世に万葉の花が咲くなり

赤城ロカ

文字の大きさ
上 下
11 / 68
第2章

しおりを挟む
 結局ハルからもらったコンドームは使わなかった。財布に入れたまま金運アップのお守りとなった。
 家に着くと俺は帰り際にアキからもらったストラップを箱から出した。パンジーの花のストラップだった。俺はネットでパンジーの花言葉を調べた。「純愛、私を想って」らしい。
 アキが焼いてくれたクッキーを食べながらなにをするでもなく二人で過ごした。ビリー・ジョエルやカーペンターズを二人で聴いていた。そうしながら俺はアキが喋るのを聞いていた。ぽつりぽつりと、アキは自分のことを話した。学校の友達のこと、家族のこと、今日焼いたクッキーのこと……。アキは花屋をやりたいと言っていた。花そのものも好きだけど、人が花を買うときも好きなの。花って、なにかその人にとって特別な日に買うのだから、わたしはその人のその日が、もっと素敵になるように力を貸したいの。
 聞きながらも俺は財布の中のコンドームが頭の中でチラついた。アキはテーブルを挟んで向かいに座っていた。せめて隣どおしであればと近づこうと思ったが結局そうはしなかった。今日ではないな。アキの声を聞いているとそれだけで心が満たされた。それでいいんじゃないかと思った。
 だけど心のどこかで名状し難いぼんやりとした不安のようなものもあった。本当にこのままでいいのだろうかと、流れのない水がしだいに澱んでいくように俺たちの歩みもいつかは止まってしまうのではないか。
『いまこそ思い出を作るときだよ この時は永遠には続かない』
 いつか終わりが来るのならいま終わりにしてもよさそうだなとふと思った。アキのことは好きだし一緒にいると楽しかった。でも心の隅に変な不安を抱えたまま生活するのは少なからず億劫だった。
 幸せなはずなのに、なぜか俺は悲しいふりをしていた。そうしているほうが自分らしいというか、どこか安心できた。もちろん、アキといるのは楽しいが、じゃあまたねとアキと別れた瞬間にとてつもなく怖くなった。自分が自分でいられなくなるような、道化師がメイクを取ったときのような一抹の寂しさが襲いかかってくるのだった。
 俺は煙草に火をつけてと大きく煙を吐き出した。それから立ち上がるとバッグから財布を出して、コンドームを手に取った。淡いグリーンのパッケージに入ったそれを見ていると、ほんやりとした霧のようなきらめきが晴れていって、もっと生々しくて少しばかりの嫌悪感を伴う想像が浮かんできた。
 コンドームを見ながら俺はアキの裸を想像した。あんまり膨らんでいない胸、華奢な腰、それからたぶん生えているのであろう陰毛……手入れとかしてるのかな、などど想像した。でもそれはどこまでいっても現実感はなく、性的な興奮をすることもなかった。
 抱きしめたり、キスをしたりすることはあったがそれは情念に背中を押されてというよりは、ここでしなかったら彼女が不安になるだろうなというような、どこか冷めた判断からだった。
 俺は心からアキが好きなわけではないのではないか。
 それならそれでいい。俺は煙草を消すと、携帯電話を手にとった。

しおりを挟む

処理中です...