オメガな王子は孕みたい。

紫藤なゆ

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「朝ですよ」

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「朝ですよ」
 揺り動かしても金色の髪は振り向かない。無駄に広い寝台の真ん中に丸くなり「むにゃむにゃ、もう食べられない」と言った。起きてるな。
「時間です、殿下」
「うっ……」
 外向きの呼びかけをすると、クリス・イル・アドジャイル殿下は諦めて体を起こした。丸い背中がため息をつき、切なく呟く。
「朝は来るのだ、誰のもとにも」
「はいはい。急いで着替えましょう」
「朝のヴィーは冷たい。僕の体が目当てだったんだな……」
「……暖かくしてさしあげても結構ですが?」
 微笑んでやると殿下は仕方なさそうに着替えを始めた。
「準備は?」
 寝起きはよくない王子だが、起きさえすれば行動は早い。侍女の手も借りずに手早く着替えて寝台を降りた。全く王子らしからぬ所作だが、この場には殿下と私しかいない。時間の無駄がないのはよいことだ。
 殿下だけではなく私も、ギリギリまでゆっくりしていたいのだ。
 共寝をした朝に慌ただしく出ていくというのは好ましくない。とはいえ仕事だ。仕事はしよう。食い詰めない程度に。
「すべての場所に馬車の準備が完了しています。御者へは前金を。天候は晴れ。アイーサの報告によれば、町に特段の騒ぎはなし」
「そうか」
「ミモザ夫人が特別な土産を欲しているとのこと」
「特別な……うーん……」
 殿下は寝ぼけたような声をあげたが、その頭の中では土産の候補を思い浮かべているのだろう。
「セリア嬢は想定よりも落ち着きがありません。退屈な場に長く滞在するのは無理でしょう」
「ふうん」
 本日案内するべき相手の情報を告げながら、私は殿下の背を叩いてシャツのずれを整え、腰にベルトを回して剣をさした。
 麗しの金髪は指先で撫でただけですとんと落ちる。昨夜と同じだ。
「ん……」
 殿下は少しくすぐったそうにして、私を見上げた。キスをねだる唇に見えるが、ここで誘いに応えてはいけない。心を鬼にして静かに見返した。
 仕事前だ。
 濡れた唇で人前に出すわけにはいかない。
「ふん」
 殿下はつまらなそうにそっぽを向き、寝室を出ていった。私はその背を追ってあとに続く。



「クリス・イル・アドジャイルと申します。本日は視察先のご案内をさせていただきます」
「マルファス・ユジーだ。よろしく頼む。しかしその……王子殿下に頼むようなことでもなかったのだが」
 俺は少々困っている。
 母国ヴァイジリアから使者としてこの国、アドジャイルに来たのは先日のこと。仕事は終わり、できれば町を視察したいと申し入れてはみたものの、実際のところ知らない町を見てみたいだけだった。
 それにしてもたかが町の案内に、第三王子が出てくるとは思わなかったのだ。おまけに丁寧な態度を取られて実にやりづらい。ヴァイジリアの王弟である俺と、アドジャイルの王子たる彼。我が国は大国であるが、かといってアドジャイルも小国というわけではない。
 立場としては同等。そうしておくのが平和なはずだ。
 しかし相手が敬語を使ってくるからと、こちらも下手に出るわけにもいかない。面倒なものだ。
「ああ、暇なので、どうぞお気になさらず。ご存知かもしれませんが、母の身分が低く、僕が王太子となることはないでしょう」
「は……そうか」
 知っている。
 知っているが、そんな事情を堂々と言われて、どう返せというのだ。金髪碧眼、キラキラの王子然とした顔で、これはちょっと阿呆なのだろうか。
「しかし俺も臣下に下った身だ。そう気を使われることはないだろう」
 我が兄が王となり、子をもうけた以上、王冠が俺に回ってくることはない。たいへんにありがたいことだ。
 俺は窮屈な玉座より、世界を見て回り、まあ、ついでに自国を愉快にしたい。
「いえいえ。案内は僕の趣味なので」
「……趣味」
「はい。趣味です。この町を一番よく知ってるのは僕ですし」
「クリス王子が……?」
「はい。時間もないので行きましょう! 挨拶は後ほど。……ええと、セリア様からどうぞ。大丈夫ですか?」
「えっ」
 娘セリアはもじもじと私の後ろに隠れていたが、王子に声をかけられて泣きそうな顔になっている。そうだな、おまえ、絵本みたいな王子様に会いたいって泣いてたもんな。
「お、おとうさま」
「ああ。エスコートしよう」
 近頃生意気になった娘の成長を思いつつ、俺はセリアの手を引いて馬車に乗り込んだ。あまり目立ちたくないという要求通り、王家の紋章のない、いくらか頑丈なだけの辻馬車のようだ。
「ミモザ」
「はい、あなた」
 長いスカートの妻も引き上げてやる。そのあとで護衛が二名だけ乗り込む。さすがに全員を入れると狭苦しいにもほどがある。
 王子は別の馬車に、ひとりの護衛とともに乗り込んだようだ。なんとも身軽だ。
(離宮で放置された王子だというが……)
 ああも明るい人格になるものだろうか。
「獣人の方ですのね」
 妻が眉をひそめながら言った。
 クリス王子の護衛のことだろう。王子より頭ひとつ身長が高く、その頭のてっぺんにある耳がいっそうそれを際立たせていた。
 あれは……犬、だろうか。
「じゅうじんってなに?」
 セリアが聞いてくる。私はこっそりとため息をついて妻を見た。彼女も自分の発言がまずいと気づいたらしい。
 子供は正直だ。
 妻が正直に、獣人の男は汚らわしい乱暴者だと言われているのだ、などと説明すれば、そのまま信じて他の誰かにも言うだろう。
「……失われた国の民だよ。彼らは動物の特徴と、その性質を持つと言われている」
「えーっ、すごいね! あの耳、さわりたいなあ」
「やめなさい、セリア」
「どうして?」
「失礼にあたるからだよ。彼らは動物の特徴を持っているが、動物ではない」
 そう思わない者が多くいるから、彼らの国は滅んだのだ。いくら無邪気な子供の要望でも、動物のように扱われていい気分はしないだろう。
「そうなの? でもセリア、わんちゃん大好きだよ」
 馬車の窓にかじりつくようにしてセリアが言う。やめなさい、と眉をひそめて妻が言う。
 兄王からの信書を渡し終え、ようやく好きにこの国を見て回れると思ったのだが、気苦労の絶えない日になりそうだ。
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