1 / 5
序章
雪下の名
しおりを挟む
雪は、無音で降っていた。
真っ白な空から大粒の雪がはらはらと降り、大地を真っ白に染めている。
大地にそびえ立つ雪嶺山の頂は白に閉ざされ、天地の境が溶けあっていた。
沈景真は石段の下に膝をつき、額を地に伏せていた。
額から流れていた血はすでに止まり、寒さだけが残っている。だが、彼は身じろぎ一つしなかった。
―――まだ、終わっていない。
「名は」
頭上から落ちてきた声は、澄んでいて、冷たかった。
沈景真は唇を噛み、答える。
『沈……景真、です』
一拍の沈黙。
雪の向こうに立つ人物は、白衣をまとい剣を背負っていた。洛玄。修真界において、その名を知らぬ者はいない。
正道の象徴。
清廉無比。
情を断ち、道を極めた仙師。
「なぜ、ここにいる」
試すような問いだった。
沈景真は、ゆっくりと顔を上げたとき、そこにあったのは、冬の深夜の海をそのまま切り取ったような、深く冷たい藍色の瞳だった。定規で引いたかのような直線的な眉と、彫りの深い眼窩に落ちる濃い影が、洛玄の顔立ちを彫刻のように端正に、そしてひどく非人間的なものに見せている。
その瞳は光を捉えながらも、一切の感情を反射しない。まるで、深い湖底に沈んで二度と浮かび上がってこない氷塊のように、ただ静かに、冷たくこちらを射抜いていた。
短くない時間、雪の上に座していた沈景真の睫毛に雪が積もり、視界は滲む。それでも目だけはけっして逸らさない。
『弟子に……していただきたく』
周囲の空気がわずかに張り詰めた。
清嵐宗の本拠地がある雪嶺山は誰でも登れる場所ではない。ましてや、洛玄が弟子を取ることなど、何年もなかった。
「理由は」
『……ここなら。正しくなれると思いました』
洛玄は沈景真を見下ろしたまま、しばらく動かなかった。その瞳は、氷湖のように静かで底が見えない。
「修行は厳しい。情を持てば、道を誤る」
『それでも構いません』
即答だった。
雪が、風に舞った。
洛玄の指が、わずかに動く。
「……立て」
短い命令。
沈景真は、何度か足を滑らせながらも立ち上がった。
その瞬間、洛玄は彼の脈に触れた。
――重い。
霊根は歪み、体内には不穏な気配が渦巻いている。
このまま放置すれば、いずれ魔に喰われる器だ。
「……厄介なものを抱えているな」
『はい』
沈景真は、なぜか微笑った。
『だから、ここに来ました』
洛玄は、手を離した。
「今日から、お前は私の弟子だ」
その言葉が発せられた瞬間、沈景真の胸の奥で、何かが静かに音を立てた。
救われた、と思った。
同時に――縛られた、とも。
洛玄は背を向け、歩き出す。
「沈景真」
呼ばれ、息を呑む。
「道を誤れば、私が斬る」
振り返らぬままの声。
沈景真は、深く頭を下げた。
『――それでも、清嵐宗へ入門します』
雪は降り続ける。
この日から、師と弟子の名の下に決して清くは終わらぬ因縁が、静かに始まった。
真っ白な空から大粒の雪がはらはらと降り、大地を真っ白に染めている。
大地にそびえ立つ雪嶺山の頂は白に閉ざされ、天地の境が溶けあっていた。
沈景真は石段の下に膝をつき、額を地に伏せていた。
額から流れていた血はすでに止まり、寒さだけが残っている。だが、彼は身じろぎ一つしなかった。
―――まだ、終わっていない。
「名は」
頭上から落ちてきた声は、澄んでいて、冷たかった。
沈景真は唇を噛み、答える。
『沈……景真、です』
一拍の沈黙。
雪の向こうに立つ人物は、白衣をまとい剣を背負っていた。洛玄。修真界において、その名を知らぬ者はいない。
正道の象徴。
清廉無比。
情を断ち、道を極めた仙師。
「なぜ、ここにいる」
試すような問いだった。
沈景真は、ゆっくりと顔を上げたとき、そこにあったのは、冬の深夜の海をそのまま切り取ったような、深く冷たい藍色の瞳だった。定規で引いたかのような直線的な眉と、彫りの深い眼窩に落ちる濃い影が、洛玄の顔立ちを彫刻のように端正に、そしてひどく非人間的なものに見せている。
その瞳は光を捉えながらも、一切の感情を反射しない。まるで、深い湖底に沈んで二度と浮かび上がってこない氷塊のように、ただ静かに、冷たくこちらを射抜いていた。
短くない時間、雪の上に座していた沈景真の睫毛に雪が積もり、視界は滲む。それでも目だけはけっして逸らさない。
『弟子に……していただきたく』
周囲の空気がわずかに張り詰めた。
清嵐宗の本拠地がある雪嶺山は誰でも登れる場所ではない。ましてや、洛玄が弟子を取ることなど、何年もなかった。
「理由は」
『……ここなら。正しくなれると思いました』
洛玄は沈景真を見下ろしたまま、しばらく動かなかった。その瞳は、氷湖のように静かで底が見えない。
「修行は厳しい。情を持てば、道を誤る」
『それでも構いません』
即答だった。
雪が、風に舞った。
洛玄の指が、わずかに動く。
「……立て」
短い命令。
沈景真は、何度か足を滑らせながらも立ち上がった。
その瞬間、洛玄は彼の脈に触れた。
――重い。
霊根は歪み、体内には不穏な気配が渦巻いている。
このまま放置すれば、いずれ魔に喰われる器だ。
「……厄介なものを抱えているな」
『はい』
沈景真は、なぜか微笑った。
『だから、ここに来ました』
洛玄は、手を離した。
「今日から、お前は私の弟子だ」
その言葉が発せられた瞬間、沈景真の胸の奥で、何かが静かに音を立てた。
救われた、と思った。
同時に――縛られた、とも。
洛玄は背を向け、歩き出す。
「沈景真」
呼ばれ、息を呑む。
「道を誤れば、私が斬る」
振り返らぬままの声。
沈景真は、深く頭を下げた。
『――それでも、清嵐宗へ入門します』
雪は降り続ける。
この日から、師と弟子の名の下に決して清くは終わらぬ因縁が、静かに始まった。
0
あなたにおすすめの小説
病み墜ちした騎士を救う方法
無月陸兎
BL
目が覚めたら、友人が作ったゲームの“ハズレ神子”になっていた。
死亡フラグを回避しようと動くも、思うようにいかず、最終的には原作ルートから離脱。
死んだことにして田舎でのんびりスローライフを送っていた俺のもとに、ある噂が届く。
どうやら、かつてのバディだった騎士の様子が、どうもおかしいとか……?
※欠損表現有。本編が始まるのは実質中盤頃です
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる