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第2章 英雄の儀式

英雄の儀式(2)

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 黄緑色に淡く光る苔が空洞を静かに照らす。頭上から地面に滴り落ちた水滴が長い時をかけて石筍を生み出す。乳白色の突起が連なる様は、自然が作り出した絶景と言おうか。

「あんな所に剣が」
「ここがニム島の中心部だ」

 鍾乳洞の中心に、悠然と剣が突き刺さっている。間違いない、あの金色の剣が英雄の剣。十年前に、僕達のように試練を受ける者が持ち帰った剣だ。
 水龍ハシャトルガ。汝封印されし時、地に深き穴をうがちながら、底へと落ちた。三日三晩降り続いた雨は穴を埋め、やがて湖と成した。そこに座するはハシャトルガ。剣が貫き、深き眠りに就いた――

「ということは、ここが湖の真下になるのかな」

 剣が作り物だと分かっていても、足取りが覚束なくなる。剣まであと一歩というところで、クランは左足の裏に違和感を覚えた。足を上げると、弾力のある細くて白いものが潰れかかっていた。

「あれ、こんな所にもイモリがいる」
「こいつはホライモリだ」

 クランの足裏と同じくらいの大きさの生物は、石筍と見分けのつかない色で、体から透けて見える華奢な骨に、皮膚と同化した小さくて円らな眼が特徴的である。日の光が射し込まない洞窟だ、おそらく時間をかけて、徐々に環境に適応したのだろう。

「この洞窟の主か」

 二人を警戒したホライモリは、か細い体をくねらせて瞬時に石筍の影に隠れた。

「どうやら只では剣を渡してくれないようだな」

 剣を構えるラザーに対して、クランは目を白黒させる。状況を飲み込めないでいると、彼は冷静に背中を合わせ、

「気をつけろ、来るぞ」

 連携戦の始まりを告げた。十歳で組み分けが行われる前に、村の子供達は基本的な体術を習う。個人戦の場合は対戦相手と顔を合わせ、連携戦は仲間と背中合わせをする。後者には、互いに背中を任せるという意味が込められている。
 クランが武器を構えると同時に、わらわらと石筍の間を縫ってホライモリが湧き出てきた。数は計り知れず、まるでミルクの波が押し寄せてくるよう。
 何百ものホライモリは、次々と積み重なり、瞬く間に一体の巨大イモリへと変化した。

「あれが親玉!?」

 前線で立ち向かうクランに、後衛でじっと敵の出方を窺うラザー。
 斬っても斬ってもきりがない。寧ろ始めより数が増えていないか? 力任せに敵を斬り付けていては、体力を消耗するだけ。凶暴化する敵にどう立ち向かえば良いのか。クランは走りながら、思考を巡らせようとする。
 敵も負けじと攻撃を繰り出してくる。巨大イモリの口からしきりに吐き出される緑色の液体は、湯気を出して周囲の岩石を溶かす。毒の攻撃をかわすだけで精一杯だ。

「どうすれば……」

 子イモリは身軽な体を活かして毒を避け、親玉に合体しようとする。

「ら、ラザーっ!」

 彼に親玉が放った粘液が直撃した。みるみる彼の体は石像のように白くなり、しまいには動かなくなった。
 石化する前に、こぶし大の玉が袖口から転がり落ちた。淡く翡翠色に煌めき、怪物の足下に紛れ込んだ。

 ――親父の形見だ。

 ラザーは幼い時に両親を亡くしたという。そういえば、アスリー先生が彼を養子として引き取ったと母さんが言っていた。
 彼はあの玉を片時も離さずに持っていた。僕だって、父さんを忘れたくない。母さんから預かったペンダントは、大切な宝物だから。

「ラザーの形見を!」

 奮起したクランは剣を振り回しながら、湧き出る子イモリを振り払い、親玉に急接近した。滑り込んで敵の足下に入ると、空いている方の手で素早く玉を拾った。敵の増援を覚悟で、怪物の腹部を切りつけ、そそくさと元の立ち位置に戻った。
 バランスを失った親玉は傷を舐めるように態勢を整えた。

「くっ……何度やっても」

 汗が目に入り、焦る。反射的に、親玉の攻撃を避けると、背後に立っているラザーに毒がかかった。
 やにわに、毒で緑色に変色した彼の顔にひびが入る。次々と割れ目が全身に広がると、石を砕いて中から彼が出てきた。

「ラザー!?」

 嬉しさと驚きが同時にやってきて、思わず剣を取り落としそうになる。友の冷めた表情は変わらない。ラザーは衣に付いた石粉を払い落とすと、

「クラン、奴をやるなら今だ」

 杖を構え、怪物に向けて意識を集中させた。刹那に、杖は浴びた毒と同じ鮮やかな緑に輝き、光は彼の全身に広がった。

「もたもたしている暇はない」

 分かっている。彼はきっと突破口を見出したに違いない。

「いいか、俺が合図したら、お前は剣を振り上げて敵に飛びかかれ。そうしたら、お前に力を送る。力が最大になったら、敵の頭部に突き刺せ」

 どんな策があるのか分からないけど、やるしかない。不思議なことに、踏み出す足は軽く、毒を避けるのが容易になった。親玉に急接近する。

「今だ」

 出力は最大。ラザーの体は毒々しいくらいに明滅している。合図を受けて、親玉の頭上目がけて飛びかかった。同時に、剣の切っ先に引っ張られんばかりの力を感じた。

「うおりゃーっ!!」

 体が焼けんばかりに熱い。彼の魔力はこんなにも強力なのか。魔力は、精神力の強さに比例するという。ラザーは並々ならぬ精神の持ち主なのかもしれない。
 クランは力に押し潰されないように歯を食いしばり、剣を敵の頭に突き刺す。間髪入れずにミミズ腫れが生じ、一瞬にして全身に広がった。
 毒が全身に回ったのだろうか。親玉は子イモリを巻き込みながらもがき苦しむ。危険を察して、クランは宙返りをして敵から離れた。

「己の毒に蝕まれる気分はいかがかな? ま、雑魚には分からないと思うが」

 鼻で笑うラザー。怪物は泡を吹きながら、みるみる縮んでいった。

「やっつけたのかな」

 怪物は幻だったのか。死骸も何も残らなかった。最初と同じく、空洞の中心に英雄の剣が刺さっているだけだ。

「それにしても、ラザーは凄いな。あのイモリをやっつける方法を思いついたんだから」

 クランはじんじん痺れる両手を揉み合わせて、感覚を取り戻そうとする。

「お前、親玉が放つ毒に子イモリが逃げることに気付いていたか?」
「うん、あんな毒にやられたら、一溜まりも無いからね」

 にこにこ答えると、ラザーは呆れた眼差しを向け、

「お前は馬鹿か? 親玉は子イモリの集合体で、その子イモリは毒を嫌って逃げる。つまり集合体の親玉にも毒は有効だ」
「ということは、僕は親玉の毒で攻撃したと……」

 ますます手の痺れがひどくなるように感じる。

「まさか自分も毒を受けたと思っているのか? 俺はそこまで単純じゃない」

 彼が淡々と放つ言葉に、追いつけない。

「俺が奴にやられて石化しただろう。あれは芝居だ」
「な、なに?」
「俺が奴の毒をそっくりそのまま返すには、実際に毒を浴びる必要があった。だが、まともに浴びていたら、命がいくつあっても足りない。お前は見ていたか? 奴の毒が周囲の物を溶かすところを」
「あの毒には、石化させる働きがない」
「そうだ。俺は中和の魔法で解毒し、奴の毒の性質だけ頂戴した。おかげで、この毒への耐性が出来た。お前がぴんぴんしていられるのは、俺が耐性を付加した毒を送ったからだ」

 そうなんだ……と頷きながらも、クランは呆然としていた。

「ま、お前のようなお子様には分からない話だ」

 毒を以て毒を制してやろうと、ラザーは考えたのである。前線で攻撃するクランと逆の行動をしていたわけは、やはり敵の出方を探るためだった。つまりクランは囮として利用されたのだ。だが、右手を差し伸べ、

「親父の形見を守ってくれたのは感謝する」

 と礼を言った。玉を受け取る白い手の平には、たこの跡が見える。

「僕だって同じだから」

 左手を出して、握手した。いつだって父さんを忘れたことはないよ。彼も同じように感じていてくれたのが嬉しかった。二人が互いの存在を認めた瞬間だった。
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