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なんだそれは。

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「は……」
 気持ちよかった。
 指の先まで力が入らない。動かしたくもない。このまま倒れこんで、ぐっすり朝まで眠りたい。
 そうもいかないので怠い腰を持ち上げ、引き抜いた彼のものがへたりと倒れる。少し笑えた。だがやはり、もう指一本動かしたくない。
 なんとか衣服を整えようとしたその時だ。
 扉が開いた。
「あ、え?」
 ユリアかと思った。
 そうではなかった。すらりとした彼女の姿とは程遠い、貫禄のある、いやらしい目つきの男……王だ。
「……陛下? 何か、」
 まだご用があるのかと、真面目なエメラードは聞こうとしたのだろう。その言葉が発せられる前に、空気が震えた。
「黙れ!」
 威圧だった。
 エメラードはもちろん、スクまでが一瞬硬直した。王たるものの怒声であった。理解を失った一瞬の空気ののちに、エメラードが強引に体を動かし衣服を整え、絨毯に膝をついた。
「陛下、なにか不始末をいたしましたでしょうか」
「ええい黙れ、この場で申し開きもあるまい」
 怒りを見せているくせ、王の言葉はどこかゆっくりとしていた。エメラードの反応を確かめている。
 これは。
(……そうか)
 今が楽しみの刈り取り時なのだ。
(つまり)
 王は、エメラードを罰しようとしている。そうすることができる。スクものろのろと衣服を整え、ベッドから足を下ろした。
 床に足をつけた、だけだ。
(どうすればいい? どうにも)
 この場にはすべてが揃っている。王が理をわきまえない暴君になる必要はないのだ。
(エメラード)
 なぜか叫びたかった。これは、
「我が寵姫に手を出して、許されるなどと思うまい?」
 は、とエメラードが息を呑んだ。
 そして青ざめた。この状況に王が何を望んでいるのか、察したのだろう。縋るように王を見上げた。
 そこに救いなどあるはずがない。
「一度ならず二度までも裏切られるとはな。よくも逆徒であるを隠し、忠臣の顔でいたものよ」
「……陛下」
 エメラードの声がかすれていた。
 緊張と、あるいはさきほどまで熱をあげていたせいかもしれない。そうだ、さきほどまで、彼と体を重ねていた。
(……なにこれ)
 笑ってしまう。
 馬鹿げている。
 スクの尻はまだひどく濡れ、ゆるく、じんわりとした快楽が残って消えそうにない。だというのに目の前では茶番の断罪が行われようとしていた。
(笑い事じゃないんだけど)
 今までスクが経験してきたことの中で、最大に、最低に、くだらない。
(そりゃ、さっさと脱出したくなるな)
 こんな世界から。
(寵姫の不貞ってどのくらいの罪なんだろ)
 他人事に考えるスクの耳に、エメラードの真面目な声が届く。
「そうではありません。私は陛下のよきようにと、」
「よきように、余の寵姫と寝たというのか!」
 その通りだ。
 あまりにもどうかしている。エメラードは陛下に言われてスクと寝ていたのだ。
「しかし……陛下」
「そなたが余の名代であれば、問題のないことだ。しかしエメラードよ、そなた、本当に余の名代であったか?」
「……」
「余のためだけに動いていたのか? 心からそう言えるのか、エメラード!」
 エメラードが黙った。
 青ざめた頬が哀れだ。
 ああ、そうだろうなとスクは思う。エメラードは心から王のためになど働いていない。彼自身の忠誠のため、自分の家のために働いていたのだろう。
 そして王がいなくなってもスクと睦み合っていたのは、
(俺のため)
 かわいそうな囚人に優しくしたかっただけだ。
 それは王のためではないから、エメラードは答えることができない。
 王が鼻を鳴らした。
「ふん。話にならんな。……だが、今までの功績に報い、温情を与えてやる。貴様には打首でなく、栄誉ある死を与えてやろう」
 エメラードは何も言わない。
「北の戦場に犯罪兵士として送ってやる。……よく励めよ、エメラード」
 ねっとりとした声で名を呼び、王は笑った。
 そしてその三日月型の目が、何かを期待している。エメラードが反抗することか、あるいは絶望することか、期待している。
(趣味が悪い)
 だがスクもそれを待った。
(怒れよ)
 エメラードは顔を伏せてしまい、その表情が読めない。それは見下ろしてもそうであったのか、王が舌打ちした。
「その不届き者をひっとらえよ!」
「はっ!」
 王に付き従う兵士のうち、二人が前に出て牢を開けようとした。しかしエメラードはしっかりと鍵をかけている。
「鍵はどこだ?」
「……私が」
「動くな!」
 エメラードが懐から鍵を取り出そうとしたのだが、兵士は怒声を発した。馬鹿げているし、愚かだ。
 万が一にもエメラードが、王に逆らうことなどあるものか。
(怒ってもいない)
 表情を消して、もはや苦悩さえも見せない。
 たぶん諦めてしまったのだ。
(……死ぬんだろうな)
 スクは冷えた気分でそう考えた。いいことだ。それはとてもいいことだ。
 貴族であるエメラードはしかし、スクと変わらない、下らない人生を送る一人だった。下らない人生を送って下らなく死ぬのだ。
「……」
 いいことだ。
 きっとスクと同じ場所に行けるだろう。もし生き延びたとしても、いっそう下らない人生が待つばかりだ。スクが最初に殺したあの男と同じ、最後には奪われ、すべてを引き渡して死ぬのだった。
 この美しい人が。
「は……」
 気づけば息苦しく感じた。
(いいことだ)
 この王の下でそちら側にいるより、こちら側に来ればいい。ただただ、下らないことに巻き込まれて死ぬのだ。
 何の罪もなく。
 甲斐もなく。
 やるだけのことをやって死ねばいい。
「……陛下」
 エメラードが顔をあげた。
 ためらいの凡庸さがその表情を覆っていた。
「なんだ。末期の願いがあるなら言うてみよ」
「恐れながら」
 すぐさまの言葉は震えてはいなかった。その視線もただ、じっと王を見上げていた。
「スク殿には何の罪もないこと」
「は……?」
「ご寛恕を、お願い申し上げたい」
 なんだそれは。
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