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第3章
彼の正体
しおりを挟むあれは、紛れもなく千秋さんだ。
会場から逃げるように出てきた私は扉を閉めた瞬間立ちくらみがして、近くの椅子に倒れるように座り込んだ。
壇上のマイクの前に立つ彼とは確実に目が合った気がした。不安げな表情を浮かべ真っ先にこちらへ視線を向けたのは、私があの場所にいると知っていたかのようだ。
何か言いたそうな顔をしていたけれど、私は耐えきれなかった。苦しくて頭の中がぐちゃぐちゃになり、誰かに助けを求めたかった。
「晴日ちゃん」
挨拶を終えたのかしばらくすると前方の扉から千秋さんが現れた。ストライプ柄の紺色スーツを着て、私がほんの一時間前まで見ていた姿だ。
「ちゃんと説明させて」
彼はゆっくりと近づいてくるが、私は反射的にフラフラと立ち上がり後ずさる。
「今は......話したくない」
恐怖すら感じるこの状況には涙目になり、体を縮こませながら自分の腕をギュッと掴む。
一歩下がるたびまた一歩近づいてくる彼は一定の距離を保ちながらずっとそこにいて、言葉を失う私は無心で首を横に振っていた。
「もう訳がわからないんです」
「晴日ちゃん」
「ウィステリア製薬の社長? 治験って最初からうちの病院と繋がってたってこと?」
震える声で言いながら、楽しくもないのにもはや笑うしかなかった。
「父を知ってたんですか」
私の運命は呪われているのだろうか。
この結婚は私がたどり着いた最後の光だと思っていた。
千秋さんがいてくれたから救われて、まだまだ彼の心には私が入る隙はほんの少ししかないけれどそれでもちょっとずつ築き上げてきた時間が私たちを夫婦にしてくれていると信じていた。
「この結婚もバーで出会ったのも全部偶然じゃなかったんですか?」
「落ち着いて。冷静になってちゃんと話そう」
そのとき記憶がフラッシュバックして、矢島さんと言い争った式場での光景が重なる。
「全部嘘だったの?」
千秋さんもまた私を同じセリフで引き止める。『落ち着いて』の一言がだんだんと恐ろしく聞こえてゾッとした。
真実がバレてから弁解し、あたかも興奮する私がおかしいのかと勘違いしそうになるほど冷静な彼らは私に秘密を作る。
「社長、緊急のお電話が」
「ああ」
会場から急いで出てきた秘書の女性は、私たちの様子を見てうろたえながら声を出した。
目の前で社長と呼ばれた彼は当たり前に返事をし、そこで全てが現実味を帯びた気がした。一瞬何かの間違いで全部夢だと思いたかった。
しかし私が知っていたのは彼のほんの一部分だけだったようだ。
「行ってください」
「いや、でも」
「もう話すことなんてないから」
彼を突き放し、足早にその場から立ち去る。
ホテルを出て無心に歩き続けたら、土地勘がなく今どこにいるかさえ分からなくなってしまった。
私は近くの駅から電車に乗り行き着くままに歩いたら、なぜだか零士さんのバーの前に来ていた。
今まで何かあるたびにここへきていた癖はいまだに直っていない。でも今日こそは来るべきではなかった。
中に入るわけでもなく行き場を無くした猫のように入口の前で立ち尽くす。しばらくして扉が開く気配を感じたらまた行き場を失ってしまった。
零士さんに見つかる前にと逃げた私は、マンションへ帰れるはずもなく駅前のカフェに入った。
糖分欲しさに頼んだとびっきり甘いクリーム入りのラテは一番大きいサイズを頼み、少しだけ後悔した。
小さなスプーンでクリームをちまちまと掬い、そんな自分の姿が目の前の窓ガラスに反射して急に虚しさを覚える。
結局私は籠の中の鳥なのだ。
もう出資の必要がないと聞いて、もう病院を救う手立てがないのだと落胆し自分を責めた。
しかし今日見た父は私の想像に反して生き生きとしていて、病院の危機とは思えない。
何も知らなかった自分が馬鹿みたいに思え、千秋さんの口車に乗せられて家族への愛を信じたなんて笑えてくる。
そんな感情が私の中にあるはずもなかったのに――。
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