世に万葉の花が咲くなり

赤城ロカ

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第10章

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 俺たちはそのままライブハウスの近くの居酒屋に入った。ヴォーカルだけはもう自分は脱退したからと別れた。二人ともエリック・クラプトンが好きで、俺が『ランニング・オン・フェイス』をやったときに一緒にやりたいと思ったのだと言う。
 ベースとドラムは俺と同い年で二人とも学生だった。ヴォーカルだけ歳が離れていたが三人とも同じ大学だった。サークルで組んだバンドだと言っていた。
 話を聞いていると俺の入っていたサークルとは違って、積極的にライブハウスでの企画を打ったり学内でライブをやったりと、真面目に活動をしていた。
 バック・ドア・マンはこうして学外でも活動をしているもののいまいちパッとせず、ほかのバンドからライブに呼ばれたりしていたがこのまま続けていてもなあなあのままだとメンバーは思っているらしかった。
 俺はキッド・スターダストの名前を出した。あのバンドは一線を画するバンドだと。その名前は二人も知っていて格が違うと口を揃えていうのだった。
 確かに、なんというかキッド・スターダストは持っている。それが具体的になにかとはわからないが確実にほかのバンドにないものを持っている。
 なにが違うのだろうと俺たちは考えた。なにが違う、そもそも全てが違うのだろうがそこでじゃあしょうがないよねと済ませてしまいたくはなかった。でもいくら考えてみても結局答えは見つからなかった。
「ところで」俺は言った。「空のような目ってどんなバンドなの?」
 ああ、とドラムが言った。
「対バンが気に入らないと今日みたいにバックれんだよね。確かにすごいバンドだとは思うけど……なんていうの、天狗になってるっていうかね」
「キッド・スターダストと対バンやったりしてるらしいじゃん」
「あー、仲はいいらしいけどね。んーでも、あんま好きじゃないなあ」
「空のような目は?」
 ドラムが頷いた。
「まあ、ロックといえばそうなんだろうけどね」
 ベースが笑いながら言った。
「時代錯誤だよ」
 ドラムはそう言うと残ったビールを飲み干した。ベースはまあねえと梅酒に口をつけた。
 二人とも酒が強かった。俺はどうにか意識を保とうと必死で目を開けていた。しかし夜明けごろには寝ていて、気がつくと駅前の道で二人に身体を揺り動かされていた。
「俺たちはこっちだから、帰るぞ」
 俺が目を覚ましたのを確認すると二人はそう言ってどこかへ行ってしまった。身体がだるくて頭が痛い。それに気持ち悪い。口の中はウイスキーの臭いがした。でもウイスキーなんて飲んだ記憶はなかった。なにかやからしてないか心配だった。
 どうにかこうにか立ち上がったものの吐き気がして俺は壁に手をつくとその場でゲロを吐いた。酒臭くてそれでさらに吐き気を催した。胃の中がからっぽになってもげーげーやっていた。息を吸うのを忘れて吐こうとしていたから苦しくなった。それで気がついたように深呼吸をした。するとまたゲロが出そうになった。
 駅に向かう人たちが俺を避けるようにしながら構内に入っていく。それを気にしている余裕はなかった。褐色のゲロを足元に撒き散らかした。靴が汚れた。そしてそのまま俺は力尽きた。コンクリートに頭を打ったような気がしたが痛みはなかった。生ぬるくてべちょべちょした感触が頬にあった。汚ねえなと思ったがそれ以上は考えられなかった。
 やけに寒かった。地面のゲロが冷えて頬から体温を奪われていく感じがした。立たないとと思ったものの身体のどこにも力が入らなかった。ぼやけた視界にちらほらと遠巻きで俺を見ている人たちが映った。
 急にまた吐き気がこみあげてきた。俺はそのまま横向きに寝た体勢で吐いた。液体が頬から顎、首筋を伝っていくのがわかった。もうダメだ。なんでもいい。どうにでもなれ。
 汚物にまみれて人から避けられていると屈辱を通り越したまた違った感情が芽生えた。開き直るのとも少し違う感情だった。そこには悔しさも恥ずかしさもなかった。本来もっとも忌むべき境地に俺はいた。
「大丈夫か?」
 遠くでそう声が聞こえた。頬を叩かれた。誰かが面白半分で声をかけたのか。そう俺は思った。
「おい、しっかりしろ」
 もうどうにでもしてくれ。返事をする気にもならなかった。
「……しょうがねえな」
 急に身体が軽くなった。頭が異常に痛んでグルグルと回っている感覚がした。俺はまた吐いた。マジかよとすぐ横で声がした。
 俺は突き飛ばされてそのまま崩れるように横になった。柔らかくて温かい場所だった。
 バタンと一瞬その空間が揺れて俺は目を開いた。
「気がついたか」
 霧が晴れるように視界が鮮明になっていく。車の中だった。バックミラーに顔が映っていた。ハルだった。
「なんで……」
 俺は絞り出すようにそう言った。なんでここにハルがいるんだ?
「お前が呼んだんだろ」
 俺が?
「覚えてねえのか。まあ、いいや。帰るぞ」
 エンジンがかかり車が動き出した。
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