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第二章 茅の輪くぐりで邪気払い

千景の力③

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 夏休みがじきに終わろうとしている。そのことは中2の千景にはひどく憂鬱だった。バレー部の練習は、大会が終わってからしばらく無い。そもそもそれほど強くない上に、皆が夏期講習に行くと人数が集まらず、練習にならないのであった。
「はぁ……せめて家の修行でも出来たらええのにな……」
 千景は縁側で、野良猫の相手をしながら力なく独り言をいう。陰陽師家系の跡取りに生まれたのに、能力がない。それは努力でどうにかできるわけでなく、進路を考えなければならない千景には、悩みの種でもあった。
 いっそ資格をとり、神社とは関係のない仕事に就こうか。そう思い職業体験で行った地域の幼稚園では、子供ではなく先生から距離を置かれた。役所や、介護施設なども同じだった。「地元の名士の子供は、地元では雇いづらい」と担任から言われたが、そんな理由で遠方に就職するというのは中学生にはとても理不尽に思えた。結果として勉強にも身が入らず、2年の1学期の成績は散々だったが、そこで奮起するほどのモチベーションは、今の千景には無い。
「桃、うちどうしたらええと思う?」
 庭で小鳥と遊びながら浮遊している桃は「そんなすぐ決めなくて良いわよ」と、呑気に答える。1人になりたい、と千景は桃に言い、気晴らしに裏山へ散歩に行こうと歩き出したとき、まだ空は明るかったのだ。裏山といっても敷地内である。肩までの髪を一つに結い、Tシャツにキュロット、サンダルという軽装で、のんびりと千景は歩いていく。
 それが、山道へ入り、小川に出て、千景が泳ぐ魚に手を伸ばしたとき、一気に暗くなった。
「……うわぁ!」
 ゲリラ豪雨を避けようと岸辺から立ち上がった際、サンダルがずるっと滑り、中学生女子の体はあっけなく川へ落ちた。
 それほど深いわけでは無い、流れも早く無い。だが、川の中に何者かがいた。
「……皿?」
 咄嗟に手を伸ばした千景の手に、ぬめっとした何かが触れる。その皿の持ち主は千景の腕を掴み引きずり込もうとした。やばい!そう思った時、自分を取り巻く水ごと一気に持ち上げられ、そのまま勢いよく岸に打ち上げられる。うう……と唸り、体を起こした千景は、そこで1人の大学生を見た。河童と対峙する男性の顔を、千景は記憶から呼び起こす。
 (なんやったっけ……分家の……いっつもへらへらしとるヤツ……確か……)
「鈴木の……次男坊……」
 そう呟いて、千景はそのままぐたっと体を横たえた。

 それほど長い時間寝ていたわけではないが、どうやら河童とその人の戦いは決着がついたらしい。桃に名を呼ばれ顔をあげると、千景の目の前にはずぶ濡れの正嗣がいた。
「年上に向かって次男坊とは、さすが本家の跡取りやの」
 嫌味ではなく、正嗣は笑いながら千景に言った。
「まあ、確かに所詮次男坊やからな……河童相手によう手こずってもうた。最後は温情やな」
「河童?!」
 千景が振り向くと、女子っぽい長髪の河童が岸辺の岩に腰かけてニヤニヤと笑っている。
「久々に骨のあるヤツと思うたが、まだまだやな」
「ぬかせ」
「悔しかったらいつかわしを負かしてみぃ、鈴木の次男坊。ああ、確かマー坊とか呼ばれとったな」
 そう豪快に笑うのは、赤黒い肌に長髪、鋭い目元に裂けた口を持つ河童のネネコで、佐々木家の裏山にずっと住んでいると噂される河童一族の頭領である。


「え?なんかネネコ、キャラ違うんちゃう?」
 風悟がツッコミを入れたが、「まあ待て」と千景に制されてしまった。
 正嗣は話を続ける。


 ネネコは、久しぶりに川へ落ちた人間を見た。なんや娘やないか……もうちょっと骨のある……昔自分を負かした地主の息子のようなもんは、おらんのか……
 そう思いながら、ネネコは千景の腕を引く。戯れに溺れさせようか、遊びの相手をさせようか。川の近くへ人間が立ち入らなくなって久しく、同朋たちとだけ過ごす日々は退屈であった。そのとき、勢いよく水がうねった。何事か、とネネコが岸辺を見ると、若い男と、一つおさげを長く垂らした女の式神がいる。
 こっそりついて来た桃が異変を察知し、大急ぎで家に戻ると、遣いで来ていた正嗣がいたのだ。龍之介に頼まれた正嗣はそのまま式神を駆使して川へ行き、千景を救出したのであった。
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