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山の民
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――山の花は風に舞う
ナベリア帝国の塔が遠ざかると、私はその余韻を胸に抱きながら次なる目的地を思い浮かべていた。
道は東か、北か、それとも……と地図を開いたとき、ある名が目に飛び込んだ。
モーベリア山脈。
そこには、ファシアと呼ばれる山の民が暮らしているという。
旅の途中、帝国の市場で出会った織物商人が語っていた。
「ファシアの布は、山にしか咲かない花の色をそのまま閉じ込めてるんです。空気の冷たいところでしか育たない、透き通るような青や薄紫……一度見れば忘れられませんよ」
「それにあの人たち、弓と馬の技は一流。馬を斜面で走らせながら矢を放つ姿なんて、まるで風の精霊です」
それを聞いた私はすぐに支度を整え、帝国を後にした。
モーベリア山脈は、思っていたよりも静かだった。
風が常にどこかで吹き抜けており、その音が耳を包む。足元には岩と花が交互に現れ、空の青が濃くなっていくほど、空気は澄んでいた。
山中を三日ほど登った頃だった。
峠の稜線に沿って、音もなく駆ける影が現れた。
栗毛の山馬にまたがり、背には弓、風になびく紺の外套。その者は私を見つけると、手を挙げてこちらへと向かってきた。
「旅の者か?」
その声は朗らかで、まっすぐだった。
「そうだ。私はシームヘル。ファシアの人々に会いたくて来た。」
その名を口にすると、相手は目を細めて笑った。
「ならば案内しよう。私はカイラ。ファシアの者だ」
彼女に導かれ、私は山腹に築かれた石と木の集落へと招かれた。道なき道を馬で駆け、細い吊り橋を渡った先に、それはあった。
岩壁に寄り添うように建てられた住居は、木の梁と石壁で作られ、屋根には草花が生えていた。空に近い土地で、人と自然が寄り添って生きている。そんな風景だった。
広場では、子どもたちが木弓で的を射り、若者たちは馬の手綱さばきを競い合っていた。
彼らの服は皆、山花で染めたという織物を纏っていた。淡い青、薄紫、雪に似た白、そして深い夜のような藍。色は柔らかく、けれど力強く、光を受けるとまるで霧のように溶けて見えた。
カイラの祖母が織物を見せてくれた。指先は老いていたが、布には風と花と雪が縫い込まれているようだった。
「この青は“シェルの花”で染めたの。冬の間だけ、断崖の東面に咲くのよ」
「取るのも染めるのも命がけ。けど、山の民には欠かせない色」
私は、その布をそっと手に取り、長く見つめていた。
言葉にならぬほどの美しさとは、こういうものかもしれない。風景も、花も、暮らしも、すべてが布の中に封じ込められていた。
夜、焚き火を囲んで、私はナベリアでの話を語った。
山の民は静かに聞き、時折短く笑い、頷いた。
カイラはふと、弓を傍らに置きながら言った。
「私たちは山から離れない。でも、あなたの話は、風みたいだ。いろんなところに吹いて、いろんなものを揺らしてる」
「なら、その風がここにも吹いてよかったよ」と私は笑った。
ナベリア帝国の塔が遠ざかると、私はその余韻を胸に抱きながら次なる目的地を思い浮かべていた。
道は東か、北か、それとも……と地図を開いたとき、ある名が目に飛び込んだ。
モーベリア山脈。
そこには、ファシアと呼ばれる山の民が暮らしているという。
旅の途中、帝国の市場で出会った織物商人が語っていた。
「ファシアの布は、山にしか咲かない花の色をそのまま閉じ込めてるんです。空気の冷たいところでしか育たない、透き通るような青や薄紫……一度見れば忘れられませんよ」
「それにあの人たち、弓と馬の技は一流。馬を斜面で走らせながら矢を放つ姿なんて、まるで風の精霊です」
それを聞いた私はすぐに支度を整え、帝国を後にした。
モーベリア山脈は、思っていたよりも静かだった。
風が常にどこかで吹き抜けており、その音が耳を包む。足元には岩と花が交互に現れ、空の青が濃くなっていくほど、空気は澄んでいた。
山中を三日ほど登った頃だった。
峠の稜線に沿って、音もなく駆ける影が現れた。
栗毛の山馬にまたがり、背には弓、風になびく紺の外套。その者は私を見つけると、手を挙げてこちらへと向かってきた。
「旅の者か?」
その声は朗らかで、まっすぐだった。
「そうだ。私はシームヘル。ファシアの人々に会いたくて来た。」
その名を口にすると、相手は目を細めて笑った。
「ならば案内しよう。私はカイラ。ファシアの者だ」
彼女に導かれ、私は山腹に築かれた石と木の集落へと招かれた。道なき道を馬で駆け、細い吊り橋を渡った先に、それはあった。
岩壁に寄り添うように建てられた住居は、木の梁と石壁で作られ、屋根には草花が生えていた。空に近い土地で、人と自然が寄り添って生きている。そんな風景だった。
広場では、子どもたちが木弓で的を射り、若者たちは馬の手綱さばきを競い合っていた。
彼らの服は皆、山花で染めたという織物を纏っていた。淡い青、薄紫、雪に似た白、そして深い夜のような藍。色は柔らかく、けれど力強く、光を受けるとまるで霧のように溶けて見えた。
カイラの祖母が織物を見せてくれた。指先は老いていたが、布には風と花と雪が縫い込まれているようだった。
「この青は“シェルの花”で染めたの。冬の間だけ、断崖の東面に咲くのよ」
「取るのも染めるのも命がけ。けど、山の民には欠かせない色」
私は、その布をそっと手に取り、長く見つめていた。
言葉にならぬほどの美しさとは、こういうものかもしれない。風景も、花も、暮らしも、すべてが布の中に封じ込められていた。
夜、焚き火を囲んで、私はナベリアでの話を語った。
山の民は静かに聞き、時折短く笑い、頷いた。
カイラはふと、弓を傍らに置きながら言った。
「私たちは山から離れない。でも、あなたの話は、風みたいだ。いろんなところに吹いて、いろんなものを揺らしてる」
「なら、その風がここにも吹いてよかったよ」と私は笑った。
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