一切無い…… とするとその屋上は一時的に別次元ということもあり得る…… 常識を考えなければ、一番筋が通っている……。
「姫宮」
神蔵が私を見つめ声をかける。いけない。考えに没頭してしまっていた……。
「……どうかしたのか?」
「いや、なんでもない。ごめんなさい、昨日のアルコールが抜けてないのかな……」
苦笑いで取り繕う。まずい、神蔵には様子がおかしいことを察知されたかもしれない……。
その時、室内にビープ音が鳴った。
〈電子捜査にて不審者を検知しました。繰り返します。電子捜査にて不審者を検知しました。該当データを表示します〉
「さすがVARIS! でかしたー!」
途端にクリスが上機嫌になる。
「VARISに事件現場周辺の監視カメラデータを電子捜査させてたんです!」
クリスが素早く端末を操作すると、ある街灯に仕込まれた監視カメラらしき画像が大型モニターに映し出された。
「誰だ…… この女性は」
人混みの中、何処かの方向を見つめたまま、立ち止まっている女性の姿が捉えられている。
「動画データもありますね」
クリスがデータを再生する。人混みの中で突然立ち止まったかと思うと、何処かを不穏な表情で見つめている。時間にしては8秒ほどだろうか。
「で、VARISが弾きだした視線の先が、ここです」
大型モニターにその女性の視線の先にある地点がマップに表示された。
「品川エリアB-13A2。恐らくこの女性はこのビルの屋上を見つめていたのでは無いかと思われます」
「さすがクリス! 困ったときのクリス様々だ!」
はしゃぎ出すクリスと葉山。
「二人とも落ち着きなさい。犯人を捕まえたわけじゃ無いのよ。この女性の身元は割り出せる?」
「透鴇さんから警察庁のデータベースへアクセスが許可されたので、今後は身元の特定が簡単になりますし、日本全国の監視カメラ映像も参照できます」
〈身元が判明しました。朝霧真由。年齢25際、女性。アンティークショップ”プリンセスメーカー”でアルバイトとして勤務。犯罪歴なし〉
「VARISありがとー。うんうん、上手くシステムは動きだしたみたい」
クリスはニコニコと笑い端末を操作している。
「警察庁とのデータリンクが可能になったことで、VARISの捜査支援機能がやっと使えるようになりました。日本のNシステム(自動車ナンバー検知システム)とも連携しています。今後は自発的に捜査への提言も行ってくれるようになりますよー」
「おお、これで大分捜査が捗るんじゃ無いかな。クリスは流石だ」
持ち上げる葉山。
「ありがとう、クリス。すごく助かる」
「いえいえー。麻美が透鴇さんにぞっこんされてるおかげだよー。アクセス許可が出たの今日の朝だったからねー」
ウインクし、そう言うクリス。特に何も無かった…… のだが、それを信じてはくれないだろう……。
「とりあえず、神蔵と姫宮で朝霧への聞き込みをお願い。恐らく何か重要なことを知っているような気がするわ。ただし相手は民間人、手荒な真似はしないようにね」
そして私と神蔵は、朝霧の勤務先であるアンティークショップへと向かった。
0
あなたにおすすめの小説
完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。
音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。
だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。
そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。
そこには匿われていた美少年が棲んでいて……
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―
Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる