──Cross Line × Residence──クロスラインレジデンス

りんりんぼーい

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1話

交差する運命の始まり

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こっちへ。

黒い影が、淡く滲むシルエットで手招きをしていた。性別も年齢もわからない。輪郭さえ曖昧で、不気味であるはずなのにその声だけは、なぜか懐かしい。
夢の中で、その声は今日も私に語りかける。
見上げれば、澄み渡った空はあり得ないほど鮮やかな紫色。異様な光景に目を奪われながらも、影と声はやがて遠ざかり、薄れて消えていく。
そして視界の先に浮かび上がる、一枚の白い扉。
気づけば私は、その扉へと歩み寄っていた。現実なら恐ろしくて一歩も進めないはずなのに、足は迷うことなく前へ進む。まるで誰かに背中を押されるかのように。
ノブへと伸ばした指先。触れた瞬間、扉が音もなく開いた。
吹き抜ける風が頬を撫で、耳を打つ。笑い声と泣き声が入り混じるような、不思議なざわめきがその奥から響いてくる。
そして、夢は途切れる。
目を覚まし、見慣れた天井を見上げたときには、細部はもう思い出せない。
ただ一つ、胸の奥に残る感覚だけが確かだった。
あの扉の向こうに、私の知らない何かがある。

結衣「なにこれ。なんの夢だったんだろ…。」

重たい瞼をこすりながら、置き時計に目をやった瞬間。

結衣「って、やばっ!遅刻じゃん!?」

針が示すのは午前七時四十五分。
目覚ましは七時にセットしていたはずだ。いや、確かに三回はスヌーズが鳴った。なのに、全部無視して寝てた自分を殴りたい。

結衣「最終テストの日に寝坊とか。ああもう、最悪!」

枕を蹴飛ばし、爆発した寝癖を振り乱しながら制服へ飛び込み、リビングへ駆け込む。
母と弟の瞬はすでに朝食を終えて、ソファでくつろぎモード。

結衣「も~、裏切り者!」

母「え、何が?」

結衣「なんで起こしてくれなかったの!」

母「起こそうとしたわよ。でも声してたから、起きてるのかと思ったの。」

結衣「それ絶対、夢でうなされてただけだから!」

マイペースな母とは、いつも息が合わない。今さら驚きもしない。
テーブルには、焼きすぎたトーストの香りと母のコーヒーの湯気。
ソファからは弟の冷めた視線が刺さる。
瞬「また寝坊?今日テストの日じゃなかったっけ?」
結衣「知ってるよ!いまそれ言われるの一番つらいんだけど!」
一夜漬け作戦は、開始早々から大失敗。バターを塗る余裕もなく、パンをちぎって口に押し込み、コーヒーを一気飲み。靴を突っかけるように履いて、ドアを蹴る勢いで飛び出した。

母「結衣ちゃん、大丈夫かしらね~。」

瞬「これで今年受験とか……思いやられるなぁ。」

母と弟の会話が、背後でやけにのんびりと聞こえる。

結衣(やっちゃったぁ!私のバカバカ!)

頭の中で自分を叱り飛ばしながら、駅へと全力疾走。遅刻なんてしたら、テストどころか内申まで終わる。そう思えば思うほど、足は必死に地面を蹴っていた。
校門が閉まりかけた、その刹那。

結衣「セーフっ!」

結衣はギリギリで滑り込み、見事なパフォーマンスを決めてみせた。

結衣「勝ったぁー!でも、まだ油断は禁物。」

肩で息をしながらも、気合いで学校の階段を駆け上がる。男子顔負けの二段飛ばし。漫画の一コマみたいに勢いよく教室の扉を開け放つ。
一瞬で教室中の視線が集まった。
結衣(やば、完全に注目の的じゃん。)
だが幸い、教師はまだ来ていない。

結衣「あっぶな~。」

ほっと胸を撫でおろしつつ、全速力で走ったことを悟られまいと、あえてゆっくり歩いて自分の席に向かう。

こより「結衣~、今日も寝坊でしょ?」

隣の席の春川こよりが、ニヤニヤしながら声をかけてくる。

結衣「いやいや、たまたま電車に乗り遅れただけだって。」

無意味な嘘をついて、額から流れ落ちる滝のような汗が全てを物語っていた。情けない。
やがてチャイムが鳴り、テスト開始。
結衣の脳内は必死に始動を試みるが。

結衣(脳、起きて!お願い、起きて!ダメ、思い出せない。脳が死んでる!)

眠気と焦りで頭は真っ白。
一夜漬けの本領発揮どころか、科目が進むにつれて失点街道を突っ走る結衣であった。
気がつけば、最終科目の終了五分前。
脳内にはTHE ENDのテロップが流れ、放心状態の私。もう、あとは察してくれ。
鳴り響くチャイムは、まるで鎮魂歌。
せっかく試験から解放されたというのに、後味は最悪だった。
そんな私の背中を、ポン、と叩く手。

こより「結衣~!もう終わったんだから、そんなに落ち込まないの!」

春川こよりが満面の笑みで言う。

こより「カラオケでも行ってパァーっとしよ!明後日から冬休みだし!」

結衣「こよりんはテストどうだったの?」

こより「テスト?んー、いつも通りかな。」

結衣「それって、ほぼ満点ってことじゃん!」

普段は明るく適当そうなのに、なぜか毎回テストは高得点。春川こよりは、見た目や態度に反して実は頭が良いのだ。

こより「まあまあ、悩んだって暗くなるだけだし、行こうよ~!」

結衣「そうだね。明日は冬休みだし…冬休み!?」

その響きに、少しだけ気力が戻る。

結衣「よーし!気持ち切り替えだ!こよりん、今日はとことん歌うよ!」

こより「さっすが結衣!話がわかる~!」

良くも悪くも空気を一瞬で明るく変えるのが、こよりんの凄いところ。そうして私たちは、テストの事なんて忘れたかのように、にぎやかに笑い合いながら帰路についた。
勢いのまま、駅前のカラオケ店へ。
扉を開けるや否や、二人は全力で熱唱を始めた。
カラオケもゲームもスポーツも、結衣の方が圧倒的に上手い。けれど、その分こよりのノリが絶妙で、二人のバランスは不思議ととれていた。

結衣「夜って最高!!」

こより「テンションMAXイェーイ!」

気づけば普通の歌合戦は芸人ネタ歌唱バトルに変わり、こよりも負けじと小節を効かせたネタ合唱で応戦。笑いすぎてお腹が痛い。
そんなこんなで、あっという間に五時間が経過していた。
こより「うわ、もうこんな時間じゃん!」

結衣「ほんとだ! やばっ、お母さんに怒られる!そろそろ出よう!」

現実に引き戻された二人は慌ててフロントへ連絡し、会計を済ませ、そそくさと店を後にする。

結衣「いや~、スッキリした!こよりん、誘ってくれてありがとう!」

こより「こっちこそ!ありがとね。休み中はショッピングでもしちゃう?」

結衣「いいねいいね!」

電車に乗ってからも、会話は一度も途切れない。
笑い合いながら、明日の予定まで語り合う。
やがて、結衣は一駅手前で下車した。

こより「結衣、またね~!連絡するから!」

結衣「あいよ~!おつー!」

こよりに手を振り返し、改札を抜ける。
外に出ると、そこは別世界。
さっきまでの都会の喧騒も、こよりと過ごした賑やかな時間も嘘みたいに遠ざかり、地元の通りは驚くほど静かだった。
その静寂に、胸の奥で何かがふっとざわめいた。
冬の夜は底冷えして、どこか物寂しい空気をまとっている。

結衣「このまま帰るのも、なんかもったいないな~あ、そうだ!」

結衣の脳裏に浮かんだのは、最近SNSで話題になっている老舗中華まん専門店のこと。
それがこの地元の商店街にあるのを思い出した。

結衣「家族に買っていってあげよっかな。かれこれ十年以上前に行った気がするけど味も忘れちゃったし。」

普段はあまり足を向けない方面。それでもこの夜に限っては、なぜかまっすぐ帰ろうという気になれなかった。迷うことなく、足が自然と商店街へ向かっていく。
駅から少し離れたその通りは、夜になると人影がまばらで、静けさが色濃い。

結衣「ここって夜来ると、こんな感じなんだ。」

外灯は確かに点いているのに、不思議と影が濃く、どこか薄暗く感じられる。

結衣(早くお店に寄って帰ろっと…。)

視線の先、コンビニの明かり。
だが、その入り口をふさぐように人相の悪い男たちが三人、たむろしていた。思わず歩調を速め、視線を逸らす。
結衣「あった!」

中華まん専門店を発見する。今ではテレビ番組でも紹介される、ちょっとした名物店だ。

店員「いらっしゃいませ~。」

店先に立つのは、年老いたおばあさん。
結衣は家族の人数分を慌ただしく注文し、中華まんを袋に詰めてもらうと、すぐに会計を済ませた。

店員「ありがとうございました~。」
手さげ袋を受け取り、礼を言う。

温かな湯気がビニール越しに伝わる。けれど、それ以上にこの寂れた夜の商店街を一刻も早く離れたいそんな気持ちの方が勝っていた。
来た道を戻りながら、結衣は足早に歩く。
商店街の半分はシャッターが下り、夜の静けさが漂っていた。
先ほど通過したコンビニも、遠くに見えてくる。ここもまっすぐ歩いていくしかない。
その時、コンビニの入口横からガシャッ!という大きな音。
思わず体が止まる。
前方には、さっき見かけた人相の悪い三人組。
ふざけ合いながら、駐車してある誰かの自転車を蹴飛ばしたり、壁にぶつかって倒れたりしている。
見た目からして普通の社会に馴染まない系統の人たちだ。

結衣(あ~恐いな。目つけられないようにしなきゃ、イヤだなぁ。)

結衣はそう心の中で呟いた。その瞬間。
三人組のうちの一人が、ふざけて蹴った空き缶に見事に滑り、バランスを崩して横のゴミ箱に頭から突っ込む。
ガシャッ、バサッ!
ゴミ箱は大爆発。紙くずや空き袋、ペットボトルが周囲に散乱し、頭にゴミを乗せた男は必死にもがく。
結衣は思わず吹き出した。

結衣「ぷっ!くくく!何あれ……あははは…。」

心の中で笑うはずが、つい声が漏れたのに気づいたのは一秒後だった。
やってしまった、悪いクセだ。
ツボが浅すぎる。

結衣(あんなの、反則じゃん……。)

しかもこの静かな夜、笑い声はしっかりと周囲に響いた。
一瞬、時が止まったかのように感じる。
その男は、仲間内で笑っていた顔から、スッと何かが乗り移ったように表情を変えた。

不良A「は?今、笑った?」

鋭い視線が一瞬で私を射抜く。

不良B「おいお前、今、俺らのことバカにしただろ?」

結衣「え、えっ!? ち、違う違うっ!え、いや、その、たまたま思い出し笑い、みたいな!」

不良C「笑ってたよなぁ?あぁ?」

三人がじりじりと距離を詰めてくる。
頭頂部から冷たい汗が伝い落ち、足元がふらつく。

結衣「わーっ!やばいって!なんでこうなるのー!!」

手にはまだ中華まんの袋。
それをぶら下げたまま、私は全速力で来た道を引き返した。
とにかく姿を隠したい一心で、思わず狭い路地に飛び込んでしまう。
運動神経は悪くない。けれど危機的状況になると、心拍数は普段の倍。
呼吸は乱れ、体は鉛のように重くなる。

結衣(私のバカバカ!なんでいつも判断ミスばっかりするのよー!)

振り返らなくても、不良たちの追う足音は確実に近づいてくる。
鼓膜を叩く靴音が、背中を押すようで逃げ足は止まらない。
しかし、路地の奥は、無情にも行き止まりだった。

結衣「嘘でしょ!」

足を止め、恐る恐る後ろを振り返る。
そこには三人の男たちが既に横一列に並び、不気味に笑みを浮かべながら近づいてくる姿があった。
だが笑っている口元とは裏腹に、目の奥には怒りの炎が揺らめいていた。

結衣(終わった私、冬休み突入前に事件に巻き込まれてエンド。短っ。)

不良A「わざわざ人目のねぇとこに逃げてくれてよ、助かるわぁ。なぁ、ガキ。」

他の二人もまた、鋭い目つきで全身を舐め回すように睨みつけてくる。
身体は硬直したまま、もう動けなかった。
抵抗したところで、相手は成人男性が三人。逃げ切れるはずもない。
不良たちは一歩、二歩と近づいてくる。呼吸が詰まり、思考が止まり、私はただ目をぎゅっと閉じて固まった。
その瞬間。

「そこ、通してもらえる?」

低く、冷静な声が背後から響いた。
不良たちはピタリと足を止め、一斉に振り向く。
そこに立っていたのは、黒のジャケットを羽織った少女だった。
高く結んだポニーテールが冬の冷たい風に揺れ、鋭い目つきは私よりも少し年上に見える。

不良A「あぁ?そこの嬢ちゃんも笑ってんのか? 女が一人来たところで同じだっつーの。」

不良B「バカだなぁ、このガキも。」

ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべる二人に対し、少女は一歩も引かない。
少女「あなた達、女の子一人を男三人で追い詰めて。何がしたいの?」
その声音は冷ややかで、まるで氷を思わせる。

不良C「何がしたいかなんて、すぐに分かるぜぇ?」

そう言い放つと、不良Cが右手を伸ばし、少女の肩を掴もうとした。
だが次の瞬間、その手は軽々と弾き返される。

不良C「な!?いってぇ!このガキャ!」

怒りに任せ、拳を振り上げる。だが少女はその軌道を鮮やかに見切り、
カウンターのように平手を叩き込んだ。
バチンッ!!
乾いた高音が夜の路地に響き渡る。
華奢な身体からは想像できない俊敏さと力強さ。
不良Cの身体は一瞬宙に浮き、そのまま仰向けに地面へと叩きつけられた。

結衣「えっ…。」

思わず声を漏らす。少女は振り返らず駆け寄り、強く手を掴む。

少女「ここから離れるよ。」

結衣「え!?あ、うん!」

不良Aが背後から飛びかかり、髪を掴もうとした。

不良A「てめぇええ!!」

しかし少女は気配を読み切っていた。
振り返りざまの裏拳が、正確に顔面を撃ち抜く。
バンッ!!
大きな衝撃音と共に、不良Aは鼻を押さえて崩れ落ち、鼻血がたらりと垂れた。

不良B「お、おい!大丈夫かよ!」

慌てて仲間に駆け寄る不良B。

少女「今!全速で!」

ぐっと手を引かれ、私は夢中で走り出す。
裏路地を駆け抜け、どうにか開けた通りへと出た。

結衣「やった、抜けられた!」

少女「まだ。もっと先、商店街の入り口まで走る!」

その言葉通り、スピードは落ちない。
必死に足を動かす私の後ろから、荒々しい叫び声が響く。

不良A「ぜってぇ逃さねぇ!!ボコボコにして売り飛ばしてやるからな、クソアマァ!!」

結衣「まだ、ついて来てる!!」

少女「もう大丈夫。」

商店街の入り口まで駆け抜けたところで、少女は突然立ち止まり、踵を返す。
視線の先には、鬼の形相で追ってくる三人組の影が迫っていた。

不良A「やっと追いついたぜ。ただじゃおかねぇからな!」

腕をポキポキと鳴らしながら、じりじりと間合いを詰めてくる。

不良B「終わったな、お前ら。」

不良C「女として生きていけなくしてやるぜ。」

ぞっとするような声色に、空気が重く張りつめる。
だが、少女は一歩も引かず、むしろ薄く笑って応じた。

少女「ほんっと、いい歳しておめでたい頭ね。」

凛とした声音、真っ直ぐな視線。挑発というより、呆れを込めたような口調。

不良A「あぁ? テメェ、俺らのこと舐めてんだろ?哀れんでやってんのは俺らの方だっつーの!!」

少女「舐めてなんかいない。ただ心底、恥ずかしいなって思う。あなたたち。」

不良A「にゃろぉ!!」

怒号と共に拳を振り上げる不良A。だが、不良Bが慌ててその腕を押さえた。

不良B「おい、待て!周り、ヤバいぞ!!」

言われて気づけば、少女の煽りと不良Aの大声で足を止める通行人がちらほら。
商店街の窓も、いくつかは音に気づいて開いていた。
不良A「し、知るかよ!こんなガキどもタダで返してたまるか!!」

制止を振り切ろうとした、その時。

「そこの君たち!!」

遠くから鋭い声が飛んできた。
視線を向けると、制服姿の警察官がこちらへ駆け寄ってくる。

不良B「チッ、マジかよ!」

不良C「おい、どうすんだ!」

三人の顔色が一気に変わる。
張り詰めた空気に、警察官の靴音だけが近づいてきた。

少女「次の行動はよく考えた方がいい。手を上げたらどうなるか、分かってるでしょう?」

不良Aは走ってくる警官の姿を横目で確認し、舌打ちをする。

不良A「てめぇ、覚えとけよ!次見つけたらボコボコにしてやるからな!!おい、行くぞ!」

不良BとCも悪態をつきながら後に続き、三人は逆ギレじみた捨て台詞を残してその場を離れていった。
直後、警察官が駆けつける。

警察官「おーい!何事だ?さっきの男たちと揉めてたように見えたが。」

結衣「わ、私、何もしてないです!ほんとに!」

条件反射のように両手を上げる結衣。その姿に警官は思わず苦笑し、首を横に振った。

警察官「いやいや、君を疑ってるわけじゃないさ。あの三人組、最近この辺りでよく問題を起こしててね。怪我はないかい?」

少女「はい。私たちは大丈夫です。」

警察官「そうか、それなら良かった。もう夜も遅いし、君たちも早く帰るんだよ。」

少女「はい。ご迷惑をおかけしました。すぐに帰ります。」

淡々とした口調で答える少女は、警官を前にしても一切動じる様子を見せなかった。
少女「行こう。」

結衣の肩を軽く叩き、駅の方角へ親指を向ける。

結衣「失礼しました。」

二人は一礼し、その場を後にした。
商店街を離れた二人は、自然と歩調を早めていた。後ろを振り返ることなく、ただひたすらに通りを抜ける足音だけが響く。結衣は、胸の奥を締めつけていた恐怖がようやくほどけ、張りつめていた呼吸が少しずつ楽になっていくのを感じていた。
心臓はまだ速く打っている。だがそれは恐怖の鼓動ではなく、むしろ先ほどの出来事が現実だったのかと自分に問い直すような高鳴りだった。
少し前を歩く少女の背中を見つめ、結衣は思わず声を掛ける。

結衣「あの、本当にありがとうございました!」 

少女「いいえ。でも、あなたの助けになれて良かった。」

淡々とした返事。振り返ることもなく前を見据えたままの横顔は、街灯の下でも変わらず落ち着いている。その揺るがない態度に、結衣はさらに言葉を紡ぎたいのに、気持ちが溢れすぎて形にならなかった。

結衣「もう、何から言えば良いのか。とにかく命の恩人だし、すごくカッコ良かったし、それで、その、えっと。」

しどろもどろになりながら、言葉を探す。少女は相変わらず淡白に歩みを進め、結衣は必死にお礼を言おうとするうち、いつの間にか駅前へと辿り着いてしまっていた。
少女「あなたは電車、使わないの?」

結衣「あ、はい。ここが最寄駅なんです。」

少女「そう。じゃあここでお別れね。さっきは私の判断に着いてきてくれてありがとう。夜だから気をつけて。それじゃあ。」

軽く手を振るような素振りをして、少女は駅へと背を向ける。

結衣「ちょっと待ってください!」

思わず叫んでいた。
このまま別れたら絶対に後悔する。そんな直感が結衣の背中を押し、気づけば少女の前に回り込んでいた。

少女「まだ何か?」

結衣「あの、本当に本当に感謝してるんです!後日、その、お礼をさせてください。ちゃんと。」

必死に伝える結衣を前に、少女は小首をかしげるようにして応じた。

少女「ん?私はそんな大層なことしてないけど。お気遣いありがとう。でも大丈夫よ。」

結衣「いやいや!あんな強そうな人たち相手に、ちゃんと戦ってくれて。本当に、漫画みたいで、私を守ってくれて。それに年齢も、なんとなく近いのかなって思ったんです!」

少女「お礼、ね。」

少女はそこで初めて立ち止まり、わずかに考え込むような仕草を見せた。

少女「じゃあ、あなたはこの街に詳しい?」

結衣「この街ですか?はい、地元なので大体のことは分かりますけど。」

少女「そう。それなら、今度でいいから私にこの街の地理を教えてくれない?」

結衣「地理、ですか?全然いいですけど、それがお礼?」

少女「うん。ある場所を探していてね。」

結衣「ある場所、ですか?」

少女「そう。詳しくはその時に話すことになるかな。今はもう遅いし、帰りましょう。」

少女はひらりと体を回し、再び駅へ向かい始めた。
結衣「ちょ、ちょ、待って!」

思わず口から出かかったのは、まるでキムタクのドラマの台詞のような言葉だった。結衣は慌てて少女の前に立ち塞がり、もう一度呼び止める。

少女「まだ何か?」

結衣「連絡先!交換しなきゃですよ!それにまだ名前も聞いてないです!」

少女「ああ、そうだったわね。じゃあ、交換しましょう。」

結衣(この人、ちょっと天然なのかな…。でも、絶対悪い人じゃない!)「ラインやってますか?」
少女「うん。」

結衣「じゃあこれで!」

結衣はスマホを取り出し、QRコードを表示させて差し出した。小さく震える画面越しに、彼女の胸の高鳴りも一緒に映し出されているようだった。
結衣が差し出したスマホの画面に、白い光がぽっと反射する。
少女は無言のまま、かざされたQRコードをすっとスキャンした。短い電子音が響き、お互いのプロフィールがそれぞれの画面に表示される。
結衣は思わず身を乗り出し、目を大きく見開く。
そこに表示された名前は、なんとも拍子抜けする文字列だった。

結衣「クマゾウ?」

結衣が半ば声を裏返しながら読み上げると、少女はわずかに目線だけを動かして返した。

少女「あ、私、クマのマスコット好きで。」

その声音は、これまでの冷静さから一転して、どこか照れくさそうな響きを帯びている。

少女「あ、よろしくね、風見結衣さん。」

結衣「いやいや!私、お姉さんのことクマゾウって呼ばなきゃいけないの!?」

半ばツッコミを入れるように言う結衣に、少女は初めてふっと口元を緩めた。
小さな笑みだったが、それは冷たい風の中で一瞬だけ灯った暖かい火のように見えた。

少女「私は気にしないけどね。」

結衣「だから~!」

結衣が困ったように両手を上げると、少女はすぐに「冗談」と付け足し、淡々とした声に戻った。

少女「黒瀬です。黒瀬玲那(くろせ・れいな)、よろしく。」

結衣「玲那ちゃん、やっと教えてくれた。長かったよ~、とにかくよろしく!」

玲那の名前を呼んだ瞬間、結衣の胸にようやく安堵と親近感が同時に広がっていく。ほんの数十分前まで恐怖に押し潰されそうだったのに、今は不思議と笑顔になれている自分に気付いて、結衣は心の中で小さく息を吐いた。

玲那「結衣さん、また連絡する。」

その言葉に結衣はぱっと顔を輝かせる。

結衣「うん、ありがとう! 教えてくれて。玲那ちゃんみたいな強くてかっこいい子と友達になれるなんて、感激です!」

玲那「うん、ありがとう。それじゃ、またね。」

玲那は少しだけ視線を逸らし、淡々と返す。
すぐに踵を返して歩き出すその背中を、結衣は追い止めようともしなかった。
いや、正確に言えば、三度目に引き止める勇気は出なかった。
けれども、不思議と寂しさはなく、むしろ彼女のそういう必要以上に距離を詰めない性格が心地良く感じられていた。
寒空に白い息を吐きながら、結衣は自分の胸に手を当てる。

結衣「金曜日の夜に、こんな出会いがあるなんて。」

胸の奥がじんわりと温まり、恐怖に震えていた自分が嘘のようだった。
こうして、冬の金曜日に二人は偶然出会ったのだった。
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