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「ありがとう。では、これからよろしく」
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やはり塔の上であったようだ。長い階段を降りていく。王の血が道標のようについていて、地上につく前に城内に入ったようだ。
しかし壁は薄汚れ、人々は粗末な衣服を身に着けている。恐らく下働きの者たちの区画なのだ。
彼らはエメラードを知っているのか、スクをつれていても見咎められることはなかった。
「こっちだ」
エメラードに促され、王の血とは逆の道に進む。
「は……」
思わずスクは息を止めた。
(広い)
粗末だが大きく区切られた部屋に、目眩を起こしかけた。それほど長いとは思わなかったが、あの小さな部屋に慣れすぎるくらいにはいたようだ。
「すまないが、急いでほしい」
「……あてはあるの?」
今のところはどうにかなっているが、警備の兵がいないはずがない。城への出入りは厳しく制限されているはずだ。
「ある。ついてきてくれ」
「……使用人用の出口?」
「それも今は無理だろう」
「だろうね」
王が襲われたのだ。暗殺者が死んだといっても、手引をしたものが、協力したものがいるかもしれない。王城の出口という出口は閉鎖されるだろう。
エメラードについて進むごとに、景色は荒れていった。腐ったような食材の匂い、排泄物に似た匂い、洗濯の匂いも混ざっているようだが、全く爽やかさのかけらもない。
「こんなところ……」
不審に思った。エメラードはこれでも騎士であり、使用人ではない。調べようとしない限り、こんな場所に来ることはないだろう。
「あんた、知ってたの」
王が暗殺されることを。
「いや、もしもの時はここから逃げろとユリア殿に言われていた。……私が逃げ出す時の話かと、思っていたが」
「……そう」
わからない。
本当はエメラードが知っていたとしても、エメラードが関わっていたとしても、スクにはわからない。
だが強く疑う理由もなかった。
「地下……?」
荒れた庭に出たあと、石を積まれた階段を降りていく。
「地下水路があると……これだな」
「……下水な気がするけど」
「その、ようだ」
息をするのが辛かったのだろう、エメラードが声をつまらせた。さきほどよりも匂いがひどくなっている。元は地下水だったのかもしれないが、色々と垂れ流してしまったようだ。
とてもまともな兵を詰めさせる場所ではない。
「でもこれ、どこに出てるの?」
「リニ川に出る、らしい」
「へえ」
城から離れ、おまけに往来の多い場所に出られるということだ。そのまま馬車なり船なりを捕まえることができるだろう。
「……あんたは家に帰るの?」
「いや」
エメラードの背中はすぐに答えた。
「もう帰らない」
「家令がいるんじゃないの」
「テーブルクロスを取りに行った時に、家のものはすべて解雇した」
「…………なにそれ」
やはりわかっていたのではないか。
「私はずっと陛下に疎まれていてな」
「まあ」
「陛下のおそばに……城内に置かれることはなかった。それが牢番とは言え城務めだ。良いことかもしれないが、悪いことにも思えた」
スクは苦笑した。どうやらエメラードにとって、牢番であっても王のそばは栄誉なものであったらしい。
だが一方で警戒もあったようだ。
「あんたにそんな考えがあったんだ」
「……私の名は、死しても主に仕えたという忠臣エメラードから頂いている」
「は?」
「それを聞かされて育ったので、幼少期はずっと、そのようであることに憧れていた」
「……」
「だが、私はもう子供ではない」
エメラードの顔は見えない。しばらく平らな床を歩いてしかいなかったスクの足では、彼を追い越すことはできない。
その背中が悲しそうに見えて、スクは言った。
「じゃあ、さっきまで子供だったの」
「そうかもしれない。ずっと、後悔しないようにしてきた」
「……今はしてるの」
「している」
エメラードは止まらずに進んでいく。ひどい匂いは進むごとに薄れたが、慣れているだけかもしれない。
「私は姉に言うべきだった。国の、家のことなど気にするな」
「……」
「逃げろ、と」
きっとそうだろう。
スクならばそうする。自分の家族がただの一人でも生き残っていたのなら、誰かに不幸にされることを許せるはずがない。
叔父がスクのために死んだように。
スクにも誰かがいればよかったのに。
そうしたらユリアのように、王を殺したのだろうか。彼女のことはわからない。だがスクは、とてもいい教師の顔をする彼女が嫌いではなかったし、その死を惜しくも思った。
「急ごう」
エメラードが言い、手を差し伸べてきた。
スクはその手を掴んだ。
「……ひとりで逃げたっていいのに」
「ひとりでは寂しい」
「は」
「君を置いてはいけない。また私は悔やむことになるだろう」
変な話だ。
「俺は子供じゃないよ」
おかしい。
「わかっている。君は強い。子供ではない」
まったくおかしすぎる。
「そう強くもないけど」
「君は、私に頼らなくても生きていけるんだろう」
「……どうだろ」
わからない。スクは何も持たない無力な元兵士だ。
「だが、なぜか危なっかしく見えていけない」
「……わかる。あんたのことだけど」
「何」
「危なっかしくて」
なんでも持ってそうな貴族の男の手を、離す気になれない。
おかしな話だ。
「……まあ、ずっと一緒にいたからね」
自分の言葉があまりに甘くなったので、スクは驚いた。
エメラードも驚いたのかもしれない。握った手に、ぎゅっと力がこもった。
「ああ……ずっと一緒にいた」
「……狭い場所にずっといると、人間、おかしくなるって言うけど」
「おかしくなっているか?」
「さあ……」
まともな方がおかしいのかもしれない。
「……逃げられたら、どこに行くの」
問いかける。はたして先のことを考えているのだろうか。
「ひとまず父のところへ」
「……居場所がわからないんじゃなかったの?」
「いや、父は内密に居場所を伝えてきていた。家令もそこにいるだろう。それから恐らく……王子も」
「は?」
王子などいたのか。
そう思ってしまったが、それはそうだ。後宮にたくさんの女を囲っておいて、子供のひとりもいなくては、そちらの方が噂になるはずだ。
「陛下の嫡男だが、姉と同じころに失踪した。陛下が亡くなったのなら、あの御方が次の王だ」
スクは足を止めた。
「……っ」
引っ張られた手が痛むが、踏ん張ってそこにとどまった。
「……どうした?」
「行かない」
「……なぜ?」
「そういうことには、関わらないことにしてる」
王だとか王子だとか、違う世界の話だ。スクはただの人間として、下らなく生きて下らなく死ぬと決まっている。
「君は……」
エメラードが言葉にする前に、スクは首を振った。
「彼女が言っていたように、ラズウェル王家に連なるものなのか?」
「……関係ない」
知らない。
聞く気もない。スクは後ずさって離れようとしたが、エメラードは手を離してくれない。
「もういい」
「よくはない」
「いい。離して」
「待ちなさい!」
「あ」
手が離されるどころか引き寄せられて、抱え上げられた。
「や」
「とにかく逃げてからだ」
「やだ。戻る」
「……戻らない。戻ったらどうなるか、わかっているのか?」
「下らなく死ぬ」
「……」
「下らなく生きて下らなく死ぬ。それが、俺達なんだ」
「……そんなことはないだろう。いずれ戦は終わるかもしれない」
「たくさん殺した」
「……」
「でも俺は、恨まれちゃいない。俺だって、誰に殺されたって恨みはしない。だって俺たちは……そういう……」
「……」
「下らない……」
「そうか」
「ただの小さな一匹なんだから」
王は違う。貴族は、支配者は、違う。スクのような者たちの恨みを一身に受けるのは彼らだ。彼らであるはずだ。
スクは恐ろしくてならない。
決して、そちら側になどいかない。殺す方ではなく、殺させる方だ。死ぬのではなく、死ねと命じる方だ。
「……そうか」
そのくらいならば下らなく死んだ方がいい。つまらない人間として。
「俺は、そうは、ならない」
「ああ、大丈夫だ。君の関わることじゃない」
「やだ」
「大丈夫だと言っているだろう」
背中がぽんと叩かれた。
エメラードはスクを抱えたままで走り出す。スクは抵抗したのだ。だがとても、とても役に立たない抵抗だった。むずがる子供くらいの、意味のない抵抗だ。
「ひとまずは父上の元に身を寄せるつもりだったが、私も深く関わる気はない。……私の主君はもう、失われたのだから」
「……」
「ただそうなると、さしあたっての暮らしが心配だ。庶民の暮らしなどしたことがないんだ。……スク、君は私を助けてくれるだろうか?」
真っ直ぐに瞳を向けられて、スクは力が抜けた。
「貴族、やめるの?」
「やめるんだ」
エメラードはあっさりと言った。
そんな簡単なことではないだろう。スクが顔をしかめると、エメラードは笑った。
「大丈夫だ。もう充分に、働いたから」
それはそうかもしれない。
スクはエメラードほど真面目な男を知らない。彼がそう言うのなら、もう充分なのかもしれない。
「……じゃあ、いいよ」
「いいだろうか?」
「いいよ。……あんた一人じゃ、とても生きていけそうにないから」
「はは」
冗談ではない。
この真面目すぎて一周回っている男が、どうやって生きていくのだろう。スクは心配でならない。自分がどうにかするしかないだろう。
「ありがとう。では、これからよろしく」
「……まあ。よろしく」
変な空気になった。
エメラードが目を細めて笑う。見たことのない微笑みだった。スクはふらりとそれにつられて、無意識にうっすらと唇を開いた。
するとエメラードの視線がそれを捕らえたのがわかる。
「あ」
引き寄せられるように唇を重ねていた。
「ん、ん……っん、むむ」
彼が足を止めるくらいの深さで、長さで、舌を絡めて互いを舐めた。口の中は熱く、じわりじわりと甘さがこぼれる。
「っは……」
「ふ……」
「あんた……っん」
つるりと顎に落ちた熱も舐め取られ、そのついでのようにまた唇を奪われた。
「ぅん……?」
「んん」
しつこい。
しつこいが、もう少し。
「…………よろしく」
ずいぶん長く、口が痺れるほど情を交わしたあとで、エメラードが再度言った。気まずそうな顔をしているのがおかしい。
スクは彼の腕から降りた。
「いいけど。……とりあえず、逃げよう」
「ああ」
なんだか顔を見られたくない気分だったが、どうあがいてもエメラードの方が走るのが速い。しかし彼も振り向かないので、それは幸いだった。
手だけはしっかりと繋がれている。
さて、数カ月後、彼の国に新たな王が立ったらしい。
エメラードとスクの二人は遠い国で農作業に勤しんでいたため、その噂に特段の興味を持つことはなかった。
しかし壁は薄汚れ、人々は粗末な衣服を身に着けている。恐らく下働きの者たちの区画なのだ。
彼らはエメラードを知っているのか、スクをつれていても見咎められることはなかった。
「こっちだ」
エメラードに促され、王の血とは逆の道に進む。
「は……」
思わずスクは息を止めた。
(広い)
粗末だが大きく区切られた部屋に、目眩を起こしかけた。それほど長いとは思わなかったが、あの小さな部屋に慣れすぎるくらいにはいたようだ。
「すまないが、急いでほしい」
「……あてはあるの?」
今のところはどうにかなっているが、警備の兵がいないはずがない。城への出入りは厳しく制限されているはずだ。
「ある。ついてきてくれ」
「……使用人用の出口?」
「それも今は無理だろう」
「だろうね」
王が襲われたのだ。暗殺者が死んだといっても、手引をしたものが、協力したものがいるかもしれない。王城の出口という出口は閉鎖されるだろう。
エメラードについて進むごとに、景色は荒れていった。腐ったような食材の匂い、排泄物に似た匂い、洗濯の匂いも混ざっているようだが、全く爽やかさのかけらもない。
「こんなところ……」
不審に思った。エメラードはこれでも騎士であり、使用人ではない。調べようとしない限り、こんな場所に来ることはないだろう。
「あんた、知ってたの」
王が暗殺されることを。
「いや、もしもの時はここから逃げろとユリア殿に言われていた。……私が逃げ出す時の話かと、思っていたが」
「……そう」
わからない。
本当はエメラードが知っていたとしても、エメラードが関わっていたとしても、スクにはわからない。
だが強く疑う理由もなかった。
「地下……?」
荒れた庭に出たあと、石を積まれた階段を降りていく。
「地下水路があると……これだな」
「……下水な気がするけど」
「その、ようだ」
息をするのが辛かったのだろう、エメラードが声をつまらせた。さきほどよりも匂いがひどくなっている。元は地下水だったのかもしれないが、色々と垂れ流してしまったようだ。
とてもまともな兵を詰めさせる場所ではない。
「でもこれ、どこに出てるの?」
「リニ川に出る、らしい」
「へえ」
城から離れ、おまけに往来の多い場所に出られるということだ。そのまま馬車なり船なりを捕まえることができるだろう。
「……あんたは家に帰るの?」
「いや」
エメラードの背中はすぐに答えた。
「もう帰らない」
「家令がいるんじゃないの」
「テーブルクロスを取りに行った時に、家のものはすべて解雇した」
「…………なにそれ」
やはりわかっていたのではないか。
「私はずっと陛下に疎まれていてな」
「まあ」
「陛下のおそばに……城内に置かれることはなかった。それが牢番とは言え城務めだ。良いことかもしれないが、悪いことにも思えた」
スクは苦笑した。どうやらエメラードにとって、牢番であっても王のそばは栄誉なものであったらしい。
だが一方で警戒もあったようだ。
「あんたにそんな考えがあったんだ」
「……私の名は、死しても主に仕えたという忠臣エメラードから頂いている」
「は?」
「それを聞かされて育ったので、幼少期はずっと、そのようであることに憧れていた」
「……」
「だが、私はもう子供ではない」
エメラードの顔は見えない。しばらく平らな床を歩いてしかいなかったスクの足では、彼を追い越すことはできない。
その背中が悲しそうに見えて、スクは言った。
「じゃあ、さっきまで子供だったの」
「そうかもしれない。ずっと、後悔しないようにしてきた」
「……今はしてるの」
「している」
エメラードは止まらずに進んでいく。ひどい匂いは進むごとに薄れたが、慣れているだけかもしれない。
「私は姉に言うべきだった。国の、家のことなど気にするな」
「……」
「逃げろ、と」
きっとそうだろう。
スクならばそうする。自分の家族がただの一人でも生き残っていたのなら、誰かに不幸にされることを許せるはずがない。
叔父がスクのために死んだように。
スクにも誰かがいればよかったのに。
そうしたらユリアのように、王を殺したのだろうか。彼女のことはわからない。だがスクは、とてもいい教師の顔をする彼女が嫌いではなかったし、その死を惜しくも思った。
「急ごう」
エメラードが言い、手を差し伸べてきた。
スクはその手を掴んだ。
「……ひとりで逃げたっていいのに」
「ひとりでは寂しい」
「は」
「君を置いてはいけない。また私は悔やむことになるだろう」
変な話だ。
「俺は子供じゃないよ」
おかしい。
「わかっている。君は強い。子供ではない」
まったくおかしすぎる。
「そう強くもないけど」
「君は、私に頼らなくても生きていけるんだろう」
「……どうだろ」
わからない。スクは何も持たない無力な元兵士だ。
「だが、なぜか危なっかしく見えていけない」
「……わかる。あんたのことだけど」
「何」
「危なっかしくて」
なんでも持ってそうな貴族の男の手を、離す気になれない。
おかしな話だ。
「……まあ、ずっと一緒にいたからね」
自分の言葉があまりに甘くなったので、スクは驚いた。
エメラードも驚いたのかもしれない。握った手に、ぎゅっと力がこもった。
「ああ……ずっと一緒にいた」
「……狭い場所にずっといると、人間、おかしくなるって言うけど」
「おかしくなっているか?」
「さあ……」
まともな方がおかしいのかもしれない。
「……逃げられたら、どこに行くの」
問いかける。はたして先のことを考えているのだろうか。
「ひとまず父のところへ」
「……居場所がわからないんじゃなかったの?」
「いや、父は内密に居場所を伝えてきていた。家令もそこにいるだろう。それから恐らく……王子も」
「は?」
王子などいたのか。
そう思ってしまったが、それはそうだ。後宮にたくさんの女を囲っておいて、子供のひとりもいなくては、そちらの方が噂になるはずだ。
「陛下の嫡男だが、姉と同じころに失踪した。陛下が亡くなったのなら、あの御方が次の王だ」
スクは足を止めた。
「……っ」
引っ張られた手が痛むが、踏ん張ってそこにとどまった。
「……どうした?」
「行かない」
「……なぜ?」
「そういうことには、関わらないことにしてる」
王だとか王子だとか、違う世界の話だ。スクはただの人間として、下らなく生きて下らなく死ぬと決まっている。
「君は……」
エメラードが言葉にする前に、スクは首を振った。
「彼女が言っていたように、ラズウェル王家に連なるものなのか?」
「……関係ない」
知らない。
聞く気もない。スクは後ずさって離れようとしたが、エメラードは手を離してくれない。
「もういい」
「よくはない」
「いい。離して」
「待ちなさい!」
「あ」
手が離されるどころか引き寄せられて、抱え上げられた。
「や」
「とにかく逃げてからだ」
「やだ。戻る」
「……戻らない。戻ったらどうなるか、わかっているのか?」
「下らなく死ぬ」
「……」
「下らなく生きて下らなく死ぬ。それが、俺達なんだ」
「……そんなことはないだろう。いずれ戦は終わるかもしれない」
「たくさん殺した」
「……」
「でも俺は、恨まれちゃいない。俺だって、誰に殺されたって恨みはしない。だって俺たちは……そういう……」
「……」
「下らない……」
「そうか」
「ただの小さな一匹なんだから」
王は違う。貴族は、支配者は、違う。スクのような者たちの恨みを一身に受けるのは彼らだ。彼らであるはずだ。
スクは恐ろしくてならない。
決して、そちら側になどいかない。殺す方ではなく、殺させる方だ。死ぬのではなく、死ねと命じる方だ。
「……そうか」
そのくらいならば下らなく死んだ方がいい。つまらない人間として。
「俺は、そうは、ならない」
「ああ、大丈夫だ。君の関わることじゃない」
「やだ」
「大丈夫だと言っているだろう」
背中がぽんと叩かれた。
エメラードはスクを抱えたままで走り出す。スクは抵抗したのだ。だがとても、とても役に立たない抵抗だった。むずがる子供くらいの、意味のない抵抗だ。
「ひとまずは父上の元に身を寄せるつもりだったが、私も深く関わる気はない。……私の主君はもう、失われたのだから」
「……」
「ただそうなると、さしあたっての暮らしが心配だ。庶民の暮らしなどしたことがないんだ。……スク、君は私を助けてくれるだろうか?」
真っ直ぐに瞳を向けられて、スクは力が抜けた。
「貴族、やめるの?」
「やめるんだ」
エメラードはあっさりと言った。
そんな簡単なことではないだろう。スクが顔をしかめると、エメラードは笑った。
「大丈夫だ。もう充分に、働いたから」
それはそうかもしれない。
スクはエメラードほど真面目な男を知らない。彼がそう言うのなら、もう充分なのかもしれない。
「……じゃあ、いいよ」
「いいだろうか?」
「いいよ。……あんた一人じゃ、とても生きていけそうにないから」
「はは」
冗談ではない。
この真面目すぎて一周回っている男が、どうやって生きていくのだろう。スクは心配でならない。自分がどうにかするしかないだろう。
「ありがとう。では、これからよろしく」
「……まあ。よろしく」
変な空気になった。
エメラードが目を細めて笑う。見たことのない微笑みだった。スクはふらりとそれにつられて、無意識にうっすらと唇を開いた。
するとエメラードの視線がそれを捕らえたのがわかる。
「あ」
引き寄せられるように唇を重ねていた。
「ん、ん……っん、むむ」
彼が足を止めるくらいの深さで、長さで、舌を絡めて互いを舐めた。口の中は熱く、じわりじわりと甘さがこぼれる。
「っは……」
「ふ……」
「あんた……っん」
つるりと顎に落ちた熱も舐め取られ、そのついでのようにまた唇を奪われた。
「ぅん……?」
「んん」
しつこい。
しつこいが、もう少し。
「…………よろしく」
ずいぶん長く、口が痺れるほど情を交わしたあとで、エメラードが再度言った。気まずそうな顔をしているのがおかしい。
スクは彼の腕から降りた。
「いいけど。……とりあえず、逃げよう」
「ああ」
なんだか顔を見られたくない気分だったが、どうあがいてもエメラードの方が走るのが速い。しかし彼も振り向かないので、それは幸いだった。
手だけはしっかりと繋がれている。
さて、数カ月後、彼の国に新たな王が立ったらしい。
エメラードとスクの二人は遠い国で農作業に勤しんでいたため、その噂に特段の興味を持つことはなかった。
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