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第2章 英雄の儀式
恐るべき魔物
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「父さんは何かを知っていた。ラザー、君はどうしてこんな話を知っているんだ?」
僕はいったい――神に選ばれし者って、何。父さんは僕を守ろうとして死んだの? 本当に帝国軍人と戦ったの?
分からなかった。あの日、僕の知らなかった光景がありありと頭の中に浮かぶ。あの日の大人達はみんな僕に隠し事をしていた。いや、違う。僕は熱を出して、寝込んでいた。翌朝になって、父さんが亡くなったと。
ラザーが恐ろしく、一歩一歩後ずさった。背後に灰色の岩肌が迫る。能面のように色を変えない彼は、じわじわとクランとの距離を縮めていく。
「お前、本当に俺の話を聞いていたのか? 親父は、お前の親父に殺された」
岩肌を左手で撫で、
「同時に、親父はお前の親父を殺した」
見下ろされる。クランは恐怖で足がすくみ、狼狽える。
「親父は帝国の人間だ。皇帝の命を受けて、命懸けでここに来た。ハルは、それを阻止しようとした」
彼は繰り返し言う。
「父さんは」
不運で死んだんじゃない。あの日、棺に手向けられた花々は、フリークという帝国軍人にやられた傷を隠すためだった。
「今日までずっと、俺はあの日を一日たりとも忘れたことはない。親父を殺したハルを憎んでいる。おふくろは島で病にかかって死んだ。許さない」
何の前触れもなく地鳴りがした。岩肌に亀裂が走る。
「親父は死ぬ前に、俺に言った。後を頼むと。あの日から親父の跡を継ぐと決心した。親父が湖に蒔いたミズスイ草の種は十年かけて育ち、かの方に力を送り続けている。今、ハシャトルガの封印は解かれる!」
轟音を伴って、岩壁が崩落した。彼はクランに詰め寄ると同時に、壁に向かって魔力を送っていた。
露わになった奥の空洞には、根っこがびっしり生え、頭上から垂れ下がっている。送られた闇の力で肥大した根が壁を突き破ったのである。
「フフフ」
ラザーの視線の先にあるのは、地面に横たわっている白き龍だ。頭部には、ニムが用いた伝説の剣が刺さっている。
「あれがハシャトルガ!?」
英雄ニムとシャンが戦った魔物。人を動物に変え、使役していたという。
大きい。起き上がったら、椰子の木を優に超える。骨太の胴体は、目一杯腕を回しても掴めないだろう。二人がかりでようやく手をつなげるかもしれない。押し潰されたら、一巻の終わりである。
ラザーは白龍に歩み寄ると俯き、何の躊躇いもなく体に触れた。
「俺は闇の王に仕える者、漆黒のフリークの息子ラザーである。汝を解放に来た」
滑らかに指を這わせ、鱗をなぞる。もう片方の手で袖口から玉を取り出すと、龍の額にかざした。矢庭に、翡翠から紫紺へと変色した。
「ラザー、やめろ!」
驚怖を払いのけ、ラザーを引き剥がしに掛かるものの、微動だにしない。逆に、反動で尻餅をついた。
――ラザー、そなたに感謝する。
突然頭の中に響く女性の声。その刹那、龍の二つの大きな眼が見開いた。爛々とラザーの玉と同じ光を放つ眼は、クランを捉えた。
「うっ……」
息ができない。奴の眼力のせいか。まるで金縛りに遭ったかのように、身動きが取れない。
――そなたも、この剣が気になろう。
声は誘うように語りかける。母さんでも、アスリー先生でもない声色。耳から入って奥まで染み込む。伝説の剣を触ってみたくないか? 抜いてまた戻せば良いではないか? そなたに力を与えようぞ? もう頼りないとは言わせまい。
――わぁー、お兄ちゃん、英雄の剣を持ってきたんだね! すごい、本物の剣だなんて!
どうしてミールのはしゃぐ声が聞こえてくるのだろう。
――あのハシャトルガをやっつけるなんて、どうやったの!? 私が間違っていたよ、ラザーお兄ちゃんの足引っ張るなんて言って、ごめん。
――お前は俺の鑑だ。
――クラン、私の助手として、武道会を盛り立てていってくれないか? いや、今日から師範に。
矢継ぎ早に、村のみんなの声が頭の中を駆け巡る――従いたくないのに、体が勝手に動く。やおら立ち上がり、両手を伸ばして、歩み出る。ラザーは道を空けて跪き、クランを迎えた。
――さぁ、抜くのだ。
(やめろ)
広げた両手は柄をしかと握り、
(嫌だ、抜きたくない!)
心の声に反して、いとも簡単に剣は抜けた。偽の英雄の剣とは似て非なる物。本物はクランにあつらえられたかのように軽く、手触りが良く、柄は手の内にしっくり収まった。
どうしよう。剣先に映る己の顔を見つめて、身震いした。
ハシャトルガの頭の傷はみるみる癒えていく。横たわっていた体を起こし、鎌首をもたげて、しげしげと二人を眺め、見定める。
――ラザー。そなたの行いは闇の王に伝えよう。隣の者は……。
クランをしかと見つめたところで、言葉に詰まった。
(な、何だ)
――主に伝えなければ。
昂奮して、長き尻尾を縦横に振る。岩肌が砕け、雨あられと飛び散った。両足を屈めて力をため込むと、飛翔した。見るも無惨に天井が砕け散り、崩落の揺れに、クランは立っていられなかった。
穴の開いた天井から、滝の如く水が流れ落ちてくる。そうだった、この真上には湖があるのだった。逃げられない、水流に巻き込まれる。ここで死んでしまうのか。意識が遠退き、体が重たくなった。
僕はいったい――神に選ばれし者って、何。父さんは僕を守ろうとして死んだの? 本当に帝国軍人と戦ったの?
分からなかった。あの日、僕の知らなかった光景がありありと頭の中に浮かぶ。あの日の大人達はみんな僕に隠し事をしていた。いや、違う。僕は熱を出して、寝込んでいた。翌朝になって、父さんが亡くなったと。
ラザーが恐ろしく、一歩一歩後ずさった。背後に灰色の岩肌が迫る。能面のように色を変えない彼は、じわじわとクランとの距離を縮めていく。
「お前、本当に俺の話を聞いていたのか? 親父は、お前の親父に殺された」
岩肌を左手で撫で、
「同時に、親父はお前の親父を殺した」
見下ろされる。クランは恐怖で足がすくみ、狼狽える。
「親父は帝国の人間だ。皇帝の命を受けて、命懸けでここに来た。ハルは、それを阻止しようとした」
彼は繰り返し言う。
「父さんは」
不運で死んだんじゃない。あの日、棺に手向けられた花々は、フリークという帝国軍人にやられた傷を隠すためだった。
「今日までずっと、俺はあの日を一日たりとも忘れたことはない。親父を殺したハルを憎んでいる。おふくろは島で病にかかって死んだ。許さない」
何の前触れもなく地鳴りがした。岩肌に亀裂が走る。
「親父は死ぬ前に、俺に言った。後を頼むと。あの日から親父の跡を継ぐと決心した。親父が湖に蒔いたミズスイ草の種は十年かけて育ち、かの方に力を送り続けている。今、ハシャトルガの封印は解かれる!」
轟音を伴って、岩壁が崩落した。彼はクランに詰め寄ると同時に、壁に向かって魔力を送っていた。
露わになった奥の空洞には、根っこがびっしり生え、頭上から垂れ下がっている。送られた闇の力で肥大した根が壁を突き破ったのである。
「フフフ」
ラザーの視線の先にあるのは、地面に横たわっている白き龍だ。頭部には、ニムが用いた伝説の剣が刺さっている。
「あれがハシャトルガ!?」
英雄ニムとシャンが戦った魔物。人を動物に変え、使役していたという。
大きい。起き上がったら、椰子の木を優に超える。骨太の胴体は、目一杯腕を回しても掴めないだろう。二人がかりでようやく手をつなげるかもしれない。押し潰されたら、一巻の終わりである。
ラザーは白龍に歩み寄ると俯き、何の躊躇いもなく体に触れた。
「俺は闇の王に仕える者、漆黒のフリークの息子ラザーである。汝を解放に来た」
滑らかに指を這わせ、鱗をなぞる。もう片方の手で袖口から玉を取り出すと、龍の額にかざした。矢庭に、翡翠から紫紺へと変色した。
「ラザー、やめろ!」
驚怖を払いのけ、ラザーを引き剥がしに掛かるものの、微動だにしない。逆に、反動で尻餅をついた。
――ラザー、そなたに感謝する。
突然頭の中に響く女性の声。その刹那、龍の二つの大きな眼が見開いた。爛々とラザーの玉と同じ光を放つ眼は、クランを捉えた。
「うっ……」
息ができない。奴の眼力のせいか。まるで金縛りに遭ったかのように、身動きが取れない。
――そなたも、この剣が気になろう。
声は誘うように語りかける。母さんでも、アスリー先生でもない声色。耳から入って奥まで染み込む。伝説の剣を触ってみたくないか? 抜いてまた戻せば良いではないか? そなたに力を与えようぞ? もう頼りないとは言わせまい。
――わぁー、お兄ちゃん、英雄の剣を持ってきたんだね! すごい、本物の剣だなんて!
どうしてミールのはしゃぐ声が聞こえてくるのだろう。
――あのハシャトルガをやっつけるなんて、どうやったの!? 私が間違っていたよ、ラザーお兄ちゃんの足引っ張るなんて言って、ごめん。
――お前は俺の鑑だ。
――クラン、私の助手として、武道会を盛り立てていってくれないか? いや、今日から師範に。
矢継ぎ早に、村のみんなの声が頭の中を駆け巡る――従いたくないのに、体が勝手に動く。やおら立ち上がり、両手を伸ばして、歩み出る。ラザーは道を空けて跪き、クランを迎えた。
――さぁ、抜くのだ。
(やめろ)
広げた両手は柄をしかと握り、
(嫌だ、抜きたくない!)
心の声に反して、いとも簡単に剣は抜けた。偽の英雄の剣とは似て非なる物。本物はクランにあつらえられたかのように軽く、手触りが良く、柄は手の内にしっくり収まった。
どうしよう。剣先に映る己の顔を見つめて、身震いした。
ハシャトルガの頭の傷はみるみる癒えていく。横たわっていた体を起こし、鎌首をもたげて、しげしげと二人を眺め、見定める。
――ラザー。そなたの行いは闇の王に伝えよう。隣の者は……。
クランをしかと見つめたところで、言葉に詰まった。
(な、何だ)
――主に伝えなければ。
昂奮して、長き尻尾を縦横に振る。岩肌が砕け、雨あられと飛び散った。両足を屈めて力をため込むと、飛翔した。見るも無惨に天井が砕け散り、崩落の揺れに、クランは立っていられなかった。
穴の開いた天井から、滝の如く水が流れ落ちてくる。そうだった、この真上には湖があるのだった。逃げられない、水流に巻き込まれる。ここで死んでしまうのか。意識が遠退き、体が重たくなった。
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