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第2章 英雄の儀式

英雄の儀式(1)

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 密林地帯。シャン島は儀式の日以外には人が立ち入らない場所だった。二百年という月日は過去の爪痕を隠していた。生い茂る下草を剣で刈りながら、クランとラザーは森の奥に進んでいく。
 しかし、行けども行けども、出口は見つからない。遠目には小さな島だが、実際は広いのか。

「ラザー、僕達って道に迷ったのか?」
「馬鹿言うな。俺は『フェリアの祠』の位置を知っている」
「何だって?? シャン島には入ってはいけないって……」

 草を刈ろうと腕を振り上げたまま、クランは立ち止まった。

「君は掟を破ったのか!?」
「お前は俺の言うとおりに先に進めば良い」

 いかなる相手にも冷静に接するのがラザーのやり方だ。にべもない物言いと、背中に突き刺さる痛い視線に堪えられず、黙って従った。

 しばらく無言のまま先に進むと、甘ったるい香りが鼻をくすぐった。足下を見ると、赤い花が咲き乱れている。

「この花は何だろう?」

 初めて見る花。ニム島では見かけなかったけど、シャン島では群生しているのだろうか。鮮血を彷彿させる真っ赤な花弁に、思わず目を背けたくなるが、好奇心が勝って、クランは花びらに触れようとした。

「安易に触るな」

 ラザーは咄嗟に花の前に立ちはだかると、少年を後ろ手に押し倒した。というよりも、かばった。

「え?」

 純白のローブの裾に微かに触れた花弁は、更に赤みを増す。裾を見れば、花に触れた部分から煙が立ち、黄色に変色している。

「俺の服を見れば、分かるだろ。こいつはミズスイ草といって、生気を吸い取る恐ろしい花だ。直に触れていたら、お前は干からびて死んでいた」

 声色一つ変えずに淡々と言うものだから、クランは縮み上がった。先程は目に入らなかったが、花の回りに生えている植物は枯れて茶色くなっている。これもハシャトルガの呪いなのか。

「こんなおっかない花が咲いているのは、恐るべき魔物と関係あるのかな。それに、どうして花の名前まで知っているの?」
「祠はすぐそこだ、行くぞ」

 ラザーは問いに答えず、無表情のまま、花を避けて先頭に立った。
 フェリアの祠と呼ばれる場所は、本当にこの島にあるのだろうか。彼の言葉がいまいち信用できなかった。



 密林の開けた所に、小さな洞窟がある。岩陰から、暗闇がひっそりと顔を覗かせている。

「ここだ」

 そう言うなり、ラザーは腰を曲げて、岩の割れ目に入っていった。一人が辛うじて入れるくらいの穴で、クランも身を屈めて続いた。
 狭い入口に反して、中は案外広い。入口から射し込む僅かな光が空洞をぼんやりと照らし出す。ひんやりと心地よい空気が立ちこめ、外から吹き込む風が岩壁に反響して、ハミングに聞こえる。
 暗闇に目が慣れると、辺りの様子が徐々に明らかになった。四角く切り拓かれた空間の最奥には、石で出来た台形の祭壇が設えられている。顔一つ分くらいの大きさの丸い鏡が立てられ、二人を静かに映し出す。

「英雄の剣はどこにあるんだろう?」

 ざっと見回しても、それらしきものは見つからない。ピタリと、滴った滴がいたずらにクランの額を舐めた。

「うわぁっ」

 間が抜けた声を上げて飛び跳ね、勢い余って壁に背中をぶつけそうになった。うろうろ歩き回って、何らかの手がかりを見つけようとするクランとは対照的に、ラザーは祭壇の前に跪いた。

「おい。ここに来て、見ろ」

 呼ばれて、そろそろと隣にしゃがむ。彼は台の正面に浮き出た二つの印を指差した。

「太陽と月。これをどこかで見た覚えはないか?」
「……あ」

 ややあって、クランは剣を抜こうとして、動きを止めた。持ち手を指でなぞり、石突きに刻まれた印に触れた。

「そうだ。お前の太陽と俺の月がこの迷宮の扉を開く」

 ラザーは杖の先を祭壇の印に重ね合わせた。三日月の印は、出っ張りに吸い寄せられるかの如く填まった。一部始終を見ていたクランも倣う。
 二つの紋章が合わさる時、カチリと乾いた音がして、出し抜けに祭壇が後方に動き出した。物々しい地響きを伴い、真四角の穴が現れた。

「隠し階段が」

 地下へと続く石段が姿を現し、深い闇が二人を誘う。強い磯の香りが鼻腔を刺激し、湿り気のある風がクランの前髪を吹き上げた。

「躊躇っている暇はない」

 ラザーは淡々と呪文を唱えて杖に明かりを灯すと、足早に階段を下り始めた。
 この下にはいったい何が――呆然としながら、彼の姿が闇に消えるのを見つめた。

「おい、何もたもたしている? お前が来ないと始まらないだろうが」

 間もなく苛立ちを含む声が下から聞こえてきた。不安を抑え、覚悟を決めて、クランは階段を下りた。
 一直線に続く階段を降りていくと、僅かながら体が押し潰されるような感覚に見舞われた。それもそのはず、実際に体には強い重力が掛かっているのだ。
 何十メートル降りたのだろうか、息苦しくなってきた。地底は空気が薄く、息切れしやすくなるという。日々鍛錬する理由はここにあったのかと、クランは一人納得した。

「出口か?」

 地底に着くと、前方に青白い光が見える。足を踏み出す度に光は強くなり、明かりで道を照らす必要がなくなった。一本道の左右には、つららのように尖った岩が列柱を形成している。石柱の間には深海が見え、海面から射し込む日光が反射して、光のカーテンを形作っていた。
 ここは別世界だろうか。色とりどりの魚群はまるで二人の来訪を歓迎しているようだ。

「凄い……シャン島の下がこんなになっているなんて」
「正確には、砂の道の真下だ」
「僕達がシャン島に行く時に通ってきた道なんだね」

 うまく言葉に言い表せなかった。幼子のように物珍しげに左右を見回し、何か見えない力に引き寄せられるかの如く、クランは右側に近寄った。

「それにしても、どうして海の中にいるのに浸水しないんだろう?」

 もしここが水中なら、息ができない。けれども、何とか呼吸できている。

「左右が壁になっているからだ」
「壁だって? どう見ても海だよ」
「触ってみれば分かる」

 疑わしくも、クランは恐る恐る右手で深海に触れた。すると、指先が触れた部分から水紋が広がり、地面に達する前に消えた。もう一度触れてみても、同じだった。どうやら深海の水面に膜が張られ、こちらへの浸水を防いでいるようだ。

「これもフェリア様の力なのかなぁ」

 精霊の力ここにあり。何百年という長き時を経ても尚、言い伝えの中の奇跡が今ここに息づいている。

 ふと魚影の向こう側に、大きな船が横たわっているのが見えた。船は海底にくすぶる闇を吸い込んで、怪しげに黒光りしている。

「こんな所に沈没船が」
「船体の損傷はひどくない」
「そんなことないよ。壁は剥がれているし、マストも折れている。それに、苔だってむしている」
「長い間海水に浸かった木は腐る。これが二百年前なら、跡形もないだろうな。船底を見ろ、竜骨がしっかり残っている。まだ沈没してからそれほど年月が経っていない証拠だ」

 ラザーは妙に熱を帯びていた。でもここ何年か、島に船が上陸したという記録は残っていない。何度か時化が続いた年もあったが、難破船が漂着したという知らせはなかった。

「十年前のことを覚えているか?」
「十年前? ええと……」

 唐突に彼の口から出た言葉。僕が五歳の時は――考えるや否や、彼の眼差しが険しくなった。切っ先のように鋭い視線は、沈没船からもと来た道へと向く。杖を構えると同時に、背後から狼の群が襲ってきた。

「ケルンだ」

 大きさは大型犬、頭部には丸まった角が二本生え、口から鋭い牙が飛び出している。跳ね上がった尻尾を左右に振り、薄紫の毛に覆われた肢体を揺らしながら迫ってくる。

「ま、魔物!」

 ケルンは紫色のまなこ爛々らんらんと光らせ、けたたましく吠える。ざっと数えても、三、四匹はいる。
 縮まる距離。クランは迷わず剣を抜こうとしたが、ラザーが制止した。

「馬鹿、奴を斬り付けようとするな! 飛び散った血の臭いが仲間を呼ぶぞ」

 いきなり馬鹿って。今度は攻撃呪文を唱える構えを取ろうとするものの、

「お前が得意な炎も同じだ」

 武道会といっても、単に体術や武術を鍛えるだけではない。少々の魔法も使えなくてはならない。同様に、魔法会もそこそこの体術を習得している。何事もバランスが大事だ。
 それなのに、剣術も魔法も使ってはいけないとは、彼はどうするつもりか。

「ここは湿気が多い。火など燃やしたら、不完全燃焼を起こし、敵をほふるどころか俺達が死ぬ」
「どうすれば」

 困惑するクランを尻目に、ラザーは杖を頭上高く掲げ、高らかに呪文を唱えた。

「まばゆき光よ、地を照らせ!」

 詠唱が終わらないうちに、杖の先から眩い光が放たれる。あまりの眩しさに、クランは目を開けていられない。
 間近に迫る獣の群。しかし、海底に反響する吠え声は、ぷつりと途絶えた。
 目蓋の奥まで入り込まんばかりの光が収まり、目を開けてみると、ケルンは一匹もいなかった。強烈な残像に目を瞬かせながら、

「あれ? ケルンは幻だったの?」

 とラザーに問うた。

「俺が高熱で気化してやった。闇の生き物は何に弱い? 光だ。光の力を増長させれば、効果は激増する。従って奴の血は一瞬にして蒸発し、臭いは残らない。始めからいなかったことになる」

 淡々と語る彼の面持ちは、またもや無表情だった。クランが見つめる先に獣の姿はなかったが、地面にはいくつもの黒い影が残されていた。
 十年前に、島で何があったのか。あの沈没船には何か秘密があるのか。
 ラザーに言われてから、ずっとクランの脳裏に膠のようにくっついて離れない。思い出したのは、ずっと胸の奥にしまっておきたい父の死だった。

 ――行ってくるでね。

 あの日の朝も、父さんはそう言って仕事に出かけた。
 瞼の裏に浮かぶ姿は、髪を少し伸ばした背の低いニムだった。でも、前髪をピン――母さんが作ったらしい――で留め、鼻の下に髭を生やしている。

 ――お母さん、どうしてお父さんは箱の中で眠っているの?

 手向けられた花は、父さんの足下から胸元まで隙間なく覆っている。
 大人達は、みんな沈んだ顔をしている。二列に並び、間をカーン様とトール先生が箱を担いで、厳かに歩く。向かう先は、ご先祖様が眠る墓。
 父さんは白い衣に身を包み、僕を含めて村のみんなは黒装束だった。

 ――お母さんっ! みんな! お父さんはどこに行くの?

 僕は逝ってしまう父さんを引き止めようと、しゃにむに箱にしがみついた。父さんの死を受け入れられなかった。すぐに箱の中から起き上がって、ただいまと言って欲しかった。夕焼けが尾を引きながら、次第に夕闇へと変化する。

 ――お父さんはね、遠い世界へ旅立ったの。私達より先に行ったの。

 母さんは子守唄を歌うように柔らかく話してくれたけど、打ち震えていた。今思い出せば、涙を堪えていたんだ。
 あれから数年経って、僕が稽古場に通い出すと、母さんは父さんの死について教えてくれた。浜辺を歩いていて、上から落ちてきた椰子の実に頭を打って亡くなったそうだ。打ち所が悪く、見つけた時には既に息を引き取っていたと。
 幼い頃の僕は、何の疑いもなしに母の話を信じていた。けれども、年が経つにつれて、腑に落ちないと感じるようになった。



 きゃっきゃっきゃっと、金切り声を上げながら、目の前を真っ黒なコウモリの大群が飛んでいく。

「伏せろ」

 暗闇はコウモリ達の住みかだ。特に光が射し込まない洞窟は、恰好の場所となっている。
 ラザーに促されてすぐに地面に伏せると、方々からやってきたコウモリは群集して、二人の頭上を飛び去った。

「あ、危なかった……」

 あんな大群に囲まれていたら、体中の血を吸い取られていたかもしれない。たまげて忙しなく喘ぐクランに、

「こんな時にぼんやりしているとは、お前本当に呑気だな」

 ラザーは呆れた表情で話しかけてきた。

「頭にコウモリの糞が付いているぞ」
「え、フン?」

 慌てて頭を振ると、小さな黒い塊が落ちるのが見えた。

「顔にも落ちたぞ」

 言われて、隈なく両手で顔を触って、確かめる。

「嘘だ」
「ミールみたいなこと言うなよ、まったく。あいつ、僕がラザーの足手まといになるって、みんなの前で大恥かかせてさ」

 思い出すだけで、体中がカッカしてくる。

「まさか魔法会でも迷惑かけているんじゃないか」
「いや、あの子は面倒見が良い」
「あり得ない。誰彼なしにからかっているに決まっている」
「俺には敵わないが、筋は良い」
「嘘だろ。妹だからって気使うなよ、あいつには言わないから」
「昨夜も、さっきの始まりもガッチガチだったな。何も聞こえてなかっただろ。お前が頼りないから、あの子は心配している」
「ミールがそう言ったの?」
「見ていれば分かる」
「あのさ、ラザーはミールが好きなの?」

 ひと言余計だったか、みぞおちに杖を突きつけられた。まずい、怒らせた。試練をやり遂げる前に、ラザーに討伐される。
 いっそう糞まみれになった方がマシだと思っていたら、彼の顔が不自然に引きつり始めた。何やら笑いを堪えているように見える。

「ほくろ」

 絞り出して言う彼の顔にほくろは付いていない。ということは僕か!
 視界の下、右頬にねっちりと黒い塊がくっついている。乾燥していないのが厄介だ。鼻をつまみ、払い除けるようにして、おさらばする。

「ま、俺はそんなお前の性格は嫌いじゃないな」

 と呟いて、はにかまんばかりに吹き出した。この言葉を善い意味で受け入れたら良いのか、あるいは逆か。それはさておき、彼の引きつった笑顔がおかしくて、クランもつられて笑ったのだった。
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