シームヘルの手記

高穂

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海の守り神

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 私は、決まった職を持たぬ旅人だ。
 
 ある時は行商人の荷を運び、またある時は神殿の石を磨き、酒場で物語を語って小銭を得る——そんな風に、陸から陸を渡って生きている。

 これは、南方諸島への航路で起きた、忘れ得ぬ出来事について記したものだ。

 
 旅の途中、私は《アシュレア号》という貿易船に相乗りすることとなった。積荷の管理を手伝う代わりに、航海の一席をもらったのだ。行き先は東南の「カスル諸島」。その先に広がる海は“神の海”と呼ばれ、古くから伝承の多い場所でもあった。

「海竜さまがおる海よ。」と、甲板で出会った年老いた船員の男が言った。「怒らせたら海ごとひっくり返る。だが、礼を尽くせば波ひとつ立たぬ。」

 笑い話だと思った。けれど、私は旅人の勘というやつで、ふと胸の内がざわつくのを覚えた。

 

 出航から五日目。
 風は緩く、空には雲ひとつなかった。

 その静けさを破ったのは、船底を擦るような轟音だった。船がわずかに傾き、積荷がきしむ。船員たちが騒ぎ出し、私も甲板に飛び出した。

 その時、水平線が歪んだ。

 何かが、海を裂いて浮かび上がってくる。いや、「現れる」という方が近い。その背は鉱石のように硬く、鱗は月の光を帯びて青銀に輝いていた。空を裂くような咆哮が、遠雷のように響いた。

 それは——海竜だった。

 甲板の全員が息を呑む。だが不思議なことに、恐怖よりも先に胸を打ったのは「畏れ」だった。崇高で、圧倒的で、そしてなぜか悲しげな気配を帯びていた。

「見ている……」

 私は気づいた。あの眼差しは、こちらを見ている。
 人間を、旅人を、文明を……ただの本能ではない“意志”が、そこに宿っていた。

 

 船長が命じ、帆をたたむと、船は音もなく止まった。誰もが息を潜める中、あの老人がそっと手にしていた小さな祈りの珠を、海へと投げ入れた。

 珠は、水面で小さく光り、すぐに沈んだ。

 竜は、それを見届けたかのように一度まばたきをし、しずしずと海中へと沈んでいった。

 

 その後、船は嵐にも遭わず、最短航路でカスル諸島に到着した。波は穏やかで、風は追い、船員たちは口をそろえて「神の加護だ」と言った。

 私は最後にもう一度、海を振り返った。あの竜は、神なのか。守り手なのか。あるいは、見張り人なのか。けれど、はっきりとひとつだけ確信できることがある。

 ——あれは、生きていた。
 ただの幻ではない。大いなる意志を持った“存在”として、この海に今も生きているのだ。
 

──青月の季・東南航路にて記す
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