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第3章 襲撃と蹂躙

寄合

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「皆さん、集まりましたかな?」

 外気が冷え込み、月が高く昇りきった頃。村外れにある集会場は重苦しい空気に包まれていた。木々が組まれた天井は丸屋根を形作り、頭上の空を背負っている。夜風が屋根裏に吹き込み、軋む音を立てる。
 大人達は円を作るように、内向きになって座る。不自然に空いた円陣の中央には、皆の視線が集まっていた。

「皆さんに急遽集まっていただいたのには理由があります。本日の寄合は、我らの島の未来を、否、世界の命運を懸けた話し合いになるからです」

 一転して、ざわめきが起きる。何、大それたことを言うんだ。それは本当なのか?と首を傾げる者、やはりなと頷く者と、反応は様々である。

「これから緊急寄合を行う」

 円の北側に座しているカーンが口を開いた。彼の両側に座っていたトールとアスリーが立ち上がり、円の中心に何かを置いた。
 それが現れた瞬間、一同は息を呑んだ。視線が集まる先には、整然と並べられた瓜二つの剣だった。

「アスリー師範、経緯を皆さんにお話ししてください」

 オホンと咳払いして、アスリーは腰を上げた。

「昨夜、武道会のクラン・ブール、魔法会のラザー・スーキンは、水の精霊フェリアの与えし試練の挑戦者として選ばれる。儀式は、本日早朝エクスの刻に始まった。二人は英雄の剣を手に入れるため、シャン島へ向かった」

 目の前にある二振りの剣は、どちらも英雄の剣である。一振りは試練に選ばれし者が携行でき、もう一振りは本来ならば、ここにあってはならない物だ。

「太陽が西に傾き、イムロイの刻十八時になろうとした時、異変が起きた。私は邪悪な気配が強まるのを感じ、水晶が示す湖へ行った。湖岸には赤き花が咲き乱れていた」

 アスリーの脳裏には、今でもはっきりと赤い残像が残っている。

「動物が一斉に騒ぎ出した。風が唸り、大地が揺れた。その時、湖の中心に向かって渦が巻き、白銀の龍が現れた」

 誰もが知っている恐ろしき龍。老婆の口から出てくる忌まわしき名前に、皆は黙って耳を傾けている。

「そう、ハシャトルガじゃ。しかし、龍は私を見ても、術をかけなかった。人を獣に変える呪いの力。どうやら龍は先を急いでいたようだ」

 急いでいた? その言葉に首を傾げる者は多い。

「この光景を目撃した者は多かろう。龍は水柱を立て、赤き花弁を余すところなく巻き上げて、北の空へと去った」

 血のように赤く染まった空。あの赤がアスリー師範の言う花だったのか。

「その直後だった。再び凪いだ湖面から二人が現れたのは。ラザーは無言で湖面に立ち、クランは両手に剣を握って横たわっていた。今、皆の目の前にある剣がそれじゃ」

 形も装飾も全く同じ。どちらが本物の剣で、あるいは偽物か、見た目では分からない。

「さて、本物の英雄の剣はどちらか」

 アスリーは自分から向かって左側にある剣を手に取り、コンコンと唾を叩いて柄から剣身を抜いた。茎の部分には、小さく『ミン・グーパー』と刻まれている。

「刀匠ミン・グーパーがこの剣を鍛えたことは、ここにいる誰もが知っている」

 ミンが鍛錬した英雄の剣は、二百年経った今でも輝きを失っていない。
 ミンは、ニムやシャンとともに、ハシャトルガに立ち向かった一人である。フェリアがニムに託した剣の輝きに惚れ、自身の手でその剣を作りたいと願った。

 ハシャトルガ封印後、ニムは彼に英雄の剣に模した物を鍛えるように依頼した。
 ミンは歓喜し、幾夜にも渡って、不眠不休で剣を鍛えた。出来上がった彼の剣を『英雄の剣』と呼び、本物と区別した。以後二百年、英雄の儀式には欠かせない祭具として用いられたのである。

「この剣は複製品じゃ。では、もう一つの剣は?」

 アスリーは右側の剣に手を伸ばし、柄を握って同じように剣身を抜こうとするが、びくともしない。それどころか、アスリーの顔には疲れの色が見える。
 柄から微細な放電が生じている。傍目には、彼女が魔法をかけているのではと見えるかもしれない。

「剣身を抜こうとしたが……抜けないどころか、自ら私の手から離れようとしたのじゃ」

 この剣は生きている。アスリーは剣を手放すと、深く呼吸した。痺れる拳を開くや否や、集会場にどよめきが生じた。彼女の手のひらは赤くただれていたからである。

「復活したハシャトルガの額には、剣が刺さっていなかった。だが、私は見た。額に一筋の刺し傷が付いていた。紛れもなくフェリアの剣の痕。ああ、復活してしまったのじゃ」

 大昔の話。神が勇者に遣わした剣は、稲妻に似た眩い光を放ったそうだ。魔族から世界を救った後、大陸の一王国に保管されたといわれている。

「先程、水晶は再び何かを映し出した。ハシャトルガが薄ぼけた黄土色の都に飛んでいく姿を。大陸の北と南を分かつ山脈の向こうにある『闇の帝国』じゃ」

 闇の帝国という単語が出た途端、辺りは沈黙に包まれた。

「族長、話は以上です」

 顔では平静を装っているが、内心では深手を負っていた。空気はますます重たくなる一方だった。

「それでは質疑応答に入る。質問のある者は、所属と名前を言って立ちなさい」

 ニムルの寄合では、村人は対等の立場で意見を求められ、自由に発言できる。
 殊に今回は、ニムル村とシャン村の合同寄合だ。参加者は多く、一族を束ねる族長の存在は大きかった。

「私は、魔法会のラナム・スーヤです。アスリー先生、湖に群生していた赤色の花について教えてください」

 指名されたアスリーは立ち上がり、質問した女性を見据える。

「その花の名は、ミズスイ草という。属性は闇。名前のとおり、水を吸って生きる植物じゃ。清かった湖は濁り、邪悪と化していた」

 おそらくミズスイ草が封印の力を弱め、ハシャトルガの息を吹き返させたのだろう。

「私は昨日、隣村に行くのに湖の近くを通りました。でも、あの花は一輪もありませんでした。ミズスイ草はハシャトルガが見せた幻だったのですか?」
「幻ではない。かの草は長い間地中で育まれ、芽を出す。潜伏期間は約十年。侵入者は英雄の儀式を見越して、種を植えていたと思われる」

 アスリーは両手を巧みに動かして、ミズスイ草の生育過程を説明する。質問者のラナムは涙を浮かべて、老婆をじっと見つめた。

「先生、どうしてあなたはそこまでご存じなのですか?」
「私はもともと本土に住んでおった。多少なりとも、帝国に群生する植物を知っている」
「あなたのような方が――何か対策はなかったのですか?」
「ミズスイ草は一度植えられたならば、散るまで住みかを離れまい」

 もっと早く、なぜ対処できなかったのか。種の状態で気付いていれば、解決策はあったはず。師よ、私はまだまだあなたに及びません。強く握られた老婆の拳は、小刻みに震えていた。

「武道会のメフヌ・マスです。アスリー師範の話によると、クランが封印を解いたことになりますな。族長、封印を解くという大罪を犯した者は、島から追放すべきではないでしょうか」

 体格の良い男が立ち上がり、族長カーンを直々に指名した。

「その件については、私が答えよう」

 代わりにトールが質問に答える。彼はカーンに視線を送ると、口を開いた。

「クランは二振りの剣を持っていた。しかし、こういう言い方もできましょう。傍にいたラザーも封印解除に加担したのではないかと」

 思わぬ言葉に、メフヌはもとより、一同にざわめきが生じる。

「ラザーがだって!?」
「あの子が神に背く行いをするはずが!」

 反対する者は数知れない。ラザーは魔法だけではなく、素行も良く、信頼されている。アスリーの助手を買って出て魔法使いの育成に励んだり、村人の手助けをしていた。湖で気を失っていたクランを負ぶって、岸辺に寝かせたのは彼だった。

「アスリーさん、あなたの息子はハシャトルガに加担する子ですか?」

 会場はすっかり混乱している。トールが放った言葉は、侮辱として取られているようである。

「赤目のクラン。あの少年が来なければ、ハルさんは死ななかったんだっ」

 別の男が遮り、大声で怒鳴り散らす。連鎖して、両手で顔を覆い、俯く女性がいた。

「ラザーは十年前、帝国の難破船に囚われていた可愛そうな少年だった。本物の剣を持っていたクランには、何か特別な力がある。それは、災いをもたらす力ではないのか?」
「それならば、クランを即刻追放すべきだ」
「ラザーに非はない」

 村人同士で話が進みつつある。ラザーの物言いが少々素っ気ないのは、過去に帝国に囚われていた時の心の傷だと擁護する者までいる。

「皆の気持ちはよく分かった! 正直な意見が欲しかったのだ。皆がラザーを愛し、クランに対して畏怖の念を抱いている」

 収拾が付かない言い合いに歯止めを掛けたのは、カーンだった。 

「ラザーが頼りにされ、クランが特別な力を持つというのなら、島から出て大陸に行くべきだ。二人ともあらゆる可能性を秘めている」

 決断だった。正直二人を追放したくなかった。だが、ハルの二の舞を踏ませたくなかった。遅かれ早かれ、いずれ来る日だと分かっていたではないか。あの子がこの地に生まれ落ちた時に誓った。

「二人を追放するなら、僕達はどうなりますか?」

 指名される前に、若い青年が発言した。

「アスリー師範の言うとおり、ハシャトルガは復活し、今頃帝王に経緯を報告しているに違いない。帝国はいつ島を襲うか分からない。だが、我々は絶望に打ちひしがれている場合ではない」

 カーンは正面を見据えながら、問いに答える。

「先代のニムとシャンは、この時が来ることを予期しておったのだ。だから、英雄の儀式を始めた。封印はいずれ解かれるもの、遅かれ早かれ仕方がない。全てをクランに押しつけてはならない。我らが今できるのは、帝国を迎え撃つことだ」

 族長の言葉には力があった。しかし、ハシャトルガと同じく帝国を恐れている者達は賛同できなかった。

「私は戦います!」

 静まり返る中で、一人だけ族長に賛同する者がいた。カーンは起立した女性を認めると、言葉を失った。

「ベニーさん」

 顔を上げて背筋を伸ばし、ベニーは表明する。決意に満ちた眼差し、彼女には昨夜むせび泣いた様子は、微塵も見られなかった。

「私は、あの人を亡くした哀しみを忘れた日はありません。あの人は逝く前に、こう言い残しました。クランを、村を守ってくれと。儀式は散々な結果に終わりましたが、まだ負けたと思っていません。あの人がクランを、村を守ったように、私は命を懸けて帝国と戦います」

 一時沈黙が流れたが、

「私も戦います! 帝国に村を明け渡したくありません」

 と、彼女の隣に座っている者が勇んで声を上げた。

「俺も戦うぜ。まだ希望がなくなったわけじゃないからな」

 次々と参加者はベニーに賛同して立ち上がり、全員が腰を上げていた。

「我らはニムルとともにある」
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